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背中を見て育つ子供。いつしかその子供も同じように…

 子供にとって、最初に接する大人が両親となり、生活をする上で重要なことを教えてくれます。しかし、その教え方は人それぞれ。あれもダメ、これもダメと、厳しく接する親もいれば、放任主義で本当に危ないことだけを教えてくれる親もいます。そこで今日はこんなテーマ。


「親の心子知らず、子の心親知らず。でもそんな子も、いつしか親になる。」

そんな話。


Capter 1 あれもダメ、これもダメと禁止ばかり言ってしまう。

 けがをしてほしくない両親は、どうしてもアレもダメこれもダメと、強く言い含んでしまうことが多くあります。それは親として、子供に怪我をしてほしくないため、どうしても語気が強くなってしまいます。
 そうすると、子供はどうして?と質問の嵐になってしまいます。自分がやろうとしていることを否定されてしまうのですから当然ですね。しかし両親としては‘失敗する’ことが目に見えているうえに、失敗したら怪我をしていたい想いをする我が子は、見たくないものです。
 それが、語気を強めるという態度に出てしまうのです。それが悪いことでも、正しいことでもどちらでもありません。

 時にそんな親は、朝晩の仕事にと明け暮れ、子供のそばにいることができないこともあります。まして、共働きならなおのことそばにいることができません。本来であれば、どちらかが片親として家に残っている場合が多かったのですが、今はそうはいきません。
 そのため、家にぽつーんと子供一人在宅してしまったり、幼稚園に学校にと預けるのが普通になります、特に祖母や祖父と住んでいない核家族ではこれが顕著になってきます。

Capter 2 親も一年生。二人目なら一人目を踏襲してしまう。

 娘や息子を育てる両親は、一人目なら親一年生です。祖父や祖母と一緒に暮らしているのなら相談のしようがあります。まぁ、対面でなくともテレビ電話やネット通話でできることもありますが、どうしても‘人同士の温かさ’までは伝わりません。
 いつか、ロボが人の温かさまで再現してしまうのでしょうか。まぁ、それもどうなんだろう、と思ってしまいますが。人同士が触れ合うことで感じる‘安心感’は何事にも代えられません。

 そばにいることが大事で、存在そのものが価値を生んでいくことになります。その人の呼吸、言葉。歩く音などの生活音を通じて、その相手がいることを無意識に感じ、安心しているという気分を味わえます。
 そこには親の生活があって、息子や娘を献身的に支えてくれるのですから、貴重なサポーターとも言えます。そんな親一年生の両親も、その親となる祖母や祖父がいるわけで、教えられることも多々あります。

 核家族であればなおのこと、定期的に電話で相談するもよし、右も左もわからない状況で、明日へと舵を切っているのですから、不安でたまりません。どれが正解でどれが答えなのかわからない状況での子育ては、大変の二文字では語りつくせません。
 悩みながら子育てをすることになる両親は、時々祖父や祖母から助言を受けながら育てることになるのです。ならば、どうしても辛く当たってしまうのも無理はありません。


Capter 3 どちらも最初は手探り。それでもいつしか寄り添える。

 これと同じことが、思春期にも訪れます。それが‘恋’です。相手のことを知らず、少しずつ知っていくものの、手探りで好きも嫌いもわからないままで、相手をすることになります。生まれて初めて接するのは親ですが、生まれて初めて出会う同年代は、幼稚園で初めて出会うことになります。
 新たな場所‘幼稚園’での出来事で、いろんな価値観に触れ、悪戦苦闘することになります。それでも、保育士の人から教えられながら、人として成長していくことになります。

 何がダメで何が良いのかは、完全に手探りの状態。それでも時間をかけていくことでいつしか、親友になり未来を飾っていくことになります。
 これは、親子の関係も同じです。最初こそ反抗期や思春期などにより、両親が煙たがられることはたくさんあります。しかしそれは‘通過点’にしかすぎません。いずれ反抗期も脱しますし、思春期も終えます。ならば、両親はどっしりと構えて‘ダメなこと・やってはいけないことだけ’を教えて、あとは自由にというのも、選択肢のひとつです。

 そんな子供は、あれほど嫌!と思っていたものの、いつしか成長していくと、親と似たものが好きになったり、趣味嗜好が似ているなんてことはザラにあります。そんな両親の背中を見て育った子供は、いつしか両親を追い越すことになります。
 そうして、ようやく育児というテストが終わったような気分になるのです。そうして、あれほど小さかった息子や娘がいつしか親となり、巣立っていく様は、感慨深いものがあります。

 そして今度は、自分が祖父や祖母として息子や娘をサポートする側に回ります。そして子は気づくのです。親の気持ちになってみないと、わからないことがあるということを……
 あれほど嫌っていた自分があほらしく見えてくるのです。そんな日常を繰り返しながら、新たに学んだことを子供に伝えていける親になりたいものです。

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