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ニーチェ 「だれにも読めない書物」

だれでも読めるが、だれにも読めない書物

これは『ツァラトゥストラ』の扉に書かれている言葉です。

『ツァラトゥストラ』は難しい哲学書とは異なり、物語形式で書かれているため、とても読みやすく、ストーリーもよく理解できます。

けれども、「誰にも読めない書物」なのです。

誰にも読めないというよりも、善人には理解することができないと言った方が正確でしょう。善人には理解できず、善人が読むと反感や怒りすら覚える書物なのです。

ニーチェの言う「善人」とは、以下のような人間です。

あなたがたの目つきは残忍だ。そして、悩んでいる人たちを、さもうれしそうに、みだらな目をして見る。これはあなたがたの情欲が変装して、同情と称しているのではないのか。

『ツァラトゥストラ』「純潔」

まことに、わたしは他人に同情することで、同時におのれの幸福をおぼえるような、あわれみ深い人たちを好まない。かれらはあまりにも差恥の念にとぼしい

『ツァラトゥストラ』「同情者たち」

偉大な人間が苦痛の叫びをあげると、小さな人間がたちまち、よりあつまってくる。そして快感にうずうずして、舌なめずりする。しかもそれをみずから「同情」と称する。

『ツァラトゥストラ』「快癒に向かう者」

だが、同情はちかごろでは、あらゆる小さい人間たちのもとで、美徳そのものとなっている。

『ツァラトゥストラ』「最も醜い人間」

善人たちのあいだで暮らす者は、同情による嘘をつくように教えられる。同情はすべての自由な魂のまわりに、どんよりした空気をかもしだす。善人の愚かさは、きわめがたいものだ

『ツァラトゥストラ』「帰郷」

わたしの最大の危険はつねに、ひとをいたわること、そして同情することにあった。しかもあらゆる人聞は、いたわられ、同情されたがっている

『ツァラトゥストラ』「帰郷」

善人とは、同情する者と同情されたがる者のことです。ニーチェが最も嫌う人種です。

善人は、悩み苦しんでいる人間に同情し、自分の徳の高さを誇り、愉悦に浸りたがります。「なんて自分はいい人なんだ」と。

悩み苦しんでいる人間もまた、同情してくれる人間に「私はこんなに不幸なんです、悩んでいるんです、苦しんでいるんです」と不幸自慢したがります。

同情する者と同情されたがる者は、共依存の関係にあります。ニーチェはその両者のいやらしさに耐えられないのです。

ニーチェは「善人の愚かさは、きわめがたいものだ」と言います。

善人が嫌いなニーチェは、当然、道徳家や聖人君子ではありません。ニーチェは、神と悪魔の両方の顔を持つ存在です。彼は神的な言葉と悪魔的な言葉で読者の思考や感情を揺さぶり、読者の中にある偶像(倫理、道徳、常識、固定観念、思い込み)を打ち壊していきます

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