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ニーチェという美しい作品 ディオニュソスとワーグナーに魅せられた人生

ニーチェはその最後にいたるまで、言葉において生き、書くことの内に自らの生を宿らせた思想家であった。

村井則夫『ニーチェ ツァラトゥストラの謎』中公新書、Kindle版。

ニーチェは処女作『悲劇の誕生』において「ディオニュソス的な狂気」について語っています。

晩年には、「ディオニュソスの弟子」「十字架につけられたディオニュソス」などと名乗り「狂気」に陥りました。

ニーチェの思想家としての人生は「ディオニュソス的な狂気」で始まり、「ディオニュソス的な狂気」で終わりました。ニーチェが「狂気」に陥ることは『悲劇の誕生』において暗示され、避けられない運命だったと感じます。

ニーチェにとってはヴァーグナーの存在とその音楽は生涯にわたる問題であった。

ニーチェの仕事はヴァーグナーのために書かれた『悲劇の誕生』(一八七二)にはじまり、『ニーチェ対ヴァーグナー』(一八八八)で終わる。

ニーチェ『ニーチェ全集 第十一巻』氷上英廣訳、白水社、p.413.

ニーチェほど作品の名前とその内容とがぴったり連関している思想家はそういない。

ニーチェ「解説」『曙光』ちくま学芸文庫

また、ニーチェの人生は、ワーグナーに始まり、ワーグナーで終わったとも言えます。ニーチェほど、作品と人生が密接に結びついている思想家は、そうはいないでしょう。さらに言えば、彼の人生そのものが美しい作品のようでした。

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生理学的に問うならば、悲劇的および喜劇的な芸術を発生せしめた狂気、すなわちディオニュソス的な狂気はいかなる意味を持つのか?
ニーチェ「序言・自己批判の試み」『悲劇の誕生』浅井真男訳、『ニーチェ全集 第一巻』白水社、pp. 16-17.

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私は、哲人ディオニュソスの弟子である。聖者であるよりは、半人半獣神でありたい。
ニーチェ「序言2」『この人を見よ』手塚富雄訳、岩波文庫、Kindle版。

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私は文献学者および言葉の達人として、いささか勝手に──なぜなら、アンティクリストの正しい名を知っている者があろうか?

──ギリシアの一柱の神の名を洗礼名に使った。つまり私はそれをディオニュソス的と名づけたのである。──
ニーチェ「序言・自己批判の試み」『悲劇の誕生』浅井真男訳、『ニーチェ全集 第一巻』白水社、p.20.

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トリノでの錯乱をめぐって、ニーチェの著作に深く感化された二〇世紀のフランス人思想家バタイユが、それから五〇年後に、自らが主宰した雑誌『無頭人』第五号(一九三九年六月)巻頭に「ニーチェの狂気」と題する詩を掲げている。

五〇年前の/一八八九年一月三日/ニーチェは狂気に屈したのだった。/トリノのカルロ・アルベルト広場で/打擲された馬の首に泣きじゃくりながら縋りついて/それからがっくり頽れたのだった。/気がついたときには、ニーチェは自らが/ディオニュソス/あるいは/十字架につけられた者であると/信じていたのである〔略〕
村井則夫『ニーチェ ツァラトゥストラの謎』中公新書、Kindle版。

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これらの手紙に現れる「十字架につけられたディオニュソス」という暗号めいた象徴は、処女作『悲劇の誕生』でニーチェが生の具現化とみなしたディオニュソスと、彼が生涯攻撃の手を緩めることのなかったキリスト教との緊張に満ちた出会いを思わせる。
村井則夫『ニーチェ ツァラトゥストラの謎』中公新書、Kindle版。

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ニーチェの著作は、全体がある種の自伝を構成しているとも言えるほど、そのテクストは、ニーチェ自身の内面的な多様性と結び付いている。
村井則夫『ニーチェ ツァラトゥストラの謎』中公新書、Kindle版。

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ニーチェにとって、自らの体験を著作の内に書き込んでいく作業は、自己の生を読解・分析しながら、それぞれの経験を意味づけ、確認していく行為でもあった。
村井則夫『ニーチェ ツァラトゥストラの謎』中公新書、Kindle版。

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『人間的、あまりに人間的』(公刊一八七八年五月)、『様々な意見と箴言』(一八七九年三月)、『漂泊者とその影』(一八七九年十二月)(後者二つは一八八六年前者の第二部となる)、それから、この『曙光』(一八八一年六月)、さらに『悦ばしき知識」(一八八二年九月)(現在の第一章─第四章まで)がこの期間のニーチェの作品である。

ニーチェほど作品の名前とその内容とがぴったり連関している思想家はそういない。
ニーチェ「解説」『曙光』茅野良男訳、『ニーチェ全集7』ちくま学芸文庫、p.500.

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