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和訳 / 椎名林檎『鶏と蛇と豚』

Thinking of sweetness, stuffed myself even more
甘い蜜を覚えて、お腹がいっぱいになるまで食べた
Afraid it’d run out, had to get even more
なくなってしまうのが怖くて、たくさん手に入れておかないといけなかった
Dripping with honey, ran to store even more
口から蜜をこぼしながら、もっと蓄えるために走った
Gorging, got nauseous, vomited everywhere
でもそうやって蜜を貪り続けていたら、吐き気がしてきて、そこかしこに吐いてしまった

I thought that full was something better
こうやって欲望を満たすのは快感だと思っていたのに
Detestable is how it feels
実際には、そんなことはなかった
Why must this be?
どうして?

The honey used to taste delightful
蜜は、はじめは確かに美味しかったのに
Was it a poison actually
実際には毒だった?
There to trap me?
誰かの罠だったの?
Am I cursed?
私は呪われたの?

I’ve slighted no one
でも、誰からも恨みは買っていないはず
And I’m sure I know myself
自分のことは私が一番わかってる
The best so something’s not right
だから、これは呪いでもなんでもないんだ

This self is the only thing I love
自分自身のことを、何よりも愛している
To hear, to smell, to see, to touch
耳で聴いて、鼻で嗅いで、目で見て、手で触って
To taste is irreplaceable, no less
そして舌で味わう――私のこの五感こそが、何よりも尊く素晴らしいんだ


***

ここからは私なりの解釈だけど、この曲は「ただ欲望に任せて何かを貪るんじゃなく、しっかりと五感を研ぎ澄ませたらいい。そうすれば、欲望を貪るよりも、よっぽど良い体験が得られるよ」ということを伝えたいのかなぁと思う。例えば、空腹にまかせて貪り食うよりも、味覚を研ぎ澄ませて食べたほうが料理は美味しいし、そうすればたくさんの量を食べなくても満足ができる。ただ性欲に任せてセックスをするんじゃなくて、感覚を研ぎ澄ませれば、十分に良い快楽を感じることはできるし、そうすればお酒や薬物の力を借りる必要もない。ただただ欲に身を任せるのは、五感を殺している状態。なにも考えていないし、感じようとしていない。五感を研ぎ澄ませて、ひとつひとつの瞬間をきちんと味わえば、もっといい体験ができる。そんなことを言いたいんじゃないかなぁと思う。欲望に対して受け身になって支配されるんじゃなくて、自らの五感を使って主体的に欲望を飼いならしていけ。そんなメッセージだと考えると、個人的にはしっくりくる。

上記のメッセージは、曲の冒頭で出てくる般若心経のお経の内容「この世のすべてのものには実体がない。耳・鼻・舌・肉体といった器官もないし、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚といった感覚もない」とは真反対だけれど、これが「貪(とん)・瞋(しん)・癡(ち)」の三毒(仏教で最も克服すべきとされている三つの煩悩)に対する、椎名林檎なりの向き合い方ってことなんだと思う。
※曲のタイトル「鶏と蛇と豚」はそれぞれ、貪・瞋・癡の象徴だとされている動物。

仏教はあくまで自分がより生きやすくなるための手段で、すべて仏教の教えの通りにするのが正しいわけじゃない。数千年の歴史を持つ仏教に対して「でも私はこういうスタンスでやっていきますんで」と鮮やかに自分のスタンスを示せる椎名林檎、かっこいいなァ・・・

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