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社内事情〔31〕~R or S~

 
 
 
※『 』二重括弧内は英語での会話と思ってください。
 
 
 
〔片桐目線〕

  

 
 その日、社内には比較的穏やかな空気が流れていた。まるで、不審者の存在などなかったかのように。

 いつものルーティンな業務を終え、専務たちとの打ち合わせの用意をする。ふと、アジア部に目を遣ると、里伽子が外出の支度をしているのが目に入った。

 (得意先とでも会うのか)

 営業と言う立場上、さして珍しいことでもない。心の中で見送っていると、ふいに里伽子がおれの方に視線を向け、頷くように小さく会釈した。

 ……おれの脳内を見られているのだろうか?はたまた視線を送り過ぎたのか。

 目で合図を返すと、里伽子は薄っすらと口角を上げ、相変わらず流れるような美しい歩き方で大部屋から出て行った。

 ……ったく。こんなことでニヤけてどうするんだ、おれ。

 自分に呆れながら頭を切り替え、専務室へと向かった。

 専務との打ち合わせを終えて営業部の大部屋に戻り、決定事項を根本くんと朽木に伝える。忙しいのは変わらずだが、日常の業務は滞りなく進んでいる。

 いや、滞っては困るんだが、いつ、何が起きるかわからない現状、今までにも増して先延ばしは出来ない。

 あの不審車の目撃以来、この数日。

 これと言って動きがないことが却って嫌な感じだ、と言う専務の意見。これはおれも同感だった。間延びさせ、焦らすことでこちらに油断が生じる。

 今の状況を一日の時間帯に置き換えるなら、日没間際のトワイライトタイムのようなもの。気だるく、そして、少しずつ明るさを失って行くことに、まだ目が慣れていない危険な時間帯。

 その隙を突かれるのだけは避けたい。

 ━と。

 米州部の外線が、内線を通さずにダイレクトに鳴った。朽木が受話器を取る。

 「はい。式見物産、北部米州部……」

 そこまで言って、朽木は一端言葉を止めた。

 『……はい……はい、そうです。失礼ですが、どちら様でしょうか?』

 英語へ切り替えたところを見ると、少なくとも日本人ではなさそうだ。まあ、仮にも米州部なのだから、特に珍しいことでもないのだが。

 (……海外からか?)

 朽木は新人とは言え、英語は堪能だし、仕事の飲み込みも早い。余程のことでない限り、対応を任せておいても心配はないのだが……傍にいるとつい、横目で見ながら聞き耳を立ててしまう。

 『……少しお待ちください』

 朽木の話し方に、何となく迷いのような、困惑しているような、そんな気配を感じる。

 「……課長……」

 保留にした朽木が、恐る恐る、と言う体でおれを呼んだ。

 「どうした?」

 「課長に……あの……」

 「おれに?誰だ?」

 はっきりしない朽木の物言い。いつものキレが全くない。

 「……あの……ラドクリフ・リチャードソンと名乗っているんですけど……」

 「……何っ!?」

 根本くんも瞬間的に顔を挙げた。一瞬、三人の間の時間が止まる。

 「……わかった。代われ」

 朽木が受話器を置き、おれは自分の机の電話を繋いだ。

 『お電話代わりました。片桐ですが』

 何も返答がない。

 『……あの……片桐ですが……?』

 再度、名乗ってみる。すると、微かに聞こえる笑うような声。

 (何だ?)

 本当にリチャードソン社長なのか?こんな悪ふざけをするような男ではなかったはずだが。

 『……リチャードソン社長……?』

 『……フ……』

 今度は間違いなく笑っていることが認識出来る。それも、好意を感じるものではない。

 『……いや、失礼。お久しぶりですね、片桐さん』

 黙って様子を窺っているおれの気配に含まれた疑念を感じ取ったのか、相手は漸く声らしい声を発した。━だが、その声は。

 『……失礼ですが、あなたリチャードソン社長じゃありませんよね。どなたですか?』

 そう。おれの記憶に残るラドクリフはこんな声ではなかった。それにしては、どこかで聞いたことがある声。一体、どこでだ?

