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ニーチェ「流転と破壊の哲学」

ニーチェの哲学は、不変や不動ではなく、変化と運動の哲学です。

彼は氷のように冷たく静止しているものではなく、むしろ太陽のように熱く、自らの力で動く存在を重視しています。

彼は、ヘラクレイトスの流転と破壊を肯定する哲学、そして生成の哲学に最も共感していました。

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唯一なもの、豊かなるもの、動かないもの、満ち足りたもの、移ろいゆかざるものについての目眩病の如き教えの総てを、私は悪、人間の敵と呼ぶ。
『黄金の星はこう語った』「喜びに満ちた島々で」

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「根本において、一切は静止している」──これはまさしく冬季の教えであり、実りのない季節にとっての都合のいい口実、冬眠する者と暖炉にしがみつく者にとってのよい慰めである。

「根本において、一切は静止している」──だが、それに正反対の教えを説くのは、氷雪を融かす暖風である。

この暖風は牡牛である。耕作の牛ではなく──狂暴な牛、怒った角をふるって氷を砕く破壊者である。そして、砕かれたその氷は──橋を打ち破るのだ。
『ツァラトゥストラ』「新旧の表」

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小児は無垢である、忘却である。新しい開始、遊戯、おのれの力で回る車輪始原の運動、「然り」という聖なる発語である。  
『ツァラトゥストラ』「三様の変化」

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君は一つの新しい力であるか。新しい権利であるか。始原の運動であるか。自分の力で回る車輪であるか。君は星たちにも支配の力をおよぼして君の周囲を回らせることができるか。
『ツァラトゥストラ』「創造者の道」

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より高い肉体を君は創造しなければならぬ。始原の運動おのれの力で回る車輪を。
『ツァラトゥストラ』「子どもと結婚」

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一切は行き、一切は帰る。存在の車輪は永遠にまわっている。一切は死んでゆく、一切はふたたび花咲く。存在の年は永遠にめぐっている。
『ツァラトゥストラ』「快癒しつつある者」

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わたしはこの人(ヘラクレイトス)の近くにいると、ほかのどこにいるときよりも、寒さを感ずることがなく、快い気分になる。

かれにおける、流転と破壊との肯定は、ディオニュソス的哲学における決定的要素である。また対立と戦闘の承認、「存在」の概念をすら拒否して憚らない生成の思想──

そこに、わたしはどうしても、今まで考えられたもののうちでもっともわたしに親近関係をもつものを認めざるをえない。

永劫回帰」説、すなわち、万物は制約のない完全な循環を無限にくりかえすのだという見解、──このツァラトゥストラの教えは、結局はすでにヘラクレイトスによって説かれていたと言っていいのかもしれない。
『この人を見よ』「悲劇の誕生3」

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【引用】

ニーチェ、手塚富雄訳『ツァラトゥストラ』中公クラシックス、Kindle版
ニーチェ、手塚富雄訳『この人を見よ』岩波文庫、Kindle版
ニーチェ、小山修一訳『黄金の星(ツァラトゥストラ)はこう語った』鳥影社

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