【シジョウノセカイ】《日常》⑥

【6、君は…】

 ルファラは走った。とにかく走り続けた。人混みを掻き分け祭りの喧騒から少しでも離れようと、暗い夜道をひたすら走る。

「あっ!」

 足がもたつきその場に膝から崩れ、鋭い痛みが走る。ルファラはあまりにも惨めな状況にその場から動けなかった。

「…もう、ヤダ。」

 ルファラの目にまたも涙が浮かぶ。しかしここでじっとしていても仕方がない。せめてどこか座れる場所を見つけて落ち着きたい。そう思い涙を拭い、ゆっくりと立ち上がってふらふらとおぼつかない足取りで歩き出すと、いくらか歩いたところで上から声が降ってくた。

「どうしたの?こんなところで。」

 聞き覚えのある声に顔を上げると、石階段に座るヨンシーの姿が目に入った。

「…あっ。」

「……」

 ヨンシーはルファラをじっと見つめた。ルファラにはその視線がとても気まずく、余計に自分を惨めなものにするようで目を合わせることができなかった。

「座ったら?そんなとこにいないでさ。」

 そんなルファラの心情を気にも留めず、ヨンシーは自身が座っている隣を軽く手のひらでぽんぽんと叩く。ルファラは戸惑ったが断る理由もなく、恐る恐る階段を登る。一段また一段と階段を登ると、ふわりと広がるヨンシーが買い込んだ戦利品の匂いが辺りを漂ってきた。その香ばしい匂いと浴衣に染みついたビールの匂いが混ざり合って、それがあの瞬間を嫌でも思い起こさせるため、ルファラは少し気分が悪くなった。

「……」

 そっとヨンシーの隣にルファラは腰掛け俯く。そんなルファラの様子に、ヨンシーは戦利品の一つであるまだ温かいイカ焼きを差し出した。

「あげる。」

「……ぁ…」

 ルファラはお礼を言おうとしたが、何かが喉に詰まったような感覚がしてうまく言葉が出せなかった。ヨンシーはそのまま前を向いてしまった。
 ヨンシーの顔を見るどころかお礼を言うこともできない自分自身がただ情けなくて、ルファラはまた俯いてしまった。
 沈黙。聞こえる音は風の流れる音、虫の声、遠くに聞こえる祭りの喧騒、そしてルファラの隣で焼きそばを啜るヨンシーの咀嚼音だけ。何もしゃべることができない、そしてしゃべりかけてこない。ルファラにとってその状況がとにかく気まずかった。何かこの状況を打開できるものはないかと思案していると、ひゅるるるどーーーんと大きな音が鳴り響く。

「やっと始まった!あぁ、よかった。この場所はやっぱり穴場だったね。いいとこ見つけられてよかったよ。」

 ヨンシーの声が花火の弾ける音と共に聞こえる。
 あぁ、だからここにいたんだ、とルファラは花火に照らされたヨンシーの顔をそっと眺めた。
 ユダチたちとはぐれた後、ヨンシーは一人花火を見るためにわざわざ会場から離れたこの場所を探していた。たくさんの戦利品を持って。
 わざわざ1人で来ないでみんなと一緒に観ればいいのに、とルファラは考えた。しかし、ヨンシーらしいとも思った。他人と馴れ合わず、独り静かに過ごす時間を好む。それがヨンシーという人間なのだ。
 それなのに、邪魔してしまったことへの罪悪感がルファラをまた俯かせる。
 花火の音が、光が、2人を包み込む。花火は大きく鳴り響き辺りを煌々と照らし、その勢いはフィナーレに向けて一層増していく。空がまるで花火に支配されたかの如くそれはそれは輝いていた。そして最後の花火が上がった後、ようやく空は落ち着きを取り戻した。

「……」

「……」

 さっきまであんなに騒がしかった辺りは、シーンと静まり返っている。ルファラの膝の上にあるイカ焼きは、すっかり冷めてしまった。

「食べないの?」
 
 ヨンシーが唐突にルファラに声をかける。ビクッと肩を跳ねさせ、ルファラはヨンシーを見た。ヨンシーはまだ残っていた戦利品のベビーカステラを食べている。

「…あ、ごめん。せっかく買ったのに…」

「別に。いつでも食べられるし。」

 そう言ってもぐもぐとベビーカステラを頬張っている。
 ルファラが何か言おうと言い淀んでいると、ふとヨンシーがベビーカステラを食べる手を止めた。

「嫌なやつに会ったもんだね。」

 それだけを言うとまたベビーカステラを食べ始めた。
 ヨンシーは気付いていた。いや、気付かない方がおかしい。祭り会場から離れたこの石階段までよろよろになるまで走ってきたのだ。しかも浴衣の胸元にはビールがかかっている。その酒臭さに、ヨンシーは祭り会場で何があったのか瞬時に察した。

