【シジョウノセカイ】《日常》④

【4、コーヒーのように苦く、たこ焼きのように熱い】

「わぁ!まだまだたくさんお店があるよ!!」

「おーい、走るなよー。転ぶぞー。」

 後ろからじゃがバターを手に持つユダチが声をかけた。

「わかってるよぉ。もう子供じゃないんだし!」

「子供だろ…」

 スカイがボソッと呟くがアイラには届いていない。

「あっ!!ルファラ、あっちにお面屋さんがあるよ!!」

「あら、本当ね!」

「行こう!!」

「あっ、おいまたっ!!離れるなって!!」

 スカイの呼び声虚しく、アイラとルファラはお面屋へとかけていく。

「あーあ、行っちまったな。」

 他人事のようにユダチが呟く。その言葉にギロリとスカイが睨むがすぐに大きくため息を吐いた。

「まったく、一緒に花火見たいって言ったのは誰だよ。」

 呆れた残りの3人が2人のかけて行った方をぼんやりと見つめる。するとヨンシーがくるりと踵を返し、片手を上げた。

「じゃ、ボクも行くよ。」

「はぁ!?」

 スカイが素っ頓狂な声を上げるのも気にせず、ヨンシーは来た道を引き返し始める。

「お前、花火見ないのかよ?」
 
 ユダチがじゃがバターを口に含みながらヨンシーに聞く。

「見るよ。見るけど、どこで見たって同じでしょ?」

「アイラとの約束は?」

 スカイの言葉にヨンシーの足が止まる。

「ルファラにも言われて納得したんじゃなかったのか?」

「別に。どうせ彼女たちはボクたちのこと忘れちゃってるんだろうし、1人くらいいなくなっても気付かないんじゃない?」

 そう言ってスタスタと歩いて行ってしまった。

「…ありゃ拗ねたな。置いてかれて。」

 ぽつりと言ってから長く大きなため息を吐くユダチ。そしてボリボリと頭を掻くとスカイに向き合う。

「ま、しゃーねーや。オレたちだけで楽しもうぜ!」

 その言葉にスカイも小さくため息を吐く。

「…気乗りしないがな。」

「おっ、言ってくれるじゃねぇか!じゃあ、目一杯楽しませないとな!!」

 そう言うとユダチはニカっと笑う。それを見てスカイもふっと笑った。
 たくさんの食べ物屋の屋台はどれもおいしそうで目移りしてしまう。ユダチは片っ端からそれらを物色し購入、買った側からむしゃむしゃと食べていた。その様子を顔を顰めたスカイが見つめる。

「よく食うぜ、まったく。」

「いいだろ?うまいぜ?」

 むしゃむしゃと食べながらユダチがニカっと笑う。

「楽しまないと損だぜ?せっかく来たんだからな!」

 『ボクは損をするのが嫌いなんだ。』

 スカイの頭にヨンシーの言葉が蘇る。

「…そうだな。」

「あっ!りんご飴あるぜ!食うか?」

「…いらん。」

「あ、そっか!お前、甘いもんダメだもんな。悪りぃ悪りぃ。」

「……」

 スカイは思わず昔のことを思い出す。昔、ある研究施設にスカイは収容されていた。そこでは実験体としていくつもの人体実験を毎日のように施されていた。それは辛く苦しいもので、赤ん坊の頃から施設にいたスカイでも、何年経っても慣れることのないものだった。そしていつも実験が終わると飴をくれる女性がいた。「お疲れ様。よく頑張ったね。」と。
 その女性は小さな子供たちが実験の道具にされ苦しみ、時に死んでいく様を見ていられず、施設に実験を止めるよう強く訴えていた。それを問題視した施設側が彼女に実験に使う薬品を投与し、そのせいで彼女は醜い化け物となって暴走。施設を壊滅させるほどに暴れ回った。それによりたくさんの人間が死んだ。その時の生き残りがスカイである。それ以来、スカイは飴や甘いものを見ると当時のことを思い出し、吐き気がするようになった。

 甘いものと言えばまた別の思い出がある。ルファラがユダチたちの家でクッキーを焼いていた日のこと。その日スカイは出かけていていないはずだった。しかし、仕事が早く終わりついでにとユダチたちの家にと立ち寄ったところ、部屋中に広がる甘い匂いに思わず口元を押さえた。

「ごめん!今日来ないと思って後で換気しようと思ってて!」

「…いや、いい。」

 ルファラの慌てた声に精一杯嘘をつくのが限界だった。正直苦しかった。早くここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。むせかえる甘い匂いに吐き気を催し、反射的に涙が滲む。
 そこにユダチがやってくると現状を知るや否や、すぐにキッチン台の上や下の戸棚を開けて何かを探しだす。そして「あったあった。」と取り出したのはインスタントコーヒーの入った瓶。それを片手に今度はケトルに水を入れスイッチを押した。

「えっ!?コーヒー!?嫌いなんじゃなかったの!?」

「んー?何がぁ?」

 ルファラが素っ頓狂な声を出すもユダチはとぼけた声を出した。ユダチはコーヒーの匂いが嫌いだ。だからこの家にコーヒーは置いていないはずだった。それなのに実際はインスタントコーヒーを家に置いていた。それが意味するところをその時は誰もわからなかった。
 お湯が沸くとすぐさまマグカップにドバドバと適当にインスタントコーヒーを入れ、そこにお湯を注ぐ。すぐさま辺り一面コーヒーの匂いが充満した。するとさっきまで香っていた甘い香りがコーヒーの匂いに押され、少しだけ和らいだ。

