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評価はなんのため?

「AやCとかの評価が大事なんじゃない。子どもが頑張っていることが大事なんだ」

「優劣をつけるのなんてかわいそうだ。子どもは楽しいのが一番。学力なんて後からついてくる」


子どもへの評価
特に、小学校で子ども評価することに対して、批判的な意見を時々耳にします。

小学校教諭になったばかりの時、私も同じようなことを考えていた時があります。

「子どもの頑張りにいいとか悪いとかないだろ。みんなよく頑張っているよ。」と。


ただ、今の私は違います。

評価は必要だと考えています。

今日はその考えについて言語化してみようと思います



1子どもの向かうべきより良さへの指標
2授業の在り方についての指標
3評価を気にする人間になってしまうとの批判について
4おわりに



1子どもの向かうべきより良さへの指標

 単元や授業には必ず「ねらい」があります。即ち、その単元や一授業で子どもに身につけさせたい力です。

「ただ子どもが頑張っていればいい。」と、いうわけじゃないんですよね。。。

子どもの作文、作品などなど、成果物を正しく、適切に評価し、子どもの更なる成長を促す必要があるんです。

ちなみに、私は教員養成系の学部に通っていたのですが、毎回の講義で学生にその講義のレポートを課す教授がいました。その方は、毎回、その講義のレポートをその場で読んでくれて、4段階だったかな?で評価をつけたんです。

僕は毎回上から2番目の評価、、
めちゃ悔しくて、「次ぐこそは、次こそは、、、!!」

と、毎回自分なりに工夫しながら挑んでいました。

要点を一度書き出して図(文章構成図のような感じですね)にしてみたり

一番いい評価の友達のレポートを見せてもらったり

教授にどうして二番の評価のか聞いてみたり、、、

大学生でもやっぱり「もっと上手」に「もっとより良く」していきたいものですよね。大人になってもそれは変わらないかもしれませんが






あれ?

これは??


そう主体性、いわゆる「学びに向かう人間性」なのではないでしょうか


適切に評価することは、子どもの「もっと上手になりたい」という気持ちをくすぐり、より主体的な学び手の姿を引き出すことができます。

ただ、これには

子どもが「自分の現在地」「目標とすべき姿」が明確にもてないとそうはなりません。

きちんと基準をもって子どもたちを評価することでこそ、子どもたちは頑張ろうとするんですね。


2授業の在り方についての指標

 1では子どもの側面から評価について考えてきました。

ここでは教師の側面から評価について考えていきたいと思います。

先ほど、単元や授業にはねらい、即ちその学習を通して子どもたちに身につけさせるべき力があると書きました。

そのために私たち教師は子どもの実態を把握し、ねらいを達成できるように発問、課題、教具など様々な手立てを工夫していきます。

では、それらの工夫、手立てが有効だったかどうかはどのようにしてチェックするのでしょうか

それが即ち、「評価」になります。

子どもたちがより高い水準でねらいを達成していれば、その手立ては有効だったんでしょうし、

逆に低ければ、その手立ては的外れなものだったのかもしれません。

このように、評価は教師側からすれば自分の指導がより良いものだったかどうか、そして改善するにはどうしたら良いかを示す指針になるのです。



3評価を気にする人間になってしまうとの批判について

 評価の話をしていると、

「評価評価と言っていると、評価ばかりを気にする子になってしまうのではないか」



という言葉を耳にすることがあります。

確かに、学習は評価のためにするわけではありません。

学習それ自体が価値であり、生きることは学び続けることなのだと思います。

よくいう「評価のための評価」ではなく、評価がその後の指導につながるものにならなければならないとは私も思います。

評価を気にするだけの子になってしまうという危険性について考えながら指導をすることは大事なことだとも思います。



ただ、私はこの点について2点思うことがあります。


1点目は、

だからと言って評価することを放棄することはできないということ。その理由は先ほども書いた通り、児童、教師ともに「よりよさ」に向けてその「現在地」と「目標とすべき姿」を示す指標になるからです。

2点目は、

そうは言っても、周りの評価を気にしない「大人」が労働人口の何%いるのかということです。

おそらく、大多数は評価を気にし、できれば賞賛されたり、高い報酬を得たりしたいと考えているのではないでしょうか。

学習と労働は違うとも思います。しかし、学生という身分の先にはすぐに社会が待っています。その社会をより良く生きていくためには「周りの評価を気にする」というのはある種大事なスキルなのではないかと思うのです。

むしろ、

「評価なんか気にするな」

といった指導をするのは、社会に出た時にギャップについていけない子を育てる子になるのではないかとも思うのです。

少なくとも、

「誰かの下で働く限り、評価はされる。お客様にも評価される。そういう事実も頭に入れておけ」

という方が適切なのではないでしょうか。

まあ、

そう教える教師は周りの評価ではなく、心から「目の前の子どものため」にできることを必死にやることは最低条件だと思いますが、、、



4終わりに


 今回は評価について考えてみました。

書いてみて思ったことは当たり前ですが、「評価には価値がある」ということ

そして、

教師が適切な評価をすることが大事



だということです。


私も評価をする際には未だに四苦八苦しています。

何がよいのか。。。


ただここで大切なのは「カリキュラムマネジメント」ですよね。

ねらいが明確にあり
そのための単元計画があり
一時間ごとの流れやねらいがあり
そして、評価がある

そう言った全体像を「イメージ」し、学習を経た子どもの姿を「イメージ」すること


先に書いた教授、田村先生も

「教員に大切なのは『イメージ』だ!」

とおっしゃっていたことを覚えています。

今はその意味が痛いほどわかりますね。


適切でブレない評価


私も今一度考えていきたいなと思いました。


今日はこれでおしまい。。


参考
文部科学省 「学習評価の在り方について」
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1364317.htm

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