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あの日、見ていなければ〘表面〙

裏面
 
 
 
 コトコト走る列車の揺れが心地好い眠りを誘(いざな)い、数十年ぶりの友との時が懐かしい夢を連れて来る。

 カタン──列車が止まった音で花枝は目覚めた。

「やだ……ぐっすり眠ってた。騒ぎ過ぎたかしら」

 寝過ごしていないことは駅名から確認出来、胸を撫で下ろす。

(また、あの夢だった……)

 思わず顔がほころぶと同時に、ほんの少し胸を締めつける思い出。

 そんな花枝を乗せ、列車は少しずつ夫の待つ我が家へと近づいていた。

「あの……これはどなたの絵ですか?」

 小用で寄った郵便局。
 高校生だった鈴村花枝は、そこで運命的な出逢いをした。

「ああ、志藤という局員です。文字も彼の手書きなんですよ」
「志藤……さん……」

 じっと絵を見つめ、花枝は意を決した。

「……志藤さん、は、今、いらっしゃらないんでしょうか?」
「配達が主なので普段は出ておりまして……」
「そう……ですか」
「お客様のお気に召して戴けたこと、志藤に伝えておきますね」

 心配りに感謝し、花枝は郵便局を後にした。

 特に絵に興味がある訳ではない。
 だが、彼が描いた絵を初めて見た日から、自分の中に何かが生まれたように思えるのだ。

 それからというもの、花枝の耳は配達の音に釘付けとなった。

 ……とは言え、学生の身ではなかなか機会に恵まれない。休日も待ち続けたある日、やっと前庭で自転車の音に遭遇した。

(自転車の音……!)

 門から窺うと、若い男が手紙の束を確認している。

「うち宛ですか?」

 声をかけると、男がゆっくりと振り返った。

「はい、鈴村様。こちらになります」

 やわらかで優しい笑顔、穏やかな声。
 花枝は直感し、さりげなく名札を窺った。

「では失礼します」
「ありがとうございました」

 見えなくなるまで見送る。

「あの人が志藤さん……」

 部屋に戻り、文箱から一通の文を出した花枝は、差出人である『町村幸司』の名を見、ため息をついた。

「町村さん」

 ふと、傍らの写真立てが目に入る。飾られているのは優しい色使いの花の絵。同封されていた手紙の内容は絵に相応しい季節の便りで、町村からの強い好意が滲み出ているものの不快ではない。

 にも関わらず、花枝はずっと違和感を拭えないでいた。

「この絵、町村さんではなかったのね」

 決して嘘をつかれた訳ではない。町村は『自分が描いた』とは言っていないのだから。
 勝手に思い込んでいただけ、と言われればその通りだし、自分から違和感の正体を探ろうとしなかったことも事実だ。

 だが、今、感じていた違和感は気のせいではなかった、と知ってしまった。話している時の町村と絵の印象が、花枝の中ではどうしても結び付かなかった。だから、きちんと想いを告げられても返事が出来なかったのだ。

 常々、抱いていた疑問が解けた今、初めて絵を見た時の気持ちが行き場をなくしたのは間違いなかった。
 何より、微かにくすぶっていた町村への気持ちもかき消えてしまった。

(町村さんの気持ちに応えることは出来ない)

 友人しかなり得ないのならば、いつまでも有耶無耶にしてはいけない。彼に伝えなければならない。
 次に会う時に、と決意し、花枝はもう一度絵を見つめた。

「志藤さん……どんな人だろう」

 町村への気持ちと反比例するように大きくなってゆく志藤への気持ち。だが、郵便物しか接点がない以上、顔を合わせるのは一苦労だった。

 それでも、花枝の涙ぐましい努力の賜物か、少しずつ言葉を交わす機会は増えていった。そして、世間話が出来るようになる頃、志藤の人柄は花枝の中にすっかり浸透していた。
 それ故に『絵を描ける人材』を探す父たちに志藤の存在を振ったのだ。

 効果は覿面だった。
 志藤が素人だったことが、彼らの考える『伝統と新しさ』という条件に当てはまった妙もあり、事は一気に進んだ。ためらう志藤を説得し、父と引き合わせることに成功したのである。
 花枝には、絶対に気に入ってもらえる自信があった。

「普通のスケッチのように見えて、不思議なほど新鮮な色使いだ」
「何より、それでいて印象がやわらかい」

 志藤の絵に、花枝の父と兄が評した言葉である。
 花枝は花枝で、やはり町村から贈られた絵は志藤が描いたものだと確信した。

 そこからはトントン拍子だった。
 仕事が成功して後、志藤は花枝の兄の片腕となり、影日向なく支えてくれた。兄は兄で二人の気持ちに気づいて後押ししてくれたし、父も反対しなかった。

 幸せな25年。どんなに多忙を極めても、志藤の人柄が変貌することはなかった。いつも穏やかな彼に、花枝も笑顔を絶やさずにいられた。

「やっぱり運命の人だった、ってことよね」

 すると、返事のように車内放送が駅到着間近を告げる。

「もうすぐね」

 絵のことに気づいてすぐ、花枝は正直な気持ちを町村に打ち明けた。手紙も処分した。絵だけは、志藤が毎年贈ってくれる絵手紙と共に文箱の中にある。
 志藤へのたった一つの秘め事として。

 けれど、と花枝は思う。
 あの時、郵便局で志藤の絵を見ていなければ、この運命に辿り着いてはいなかったと。
 例え町村のことに気づいたとしても、父に志藤を紹介することはなかった。そもそも、志藤と言葉を交わすことさえなかったはずなのだから。

「お土産、たくさん買っちゃった。驚くかしら」

 きっと笑ってくれる。だから何年経とうと、少し離れているだけで逢いたくなるのだと知っている。
 そんな風に夫を想うたび、花枝は初めて恋した少女の時に戻ってしまうのだ。

 改札の向こうに夫の姿を見つけ、花枝は荷物に埋もれそうになりながら駆け寄った。

「おかえり。楽しんだかい……と、これはすごい荷物だな」
「ただいま。とても楽しかったわ。お陰でこんなにお土産買ってしまったけど、早くあなたに逢いたくなっちゃった」

 荷物を引き受けた志藤が穏やかに微笑むと、花枝はそんな夫に寄り添い、軽やかに家路に就いた。







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※注)
毎日、違うお題が提示される(らしい)他のサイトに読者として行った折、最新のお題として挙がっていたテーマ『恋と郵便』をお借りしました。(その日のうちにそのお題を使わなければならないワケではないようでしたが)
順番はどっちでも関係ありませんが、投稿だけは裏面の方が先になってます。

ちなみに、これが『最新』だったのはたぶんきっと恐らくメイビー2ヶ月くらい前ですw(放置民)




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