「ほい。」

「……」

 匙加減も何もない適当に作られたコーヒーは無言のスカイの手に渡った。そしてそれをゆっくりと恐る恐るスカイは口にした。

「…まず。」
 
 思った通り、おいしくはなかった。

「そっか!悪りぃな!」

 しかし、スカイはそのユダチの心遣いがとても嬉しかった。甘い匂いを打ち消すために入れてくれたコーヒー、わざわざいつかこんな日が来るかもしれないことを思って家に置いておいてくれたコーヒー。あの味を、思いやりを、スカイは一生忘れないだろう。

 ふと意識を戻すとユダチの姿が見当たらない。どこに行ったと探すとすぐ近くのたこ焼きの屋台でたこ焼きを買っている。

「ほいっ!」

 買い終わるとすぐにスカイの元に戻ってきて一つ爪楊枝に刺してからスカイの目の前にたこ焼きを差し出す。

「食べろよ!うまいぜ?」

「はぁ!?」

「早くしろよー。ほら、たこ焼き落ちるぜ?」

「…!」
 
 さすがにそれはまずいとスカイは急いでユダチが持つたこ焼きを口に入れる。

「っ!!あっつ!!!」

 出来立てほやほやのたこ焼きは大層熱く、スカイははふはふと口の中のたこ焼きを必死に転がしながら熱を覚ます。

「ぶわはははっ!!」

 ユダチはスカイを指差し大いに笑う。それに対してスカイは、未だ熱い口の中を手で隠しながらギロリとユダチを涙ぐんだ目で睨む。

「っ!!おっ、お前なっ!!〜〜っ!!」

「だはは!!熱いに決まってんだろぉ〜?バッカだなぁ、お前!!」

 ユダチは腹を抱えてさらに笑う。
 スカイは手間取りながらもなんとか飲み込み込んだ。

「はぁー、おもろっ!」

 ようやく笑い収まったユダチが、目尻の涙を拭いながらバンバンとスカイの肩を叩いた。

「いやぁー、悪かった悪かった!」

「思ってないだろ!!まったく!!」

 スカイはぐるんと肩を回し、ユダチの手を振り解いた。

「悪かったって!」

「……」

 謝っているのかいないのか、にこにことしているユダチをムスッとした顔でスカイは見つめる。だがユダチは特に気にしている様子はないようだ。

「うまかっただろ?」

「……はぁ。」

 本当にしょうもない人間なのだ、ユダチという男は。つくづくスカイは呆れた。しょうもないことしてはしょうもなくゲラゲラ笑って、怒ったところで暖簾に腕押しなのだ。
 ユダチはスカイの隣でふぅふぅとたこ焼きに息を吹きかけて冷ましている。それはとても幸せそうな姿でスカイの顔は思わず綻んだ。
 しかし、少しだけ寂しくも思う。この幸せはいつまで続くのだろうか、と。家に帰ればまたいつもの日常が戻ってくる。またユダチはいつものようにアイラのために生きていく。スカイのためには生きてはくれない。
 あの日、あの恐怖の研究施設からユダチはスカイを救った。その瞬間からスカイにとってユダチはかけがいのない存在となった。誰よりも憧れ慕い、誰よりも手に入れたい人物となったのだ。なのに、ユダチはスカイを孤児院に預け置いていった。とてつもなく悲しく、許せないことだった。なのに、別の施設でユダチはアイラを引き取った。スカイの知らないところで。とても許せるものではなかった。何故自分は置いて行かれ、何故彼女は引き取られたのか。わからない。悲しい。寂しい。憎い。許せない。ユダチも、そしてアイラのことも。
 彼女がユダチの全てであることは明白だ。それがスカイにとって何よりもどんなことよりも許せないことだった。何故そこにいるのが自分じゃないのか。何故ユダチは自分に対し、このような仕打ちをするのか。ずっと考えている。置いて行かれたあの日からずっと。しかし、今日だけは、今この瞬間だけはユダチは自分だけのものだ。誰にも邪魔はさせない、たとえ天地がひっくり返ろうともこの人を手放す気はない。そう強くスカイは考える。そしてそれだけスカイにとってユダチという男は特別な存在なのだ。

「大丈夫か?」

 ぼんやりしていたスカイにユダチが声を掛ける。

「あ、あぁ。」

「じゃ、行こうぜ。」

 スカイの言葉を聞くとユダチはまたニカっと笑い、歩き始める。
 スカイは思う。いつか必ず手に入れると。それは父としてか、兄として、はたまた自分だけのヒーローとしてなのか、スカイ自身よくわかっていない。それでも確かに、本気で手に入れたいと考えているのだ。
 ユダチはそんなスカイの想いを知ってか知らずか、ただ前を向いて歩いている。いい気なもんだ、とスカイは少し憎らしくも思った。
 花火が上がるまであともう少し。2人は人混みの中をゆっくりと並んで歩いていく。その距離は少し手を伸ばせば届きそうなほど近い。いっそ伸ばして掴んでしまえば手に入るかもしれない。しかしきっと、ユダチはするりとその手をすり抜け、またどこかへ行ってしまうのだろう。それがわかっているからこそ、スカイはもどかしいのだった。


【4、コーヒーのように苦く、たこ焼きのように熱い】おわり  裕己

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