社内事情〔38〕~狙い~
〔礼志目線〕
*
流川麗華は、前振り直後に大々的に動き出した。こちらとしても、内々で警戒するように手配した矢先。いきなりアクセル全開にせざるを得なくなるとはねぇ。
昔のぼくは、やっぱり甘っちょろかったんだな~……と、つくづく思い知らされる。
「失礼します、専務。警備の方の手配は済みました。後は取り引き先がどう動くか……各部署には先手を打つように指示は出してもらいましたが……」
ノック音と共に、大橋くんが隣の続き部屋から入って来た。時計を見るとそろそろ21時。
「ご苦労さん……大橋くんも今日はもう帰っていいよ。いろいろあって疲れたでしょ。ぼくは社長と一緒に帰るから」
「……何を考えていらっしゃったのですか」
「ん?」
ぼくの言葉には答えずに、大橋くんが少し眉をしかめた表情で訊いて来た。
「専務の今のお顔は、何かあまり良くないことを考えていらっしゃる時の表情でした」
その言葉に思わず笑ってしまう。
「……ぼく、愛されてるなぁ~」
ニヤけながら呟くと、大橋くんの眉間にシワが増えた。それがまた、ぼくのニヤニヤのタネになる。でも、大橋くんが本気で心配してくれてるのがわかるから、一生懸命堪えた。ぼくにしては。
「……うん、ちょっと昔のことをね」
大橋くんは書類を捌きながら、何も言わずにぼくの顔を見ている。このまま話さないでいると、きっと大橋くんはずっと心配し続けてくれちゃうんだろうなぁ。……ってことで、ぼくはひとり言のように口を動かした。
「……ぼくにはね。考え方と言うか、生き方と言うか……思考と行動を変えなくちゃ、と思ったことが、今までに三回あるんだよね」
大橋くんの手が止まる。ぼくの言葉の続きを待つように。
「一度目は、兄が護堂家の令嬢と結婚することが決まって、先方の婿養子に迎えられることになって、図らずもぼくが式見を継ぐことになった時……」
揃えていた書類を、大橋くんが机の上に置いた。
「二度目は、10年前……」
「……専務……」
大橋くんが初めて言葉で反応を示し、何とも言えない表情を浮かべる。
「三度目は……5年前、だ……」
机に両手をついたまま、大橋くんは静かに俯いた。
「あの時、ぼくはつくづく甘かった。いや、社長でさえ、今日のことを想像すら出来ていなかったんだから、ぼくに読めなくても仕方ない……なんて言ったら自己弁護だけど」
少し自虐的に言うと、大橋くんは身体をぼくの方へと向けた。
「専務、それは……」
「……大丈夫。わかってるよ。ただね……」
ぼくは言葉を探しながら、少し宙を見遣る。大橋くんにどう説明すればいいのか迷っていた。彼にはまだ話していないこともあるから。
「大橋くんが5年前、片桐くんと同じ意見を主張した時ね……」
「……はい?」
「実はね……きみには可能性すら話さなかったことがあったんだよね」
大橋くんの動きが『ダルマさんが転んだ』のようにピタリと止まった。
「それを知らないのに、きみは徹底抗戦を推した。ぼくは可能性を知っていたのに、それを軽んじた。この差はとてつもなく大きいんだよ」
「……どう言うことですか?」
ぼくは頷いたものの、実はまだ迷っている。大橋くんにこの『可能性』を話しておくべきなのか、それとも否、か。もちろん、実際には『可能性』ではない。『確実』だ。このことは片桐くんとぼくしか知らない……はず。だから、もし大橋くんにこのことを話すにしても、『可能性』としてしか言えない。
ぼくの迷いを読み取ったのか、大橋くんは急かすでなく、かと言って話自体を打ち切るでなく、ただ沈黙していた。
(今後のことを考えたら、『可能性』としてでも、一応、話しておいた方がいいかなぁ?)
そう判断を下し、頭の中で言葉を選ぶ。
「さっきも言った通り、これはね……ぼくの限りなく確信に近い想像、みたいなものだって思って聞いて欲しいんだけどね」
大橋くんには『可能性』であることを強調しておく。
「……はい」
……強調しておいたら、うわぁ。大橋くんの顔が神妙過ぎて怖いなぁ。話さない方がいいのかなぁ。でも、もう退けそうもないなぁ……仕方ないかぁ。
「10年前の片桐くんを巡る事件……あれね。寄木さんが何で片桐くんファンの女子社員に総スカン喰らったのか、って考えたことない?」
あれ?ぼくの質問に、大橋くんはハッとしたような表情を浮かべたよ。
「専務……その件は……」
「うん?何か思い当たることあるかい?」
何か迷って言い淀んでいる気配。彼にしては珍しいこともある。だけど、この様子だと何か思い当たる節があるってことなのかな?
「……専務。私も小耳に挟んだだけで、確証も何もない想像の域を超えませんが。……当時、私も知らなかったある噂が流れていた、と……」
「噂?」
「はい……いえ、正直に言えば、家内から聞いた話なので信憑性のほどは定かではありません」
家内ってことは……。
「涼子くんから?」
「そうです。たまたま寄木さんのことを話している時、何故、彼女の片桐課長に対する気持ちがバレて大事になったのか、と私がひとり言を呟いたのです。すると家内が、ふたりが一緒にいるところを目撃した人物がいて、その噂が流れたからだ、と。家内は経理に所属していた頃、寄木さんとは仲が良かったようで……」
なるほど。女子の間ではそんな風になっていたのか。じゃあ、やっぱり大橋くんにも話しておいた方が良さそうだよなぁ。
「……そっか。……うん、大橋くん、あのね」
大橋くんが無意識なのか意識的なのか、背筋をスッと伸ばした。普段から姿勢いいんだけどね。立ったまま居住まいを正した、的な。
「その噂ね……社内にわざと流したの、ぼくは流川さんだと思ってるんだ」
「……えっ……!?」
ぼくの自称・仮説に、大橋くんは想像以上に驚いていた。まあ、無理もないか。
「……っ……専務……それは……」
「うん。だから証拠はないよ。あくまで、ぼくの想像、ね」
またまた協調しておく。却ってわざとらしいかな?まあ、いいや。
「しかし、もし仮にそうだとして……流川麗華に何のメリットがあるんでしょう?一体、彼女の目的は……当時の様子を思い起こすに、彼女が片桐課長の周りにいる女性群に嫉妬していた、とも思えないのですが……」
……うん、確かにね。大橋くんの言う通りだ。でも、実際には、男女の仲は他人には何とも言えないんだけどねぇ。
「……まあ、そう思えるよねぇ。だけど、例えば、ふたりの間に痴情の縺れはなかったとしても、よくよく考えれば、流川さんには片桐くんを狙う理由はあったでしょ?」
大橋くんはハッとした顔をする。
「引き抜き……」
黙って頷いたぼくに、大橋くんはさらに続けた。
「……では、もしそれが本当だとするならば、5年前の件もそれに付随した……」
「そーゆうことになる……かもね」
信じられない、と言う表情の大橋くんを横目に、ぼくはまだそれだけではない可能性を疑っていた。流川さんの狙いは、片桐くんだけ、ではない気がする。出来れば気のせいであって欲しいけどねぇ。ぼく、あんまり争い事とか好きじゃないし。
でも、まあ、そうも言ってられないかぁ。降りかかる火の粉は何とやら。
さてと……まずは、どうしようかなぁ。
~社内事情〔39〕へ~
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