 『失礼ですね。いきなり何を言い出すのですか?』

 などと、笑いを堪えながら悪びれる様子もない。確かに憶えがある。だが、確実に、リチャードソン社長ではない。

 『……いや、あなたはリチャードソン社長じゃない。……誰だ?』

 おれの言葉に、根本くんと朽木が顔を見合わせて息を飲んだ。

 『……ク……フフ……ハハハハハハハ!』

 「…………!?」

 耳を澄ませているおれの耳に、受話器の向こう側から、突然、笑い声が響く。

 『……一声で見抜かれたのは、さすがに誤算だったな。大した接点もないし、電話を通した声ならイケるかと思ったんだが……まあ、いいだろう』

 何が「まあ、いいだろう」だ。いちいち上から目線なのが癇に障るが、とにかく正体だけでも探らなければ。

 『……何が目的でリチャードソン社長の名を騙った?』

 『彼の行方を心配しているかと思って、安心させてやろうかと思ったんだが』

 薄ら笑う気配。自身の優位を確信している声音。つられるな。乗せられるな。いつもの自分を保つよう、己に言い聞かせる。

 『……リチャードソン社長の居所を知っているのか?』

 努めて抑えた声で問う。

 『……さあ、どうかな?』

 挑戦的な答え。この声には確かに憶えがあるのだが。

 『……お前、誰だ?一体、何が目的だ?』

 『冷たいもんだな、片桐。リチャードソンの声は憶えていたクセに、おれの声は憶えていないなんて』

 突然、口調が変わった。ちっとも残念そうじゃない、むしろ、嘲笑うかのように。

 おれが無言を通すと、

 『フ……まあ、いい。憶えていないと言うより、憶えていたくなかったのかな?淋しいもんだが……』

 さらに癇に障る言い回し。が、次の瞬間。

 『はじめまして、と言うべきか?』

 『さっきと言ってることが矛盾しているぞ』

 「おれのことを憶えていないのか」などとホザいておきながら、「はじめまして」だと?

 『フン……おれの名前はロバート・スタンフィールド、だよ』

 『何っ!?』

 得意気に名のる声。いや、それよりも、その名前に驚愕する。“ロバート・スタンフィールド”と言う名前は、過去の知人の中にはない。しかし、この声は、どこかで聞いたことがある。そして、一連の動きにも。

 『……もう一度、訊く。一体、何が目的だ?それと、誰を仲間にしている?この一連の動き、お前ひとりの発案じゃないだろう?』

 おれの問いに、電話の向こうでヒソヒソ話している声が微かに聞こえる。やはり仲間がいることは間違いなさそうだ。

 『……ふむ。どちらにしろ、隠すことでもないからな。おれがリチャードソンじゃないことがわかってしまった時点で、な』

 『……何だと?』

 『……厳密に言えば仲間じゃない。同志、と言えばいいのか……いや、仲間でいいのか?まあ、いい……発案と言うなら、当事者は……』

 ━その途端、黙って様子を窺っていたおれの耳に入って来たのは。

 「……私よ」

 「!?」

 女の声。しかも、綺麗な発音の日本語だ。だが、最初の衝撃が心臓の位置を越えた時、その声にも憶えがあることにおれは気づいた。

 「あらあら。久しぶり過ぎてわからないかしら?私たち、名コンビって言われてたのに」

 「!!!」

 背中を電流のようなものが走り抜けて行く。

 「……流川……!」

 おれの声に、根本くんだけが息を飲んだのがわかった。そうだ。彼は流川のことを知っている。

 「久しぶりね、片桐」

 「……お前が……お前の方がRだったのか……」

 ひとり言のような問いに、流川麗華は高らかに笑った。

 「あら、違うわ。私がSよ……って、そう言われれば、確かにどっちでも通じるわね」

 楽しげに答え、今度は試すように問うて来る。

 「片桐は私が日系だって知ってるわよね」

 「……何?」

 (何故、流川の方がSなんだ?)

 悪戯を企む子どものような表情が脳裏に浮かぶ。だが、悪戯どころでは済まない。流川は目的を果たすためなら、手段を選ばずに何でもやるような女だ。

 「でも、これは教えたことなかったわね。私のこっちでの名前はね……」

 (こっちでの名前?)

 おれの内心などお構いなしで、流川は再び鼻歌のように笑う。

 「……ソニア、って言うのよ」

 「……それより、何をするつもりだ?」

 名前のことなど無視して問うと、予想していたようにフフフと笑った。

 「……相変わらずね、片桐……ちっとも変わってない」

 「……目的を言え!」

 然程の大声ではなかったが、大部屋内の視線がおれに集中したのがわかる。そもそも、米州部のシマの様子がおかしいことなど丸わかりだろうが、皆一様に声を潜めて窺っていた。

 「そうねぇ。手始めにどうしようかしら?とりあえずね……ロバートのフルネームも教えといてあげようかしら?」

 「………………」

 「ロバート・コリンズ・スタンフィールド、って言うのよ」

 「ロバート・コリンズ!?」

 おれの脳裏に5年前の悪夢が甦る。

 「あの時のお返し、しっかりさせてもらうわよ」

 悪魔が微笑みながら、巨大な鎌をもたげた音が聞こえた。
 
 
 
 
 
~社内事情〔32〕へ~
 
 
 
 
 
 
 
 

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