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見えることを、伝える意味

先日、「見えるものを、否定しないで」
という記事を書き


それから数日して
お友達から偶然に貰った言葉が嬉しくて
書き留めておきたくて

※あんまりこういうお話に
 興味ない方は、そっと閉じてくださいませ*


その子は
「見えないけど、感じる」
タイプだということ

なので
「見えないからこそ信じたい」と

“見えない世界”をピュアに信じて
受け入れて
踏み込んで

彼女らしい“見えない世界”と
豊かに暮らしていて

それにとっても感動した

「見えないからこそ信じられる、って凄い!」


私たちは今
視覚情報に溢れた世界に生きていて
だから
「見えるものが確か」
「見えるものがすべて」
と思いがちになる

と、いうか
私がそうだった

感じることを無視して
「他の人も見えること」
を信じようとして
苦しくなっていた


けれど
私の体は世界にひとつだけで

そこで感じることを
感じられるのは
私だけで

それを大事にしないで
いいのだろうかと

 
と、いうか
「見えるものしか信じられない」なら
愛はどうなのだろう?
信頼は?
友情は?

決して見ることも
測ることも出来ないけど

確かに“ある”と感じられるものは
たっくさんある

“見ないから、無い”
なんて
誰が決めたんだろう

どうして信じ込んでいたんだろう


そして

「見えるし、感じているものを、
私はどうして受け入れきれていないんだろう」


あんまり人にはしない
「見えるもの」の話も

彼女は疑わず聞いてくれて

「見える人の話を聞くと、
『本当にあるんだなあ』と
自分の感覚を肯定してもらえたようで嬉しくなる」

と言う

「自分の感覚を肯定してもらえて嬉しかった」
のは私の方で!

ちゃんと自分の感覚を
怖がらず、伝えていけば、
こんな風にお互いの世界を大切に
受け入れあって
幸せな気持ちになることが出来るんだなあ…と


「変な目で見られたら怖いな」
という気持ちは
完全には消えていないけど


“不思議ちゃん”扱いでもいいから
自分の感じたこと
見えたもの
あたたかで幸せなものたちを

ゆっくりゆっくり
伝えていこう


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