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効率化は果たして必要なのか?

先日、複数のクライアントさんから似たようなご相談があった。とある会社(A社)からの営業で、「配送クオリティーは猫とかふんどしと変わりません。いまより◎◎%料金を下げた配送をします。」という内容であった。

当然「いいかなぁ」とか承認を求めたい質問であった。ところが私の答えはシンプルに「そんなうまい話あるか」である。むしろ「既存では手の届かない◎◎というサービスに特化しており、その分コストは多少割高になります。しかし御社には必要とおもいますので、ご説明のためのお時間をください。」ならわかる。そもそも大手(猫とかふんどし)が大変なのはもう誰しもしってることである。それなのにそこから安くなることになんの疑問を持たないことはなぜなのだろうか。

当然この話をするとクライアントさんは「安い方がいいんじゃないですか?」といわれる。でもそれは違う。安い方がいいときもあれば、場合によってトータルコストでみたら高く付くときもあるののだ。上記の個別配送の話だって、数十年にわたり国やいろんなところとバトったりした結果としてこんだけ安定した物流網があるだ。それがいくらテクノロジー(笑)をつかっても解決することそうそうありえない、ということに気がついて欲しい。

同じ話がロボットとかの話でもいえる。いま物流業界では右を向いても左を向いても、いや上をみても下もみてもロボットの話だ。別にロボットなるのはかまわない。でもそうじゃない人間じゃないとものすごいコストのかかる部分はしばらく、もしかしたらずっと残り続ける。それこそはしばらくしたらもの凄い付加価値がついて、おいそれと手がでなくなるもになるだろう。だから私は人がかかわる領域と機械がかかわる領域の両足に軸を置いて仕事をしていきたい。

1+1を100万回やらせてもコンピューターは間違えない。だからそういう仕事をするべきだし、そういう仕事以外させてはいけない。さらにいえば、1+1を100万回やったら1回か2回ぐらい間違える人間にしか出来ない仕事もある。そこを見て、じっくり時間かけてやることこそが、私のやりたい仕事である。

そのために必要なのは、効率化を求めない教育が必要になる。効率化を求めないといっても「わからない人間がいてもずっとやる」のではなく「いろんな人にわかってもらう」ような非効率なことをやっていたいら、みんながわかるという結果的に「効率化」されることがあるかもしれない。でもそれは追い求める結果ではないのだ。

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