中込遊里の日記ナントカ第104回 チケット発売日に東京の感染者数は初の400人台に達した。それでも「たくさんの方に来場してほしい」と思う理由
9月19日(土)に、「ぐるぐる歩けば中高生の創った劇的な空間に出会える演劇」という、タイトルの長い演劇を上演する。出演者は主に東京都多摩地域の高校生。私は総合演出を担当している。
その入場券が7月31日(木)に発売された。この日、日本の新型コロナウィルス感染者数は最大を更新し、東京都は初の400人台に達した。
たとえこの先暗い気持ちになる状況が続いたとしても、きっと私は演出家として自信を持って「この作品を知ってほしい!体験してほしい!」と思う。その理由を書く。
どうにかして楽しもう!
私の主催する「たちかわシェイクスピアプロジェクト/中高生と創るシェイクスピア劇」は、演劇を手段として中学生・高校生たちが学校外の人々と繋がる機会を増やし、日常では触れることの少ないシェイクスピアなどの優れた古典戯曲に接することで歴史に学び未来を創る力の醸成を促す、という目的で、2016年からワークショップと成果発表公演を行っている。
今、とても長い一文で、なんだか立派そうなことを書いたけれど、参加してくれる中高生(9割は高校生)は、「とにかく楽しい!」という思いで毎年参加してくれている。
2020年当初の予定では、去年と同様1月からワークショップを行い、5月に中間発表。7月に最終成果発表公演。30人くらいの参加者が見込まれていた。
言わずもがな、演劇は楽しい。他には代替のきかない楽しさがある。だから、緊急事態宣言だろうが休校だろうが、「演劇で人と繋がる楽しさ」を、どうにかして楽しもう、と決意した。
5月に挑戦したオンラインワークショップ
そんなわけで、緊急事態宣言で自宅待機中の中高生と、5月3日~6日に「オンラインワークショップ」に挑戦した。
詳細はこちら(たちかわシェイクスピアプロジェクトWebページ)
生で集まる空気感を大切にしながら行う演劇ワークショップを、オンラインでできるのか…という不安が8割。でも、何もやらないより何かはやった方が絶対によい、という気合が2割。
スタッフ側も直には会えない。3月・4月頃はリモート打ち合わせに全く慣れていなくて、混乱が多かった。オンラインで効率よく進行するにはどうしたらいいか。生をオンラインに置き換えるにはどのような方法があるか。試行錯誤した。
4日間で多様なメニューを行ったが、メインは、シェイクスピア戯曲の中から3作品を用いて、それぞれグループに分かれてオンラインで創作。
8月の今はもう慣れてしまったけど、30人以上が一画面に均質化された形で集まり、機械を通して演劇を体験する、というのは、最初は目眩がした。
けれど、やってみたらけっこう慣れていくもので、今の社会状況に寄り添いながら楽しめる企画が徐々に出来上がっていった。
オンラインワークショップで見つけたことをさらにブラッシュアップし、大勢の人の力を借り、9月19日に延期して2020年も公演を行うこととなったのである。
私たちが行う「クリエイティブな」感染防止対策
感染防止のために、「生身の人間は最小限で、それでいて高校生のエネルギーを感じられる作品」を企画した。
感染症防止ガイドラインに基づきつつ更に工夫し、「展示型演劇」という形式での上演を決定。美術館ならぬ「演劇館」。観客は密を避けながら好きなペースで見る/体験することができる。
・映像展示(収録)
・映像+リモート(ライブ)
・距離を取った短時間の生出演
このような形態を通して、シェイクスピア戯曲『テンペスト』『ハムレット』『リチャード三世』及びそれらから着想を得た何か、が展開されるという予定になっている。
一度に会場に入る人数も制限するので、お客様は、静かな中、孤独を楽しみながら各作品を体験することができると思う。
私が美術館を好きな理由のひとつは、自分のペースで見て回ることができるので、作品を通して自分と向き合いやすいからだ。(それは能楽の楽しみにも似ている!)
