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社内事情〔56〕~抑制の色~

 
 
 
〔藤堂目線〕
 
 

 
 
 最初に知らせを受けた時は、冗談ではなく、冗談だと思った。

 「今井さんと、静……雪村さんが連れ去られたですって……!?」

 頭の中が真っ白になる。今、自分は、専務に告げられたことを、本当に正しく理解出来ているのか疑うほどに。

 「……そう。たった今、流川麗華本人から連絡があった」

 専務の顔が、見たことがない表情になっている。横では永田室長がオロオロし、ぼくも内心では言葉が出ないくらいに動揺していた。

 「……あの……片桐課長は……」

 「今、大橋くんが直接言いに行ってる」

 専務がそう答えた瞬間、

 「専務!」

 片桐課長と大橋先輩が、急ぎ足で企画室へと入って来た。

 「……課長……」

 恐らく、ぼくはひどく情けない顔をしていたと思う。縋るような、助けを求めるような、どうしていいのか全くわからない顔。引き替え、課長は不自然なほど冷静に見えた。

 「藤堂……すまない。こんなことになってしまって……」

 「……そんな……課長の責任では……」

 答えながら、課長のその言葉でぼくは気づいた。課長は、ぼくのために『冷静でいてくれている』のだ、と。ある意味、同じ立場━何より大切な女性を連れ去られたぼくのために。

 ぼくもその姿を見たことはないが、本来の課長は、理不尽があった時のリアクションが半端じゃないらしい。今回のことも、もしも静希のことがなければ、何を放り出しても今井さんを助けに飛び出して行っているのだろう。

 そう言う風に考えてみると、何だかんだ言ってぼくはまだ落ち着いていられてる方なのかも知れない。

 これは偏に、『静希には今井さんがついている』と言う事実に他ならないと思う。彼女がひとりで連れ去られたのだとしたら、ぼくだってここまで冷静ではいられなかっただろう。

 情けない話だが、今井さんは、ぼくよりも余程頼りになると思う。間違いなく。

 「流川くんはねぇ……とりあえず警察には連絡するな、ってお定まりのこと言って来たよ。だから、今のところストップはしてる。だけど、社長はふたりの身の安全を第一に考えたら、通報するべきなんじゃないか、とも。もしくは何とか交渉して、自分が代わるって言ってるよ」

 「そんなこと社長にさせられません。何とか交渉します。専務……少し時間をください。流川と交渉する時間を。どうしても無理なら……」

 片桐課長が申し出た。専務はじっとその顔を見つめ、目を伏せた。

 「……わかった。すまないが、きみに任せるよ。ただし、無理だと判断したら、ぼくの名前に於いて、即座に通報する。いいね?」

 「……はい」

 頷いた課長の顔は、冷静さの中に必死に堪えている色を覗かせている。どんな難題の時でも見たことがない色。

 自分も同じ立場なだけに、ぼくには課長の心中が痛いほどわかる。いや、それはぼくの独りよがりで、課長の葛藤はそれ以上かも知れない。

 何故なら、今井さんは『課長との関わりがある』前提で連れ去られたと見るべきだからだ。そして、課長の今井さんへの想いは、ぼくでも想像がつかない。

 ここまで課長を変えることが出来た人をぼくは他に知らない。いや、ここまで『本当の課長を引き出した女性』を知らない、と言った方が正確かも知れない。

 「……課長……ぼくは……」

 ぼくの顔を辛そうに見つめ、課長は言葉を探しているようだった。課長の中にある、必要のない罪悪感が手に取るようにわかる。

 「すまないが、計画の延期調整を頼む。もしかしたら……行なうことになるかも知れん。動けるようにはしておいてくれ」

 「……え……」

 課長の言葉に、ぼくだけではなく、そこにいた全員が驚いた。

 「……片桐く~ん?放送する気でいるのかな……?」

 専務の言葉に緩みが戻って来ている。その専務に視線を戻し、課長は少し下を向いた。

 「……まだわかりません。正直、おれにも……ですが、場合によっては、日程だけずらして、そのままゴーすることになるかも知れません」

 その言葉にじっと耳を傾けていた専務は、ひとり納得するように頷き、ぼくに向かって目配せした。

 「……ってことだ、藤堂くん。頼んどくね」

 「……はい。わかりました」

 専務がそう言うのなら是非はない。

 「……専務……社長には……」

 「あ~……いい、いい。ぼくが言い含めておく」

 「……申し訳ありません。お願いします」

 課長は一礼し、企画室を後にした。このまま流川麗華と交渉に入るつもりなのだろう。

 それにしても、課長が流川麗華と交渉することは、逆効果になることはないのだろうか?思わず、そんなことが脳裏を過る。もちろん、課長以上に交渉に相応しい人材など我が社にはいない。それは間違いない。

 だが━。

 流川麗華相手、であるなら、果たしてどうなのだろう?却ってお互いに感情が拗れたりはしないのだろうか?

 とは言え、それに変われる人など浮かばないのだが……正確には、ひとりいるけれど、その人は今、捕まってしまっている。……つまり、『その人』とは今井さんだ。

 (北条くんもいることだし、大丈夫だろうか)

 結局、ぼくではどうにも出来ないであろうことは間違いない。課長の指示通り、計画の延期、そしてそのまま待機の手筈を整えるために動くしかない。

 皆で手分けして業者や現場に連絡をし、調整に奔走した。

 そして、その間にも、我が社最強の今井さんが、流川麗華を相手に闘いを繰り広げていることなんて、ぼくたちが知る由もなく。
 
 
 
 
 
~社内事情〔57〕へ~
 
 
 
 
 
 
 
 

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