第三章 晩秋のひかり 6


   6

「泊まってしまったりして……それに、先生がお休みされているところに……」
「ああ。それだったら、私は気にしていません」
 といってから、私はいいなおす。
「気にしていない、というのは違いますね。あなたが……きみがなぜ私の寝床にやってきて眠ったんだろう、ということについては、ずっとかんがえてました。それについて聞きたいと思ってたんです。でも、きみはあれっきり来なくなってしまった」
「すみません」
「ずっとかんがえていました。きみはまたうちに来てくれるだろうか、と。きみが来てくれないことが、私にとっては大きな欠落でした」
 沈黙。
 高い天井の、はるか上のほうかに、エアコンの音が聞こえてくる。外から表通りを車が走る音がかすかに聞こえる。人の声もわずかに聞こえる。重松美沙がいるはずの事務所のほうからは、なんの音も聞こえてこない。
「また行っていいんですか?」
 真衣がいう。その口調になぜか悲しさが聞こえる。その理由はわからないが、もし彼女のなかに悲しさがあるのだとしたら、それを打ち消したくて、私は急いでこたえる。
「もちろん。また掃除を手伝ってください。それから、いっしょに絵を描きましょう。きみに伝えたいことがまだたくさんある」
 真衣の目がぱっと開く。それを見て、私はうれしくなる。
「きみがいないあいだ、寛子さんが来てくれていたけれど、あの人はしゃべりすぎる。相手をするのが大変なんだ。時々とても落ち着かなくなる」
 真衣がすこし笑う。
「でも、きみといるのは落ち着く。きみが来てくれるとうれしいんです」
「私も先生といっしょにいるのが好きです」
「よかった。じゃあ、また来てくれるんですね」
「はい」
「それじゃあ、このあと、私といっしょに家に帰りましょう。もしきみに予定がなければ、だけど」
「なにもないです」
 そして私は思いだす。
「私はもう見たけれど、きみはまだでしょう。ここの絵を見たらいい。すばらしいですよ。よく見るといいですよ」
「はい」
「私はもうすこし重松さんと話をします」
 私は事務所のドアをノックし、それをあける。書類棚、机、パソコン、折りたたみ椅子、段ボール、壁のポスターやちらし、カレンダーなどがごちゃごちゃと詰まった小部屋で、重松美沙が手前の椅子にすわり、奥にすわった若い男性と話をしている。こちらを振り向いた彼女に、私はいう。
「話が途中になってしまいました。すみません」
「もういいんですか?」
「なにがですか?」
「あのお嬢さん」
「ああ。いまあなたの絵を見ています。彼女も絵描きの卵なんです。西田先生の教え子です」

「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@明大前キッドギャラリー(10.28)
「沈黙の朗読」に「音楽瞑想」がくわわり、来場の方にある種の「体験」を提供する、まったくあたらしいハイブリッドなパフォーマンスです。10月28日(水)20時から。

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