今回の「展示型演劇」も、感染防止対策からスタートした形態ではあるが、大勢の人がひとつの時系列に沿って物語を一斉に体験する従来版の演劇ではできない「それぞれの物語」が自由に体験できるところに、創造性があると信じている。
そして、それらの物語は、他者からの借り物ではない、生身の中高生の物語なのだ。
この世は舞台、人はみな役者
プロはプロ、高校生には高校生の事情と目標と楽しみ方がある。だから別け隔てはしない。ただ、「個性」と「個性同士が影響を与え合う関係性」だけがある。
「この世は舞台、人はみな役者」とはシェイクスピアの名言のひとつ。
この言葉は、演劇の道を歩いてきた者にとって、しみじみとした喜怒哀楽を感じさせる。
「舞台」と一口に言っても、とんでもなく広く大きな世界がそこには広がっているし、「役者」も同様で、どんな条件が揃えば役者というかに正解はない。
ただ、「この世は舞台、人はみな役者」とつぶやくと、憂き目の多く混乱の多い日常生活のプレッシャーが、ほんの少し軽やかになるような気がする。
演出家・劇作家の平田オリザさんが、「演劇は人生をダメにしてまでやるものではない」といった意味のことを書いていたことも思い出す。演劇は、日常をほんの少し軽やかにするためにある。そして、演劇にしかできない「軽やかさ」が、たしかにある。
演劇が身近になるチャンス到来!
コロナ禍の中で、リモートやオンラインという劇場が立ち上がった。
これは大チャンスだ。劇場が際限なく増えるということだ。テレビや映画を見るように、スマホやPCでゲームをするように、演劇にいつでもどこでも触れることができるようになるということだ。
そして、もちろん、従来通りの生身で繋がる劇場を選ぶこともできる。選択肢が広がるというのはなんとワクワクすることだろう。何だかわからない新しい面白いことが起こるのだ!
と、コロナ禍の中で私が前向きになれたのは、中高生のおかげだと思う。
ゆらゆらと生きる
私は彼らとの創作にスリリングな色っぽさを感じている。
私には4歳の娘がいるのだが、成長を日々追っていると、今日と明日がこれほどまでに違うのかということに驚かされる。その揺らぎは母をもスリリングに揺らす。
中高生も、成長過程の日々の揺らぎは同様で、表現の儚さは予測のつかなさに繋がり、それはとてもスリリングなことだ。
だから、彼らと何年一緒に過ごしても、何を考えているか、次に何が起こるか、正確にはつかめないな、という感じがする。何を考えているかわからない人には色気や魅力があるものだけど、そういう意味で不定形な10代たちは色っぽい。
毎日あらゆる情報に一喜一憂して、いつ終わるともわからない不安の中を私たちは生活しなければならない。きっともうしばらくは続くだろう。これほどまでに不定形でイレギュラーな社会を生き延びるには、成長過程の不定形たちと一緒に“ゆらゆらとする”こともよいのではないだろうか。
“ゆらゆらとする”の“する”の中には、色々な行為が含まれる。考える。遊ぶ。笑う。切なくなる。闘う。生きる。
演劇にはこれらのあらゆる行為/感情を受け止める力があるのだ。
一人でも多くの人が、この緊張感のある日々を健やかに生きていけたら。ゆらゆらと柔らかく社会を泳いでいければ、誰も不要な怪我をしないはずだ。
オンラインアーカイブの予定もあります!
実際にご来場いただくのが本当に嬉しいのですが、ご来場が難しい方にはぜひオンラインでアーカイブ映像をご覧いただけたら嬉しいです。詳細は決定次第ホームページで発表します。
たちかわシェイクスピアプロジェクト2020「ぐるぐる歩けば中高生が創った劇的な空間に出会える演劇」9月19日(土)14時~21時(17時~18時は閉場) 八王子市学園都市センターイベントホール・ギャラリー
ご予約など詳細はこちら(たちかわシェイクスピアプロジェクトホームページ)
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