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ニーチェ「鷲と蛇という理想的な友」
ニーチェが求めた「友」とは、自分自身の内に「完成した世界」を持つ創造的な友です。駱駝から獅子、そして小児へと変化できた者が、「完成した世界」を獲得することができます 。
そのような存在は、太陽のように、自ら所有するものを贈り与え、分かち与えようとします。
しかし、そのような存在に出会える可能性は極めて低いです。そのため、自分自身の内から友を創り出さざるを得ません。
自分自身の内から創り出された理想的な友に、「君の血肉を授けよ」とニーチェは言います。ニーチェは自分自身の内から「鷲と蛇」という理想的な友を創り出し、血肉を与えました。
鷲は太陽のもとにおける最も誇り高い生き物であり、蛇は太陽のもとにおける最も賢い生き物です。ニーチェが求めた友とは、誇り高く、賢い存在でした。
「鷲と蛇」は、永遠回帰の説教ができるほど賢く、ツァラトゥストラが求めていた、自身と同じレベルの存在でした。彼は、自身を崇拝するような「信者」を嫌いました。
永遠回帰を象徴する「鷲と蛇」が統合された存在が、未来に出現する者、すなわち「超人」と言えます。超人はツァラトゥストラの先を歩く憧れの存在(目に見えない美しい幻影)でした。
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わたしは君たちに友を教える、すでに完成した世界をおのが内部にもっている友、善の容器である友を。──完成した世界をいつも贈り物にしようとしている創造する友を。
「隣人愛」
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小児は無垢である、忘却である。新しい開始、遊戯、おのれの力で回る車輪、始原の運動、「然り」という聖なる発語である。そうだ、わたしの兄弟たちよ。創造という遊戯のためには、「然り」という聖なる発語が必要である。そのとき精神はおのれの意欲を意欲する。世界を離れて、おのれの世界を獲得する。
「三様の変化」
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見よ、わたしはいまわたしの知恵の過剰に飽きた、蜜蜂があまりに多くの蜜を集めたように。わたしはわたしにさしのべられるもろもろの手を必要とする。わたしはわたしの所有するものを贈り与え、分かち与えよう。
「ツァラトゥストラ序説1」
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わたしが望みたいのは、君たちが、あらゆる種類の隣人たち、またその近所の者たちに堪えきれなくなることだ。そうすれば君たちは、自分自身の内部から、友とそのあふれる心情とを創り出さざるをえなくなるだろう。
「隣人愛」
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創造者はかつて、道連れと自分の希望の幼児たちを探し求めた。ところがどうだ、彼らを先ず自ら創造しない限り、発見することはできないのだと分かった。
「意に染まぬ無上の幸福」
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隣人愛より高いものは、最も遠い者、未来に出現する者への愛である。人間への愛よりなおいっそう高いものは、事業と目に見えぬ幻影とへの愛である。君に先だって歩んでゆくこの幻影、それは、わたしの兄弟よ、君よりも美しいのだ。なぜ君はそれに君の血肉を授けないのか。だが君は恐れて君の隣人へと走るのだ。
「隣人愛」
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「これはわたしの生き物たちだ」とツァラトゥストラは言い、心から喜んだ。「太陽のもとにおける最も誇り高い生き物と太陽のもとにおける最も賢い生き物」
「ツァラトゥストラの序説10」
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