離れる距離と寄せる想い。

 感染しないようにと、ソーシャルディスタンスが耳にタコができるほどに残っている人も多いことでしょう。そのうえ、マスク着用まで…そんなマスク着用をお願いする立場の人も、日々苦労されていることが手に取るようにわかります。そこで今日は…

「物理的な距離を開けて、必要になるのは、やっぱり物理的な距離。」

 そんな話。


 公共交通機関を利用して通勤している人は、数万人・数十万人という人が公共交通機関を利用して出勤・退勤をしています。それが日本の屋台骨を支え、それに付随するように、飲み屋街などが発達してきた日本です。
 各地に点在する飲み屋街は、サラリーマンたちにとっての憩いの場そのものです。仕事の疲れを癒すにはもってこいの、綺麗なお姉ちゃんと大好きな酒という、最強コンボを提供してくれる店が、ずらっと並んでいるのですから。

 そんな場所でも、マスク着用という単語が躍るようになり。日々、新たな生活習慣が求められてきています。人間の歴史を紐解いていくと、数多くのウィルスと戦ってきた歴史が垣間見えます。
 そのたびに生活水準が変わり、新たな習慣が生まれてきています。そんな中で新たに日本で叫ばれてきたのが…ソーシャルディスタンスです。物理的な距離を開けて、感染を防ぐために用いられたこの言葉。

 多くの人に浸透し、これが当たりまえになってきています。しかし、常にこれを意識して生活するとなると、骨が折れます。一朝一夕にいかないのは明らかで、なかなか身につかない人も当然います。
 まして、物理的に距離を置くことができない人もいますし、接客業などはその最たるものです。接客の商いこそ‘お客’がいての商売なので、打撃を受けるのは間違いなしです。

 そんな中でも、図太く続けていけている店もあります。ソーシャルディスタンスは離れるための象徴的な言葉ですが、その距離を縮めるきっかけになりそうなのが、この飲み屋街や接客業に隠されています。
 日々どこかしこで起きてしまう、マスク着用に関する口論。ニュースを聞いていて、悲しくなってしまいます。物理的距離だけではなく、心理的な距離まで離れてしまったいい見本です。

 本来なら、寄り添って相手の意図をくみ取れる距離まで近づく必要があったのに、ソーシャルディスタンスの名のもとに、いつしか心理的な距離、サイコラジカルまで離れてしまったということになります。
 言葉を介して伝わることでも、それは‘すべて’ではありません。そのため、意思の祖語が生まれてしまい、どうしても口論へとつながりかねません。ソーシャルディスタンスで生まれた距離は、こんなにも遠かったのか?と思うほどに離れてしまっているのかもしれません。

 それでいて、その距離を埋めるのには、一朝一夕ではいかないものです。離れるのは簡単。しかし、寄り添うのはなかなか時間がかかるものです。この、日々新しい生活習慣が求められる中で、人に与えられた‘課題’なのかもしれません。
 その難題に取り組みながら、悪戦苦闘しつつ、ソーシャルディスタンスを保ちながら、サイコラジカルディスタンスをいかに縮めるかが問題になってきます。ソーシャルディスタンスをお願いするにも、お互いの心理的な距離が離れていては、お願いが聞いてくれないことも多々ありますからね。

 ソーシャルディスタンスで物理的な距離は確保できましたが、それに比例して、無くした距離も大きいですね。このなくしたものを、数年をかけて取り戻せる未来は紡げるのでしょうか。
 今日の選択が未来を変える中で、一歩ずつちょっとずつ変われば、明日が変わっていきそうな感じは見えてきますね。あながち、心をつなぎとめる鍵は、意外と身近にあるのかもしれませんね。灯台下暗しです。

 そんな問題提起が繰り返される中、新たな生活習慣へと先が見えない未来へと舵を切ることになる人は、いい未来が描けるようになりたいものですね。

支援してくれる方募集。非常にうれしいです。