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社内事情〔41〕~流川麗華の狙い~

 
 
 
〔大橋目線〕
 
*
 
 10年前の寄木さんの件、おれはまさか専務が真相を知っているとは思っていなかった。

 専務は『可能性』と示唆していたが、恐らく確実な『事実』なのだと思う。何か事情があって、あんなボカした言い方をしたのだろう。

 ……と言うことは、片桐もこの事実を知っているのか?

 専務のあの様子では、恐らく社長はご存知ないのではないか。もしご存知だったら、五年前に片桐の主張を退けるようなことはなかったように思う。だが、片桐は知っていたとしてもおかしくない。

 ふと、おれは何となく、片桐が未だに何かをひとりで背負っているような予感に襲われた。

 片桐と、一度、話しておくべきなのかも知れない。

 携帯電話を手に取り、電話をかけようとして手を止める。今日はもう休んでいるかも知れない。リビングのソファに身を沈めながら、明日にでもメールを送ろうと文面だけ作っておくことにした。

 「征悟くん」

 「ん?」

 涼子の呼びかけに顔を上げると、おれの前に湯気の立つ耐熱のグラスを置く。

 「何だか疲れてるみたいだから……ハチミツ入りホットレモネード」

 「ああ……ありがとう」

 メールを打ちながらひと口。控えめな甘さと程よい酸っぱさが混ざり合うのが心地いいし、身体の中から温まる。

 「メール?」

 「ああ。明日送る片桐への連絡事項。今のうちに作っとこうと思って」

 涼子は「ふ~ん」と言いながら向かいに座った。

 「……ねぇ、何かありました?」

 様子を窺うように訊ねて来る。

 (お見通しか)

 自分に対して「まだまだだな」と突っ込んで苦笑い。

 話さなくて済むのなら、特に話すつもりはなかったが……涼子は社の過去や内情を知っているし、寄木さんの件を教えてくれたのも彼女だ。そう考えると話してみるべきか……何が手掛かりになるかわからない。

 「……敵の正体がわかったんだ。それと……」

 涼子の眉がピクリと反応した。やはり気にかけてくれていたらしい。

 「きみは流川さんのことを憶えているか?」

 「……米州部にいた紅一点の?」

 一瞬、考えるような素振りを見せたが、すぐに思い当ったようだ。

 「綺麗で、すごいパワフルな人だった、ってくらいの記憶しかないですけど。……ああ、あと片桐先輩とは名コンビって言われてましたね」

 部署も違い、在籍期間が二年ほどしか重なっていないのだからその程度だろう。しかし、さすがに存在自体は憶えていたようで、流川麗華の印象の強さの程がわかる。

 「……そう。その流川さんだ」

 「流川先輩がどうかしたんですか?」

 今さら流川麗華の名前が出てくれば、それは涼子も不思議に思うだろう。心のどこかで予想していたおれたちでさえ、驚きを隠すことは出来なかったのだから。

 「前にきみが教えてくれた件……寄木さんの噂のことだが……」

 「……ん?」

 涼子の顔に「何の関係があるの?」と書いてある。

 「専務の見解だと、その噂を流したのは流川さんではないか、と……」

 「えっ!?」

 驚愕で目を見開いた涼子は、しかし、すぐに平静を取り戻し、少し何かを考えているようだった。おれは彼女に、今日の簡単な経緯を説明した。

 「……でも、流川先輩って別に片桐先輩に気がある風でもなかったですよね?何か、部活の先輩後輩みたいな雰囲気って言うか……」

 やはり傍から見ていても、ふたりの関係はそんな風にしかみえていなかったのは確からしい。

 「そうだな……。だから、その話が本当なら、流川麗華にあるメリットは片桐を引き抜くこと、くらいになってしまう。それにしても、そんな話に乗るような男じゃないことくらいわかるだろうと思うんだが……」

 「本当は片桐先輩のこと好きだったのかな……もしそうだとしても不思議じゃないですけど、でも、あの頃はそんな風には見えなかった。片桐先輩も当時は彼女いたし、そんな風に流川先輩を見てなかっただろうし……」

 ━そうだ。片桐には当時付き合ってる女性がいて、うちの社員ではなかったが、『彼女』と言う存在がいることは知れ渡っていた。だからこそ、寄木さんのことは『抜け駆け』のように解釈されてしまったとも言えるのか。

 「……流川先輩にも彼氏いたと思うんですけどねぇ」

 「そうなのか?」

 「私が直接見た訳じゃないけど……流川先輩が男性と出かけてるところを見たって人は何人かいましたね」

 もし、それが本当なら、例えそれが交際相手ではなかったとしても、周りはふたりを恋人同士と見るだろう。思い込みとはそう言うものだ。いや、むしろ、周りにそう思わせるための芝居だったとしたら?

 流川麗華が、本当は片桐に想いを寄せていたとしたら?だが、そんなことがありえるのか?

 流川麗華が片桐のことを異性として想っていたと仮定しても、おれの個人的見解では、ふたりの間がうまく行くことはなかったと思う。が、それを何故、と問われればうまく答えられはしない。

 「……これが真実で、もし片桐が知っていたのだとしたら……何の疑問もなく、あの時の様子が納得出来るな」

 「あの時?」

 「……五年前の件だ」

 涼子の表情が硬くなった。おれたちが結婚する少し前の大事件だから、彼女も記憶に残っているだろう。と言うか、あの件が片づくまで結婚を待った、と言った方が正確だ。

 その頃には涼子は秘書課に在籍していて、そのせいで片桐とも多少の関わりがあった。

 「……もし、流川先輩が片桐先輩を二重の意味で手に入れたいと思っていたとしたら……片桐先輩は誰ともお付き合いも結婚も出来ませんね。相手の方にどんな危害が加えられるかわからないですし……」

 その言葉を聞いておれはハッとした。いくら色々な問題があったとしても、片桐が独身主義にまでなった理由。おれは寄木さんの問題だけを原因として考えていたが、流川麗華の方が本題だったとすれば、より明確な説明がつくことになる。

 (片桐がひとりで生きて行くことを決めた理由は……こう言うことだったのか?)

 そうだとしたら。何故、おれはもっと早く気づいてやれなかったのだろう。こんなに近くにいたのに。片桐がひとりで背負う必要などないことだ。

 「……片桐先輩に幸せになって欲しいですね……」

 ポツリと涼子が呟く。

 「……そうだな」

 おれも正直な気持ちを答えるしかない。

 何となく重苦しい気分を拭えないまま、おれは翌日、片桐に話をしたい旨のメールを送った。
 
 
 
 
 
~社内事情〔42〕へ~
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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