「……っ!」

 ルファラの目におさまっていた涙がまたあふれ出し、その雫がポタポタと冷めてしまったイカ焼きの上に落ちていく。辛くて悲しくて情けなくて、とてつもない後悔がルファラを襲う。

「あ、あたし…やっぱ来なきゃよかった…!」

 絞り出すようにルファラは話し出した。

「あ、あたしなんかが来ていい場所じゃなかったんだ!なのに浮かれて…浴衣なんか買っちゃって…!バッカみたい…!!…もう嫌だ…なんで、なんであたしばっか!!」

 ボロボロこぼれ落ちる涙を隠すように両手で顔を覆うルファラ。そんな彼女の様子をヨンシーは隣で静かに伺っている。
 浴衣を買いに行った日、ルファラはとても緊張していた。人とすれ違うたびビクビクと怯え、常に猫背で周りをキョロキョロと見渡していた。そんな不審者同然のルファラの手を引くのはいつだってアイラだった。アイラは楽しそうに「かわいいのあるといいね!」「どんな色がいいかな?」「柄はどうしようか?」とたくさんルファラに話しかけていた。その様子を後ろからユダチ、スカイ、ヨンシーは微笑ましく眺めていた。
 売り場についても落ち着かずルファラは怯えていたが、アイラは構わずたくさんの浴衣の中からお気に入りを探していた。これがいいか、あれがいいか、と何度も考えその都度ルファラに「どうかな?」と聞いていた。ルファラは最初はうまく答えることができず、曖昧な答えばかり返していた。それでもめげずにアイラはルファラに問い続けた。しかし、そんなアイラに感化されたのか少しずつルファラも勇気を出し始め、自分から率先して「これはどうかな?」「こっちは派手すぎるかな?」と意見を言うようになった。とても和やかな時間だった。
 そんな時間をルファラはすべて後悔した。あの瞬間は確かに楽しかった。幸せだった。自分にもこんな幸せな時間を過ごしていいのだと嬉しく思った。しかし全て間違いだったのだとルファラは絶望した。ルファラの涙は止まることを知らず流れ続ける。
 ふいにヨンシーはベビーカステラを食べるのをやめた。そして横に置いてあったペットボトルのお茶を手に取り蓋を開け一口飲むと、ふぅとため息を1つこぼしぽつりと呟いた。

「よかったと思うよ。」

「…えっ?」

 ルファラは驚いてヨンシーに振り返る。しかしヨンシーは未だルファラを見ず、前を向いている。そしてそのまま自分の想いを吐露し出した。

「楽しそうだったじゃない。君は浴衣を買いに行く時渋ってたけど、でも嬉しそうだった。浴衣を選んでる時も、不安そうにしながらも楽しんでるようにボクは見えたよ。
 君はいつも自分の見た目を気にして遠慮して好きなものを買えずにいたけど、今回は勇気を振り絞って買いに行ったじゃない。それはアイラにねだられたってのも大きいと思うけど、それでも君は浴衣を買って、着て、それでお祭りに来たじゃないか。それは普段の君からしたらとてもすごいことだとボクは思うよ。」

 そこまで言うと、ヨンシーはようやくルファラに顔を向けた。その目は真っ直ぐとルファラを見つめている。

「ボクはそんな君のことを尊敬するよ。」

「……っ!!」

「君は化け物なんかじゃない。ボクが保証する。君を悪く言う人間は見る目がないんだよ。上辺しか見ない愚か者さ。」

 ヨンシーはまたプイと正面を向いた。

「浴衣、似合ってるよ。」

 ヨンシーは静かに言い切った。
 ルファラの目からさらに大粒の涙がこぼれ落ちた。顔はくしゃくしゃに歪み、大きな声を上げながらわんわんと泣いた。
 そんなルファラが泣き止むのをヨンシーは正面を向いたままただじっと待っていた。


【6、君は…】おわり  裕己

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