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ギフトのつづき

※タイトルはオマージュです笑

お葬式が済むと
帰りたくて帰りたくて
仕方なかった
おじいちゃんが
やっとおうちに帰ってきた。

エキセントリック父ちゃんは
じつはなんだかんだと
気の利くところがあって、
とみこがおじいちゃんと語り合うにも
おともだちが会いに来てくれたときも
負担にならないようにと、
椅子に座れる高さに後飾りを作るための
机を出してくれた。

あのどんどん動く写真立てを
やっといて、と指示もくれた。
あぁ、デジタルフォトフレームね。

せっかちは翌日に密林から
それを届けてもらって、
写真を増やすためのアプリも
母ちゃんと妹のスマホに入れた。

スマホの中をみんなして遡り、
昔のアルバムを引っ張り出してきては
写真の写真までどんどん足している。

ナイス父ちゃん。
これらは本当にそうしてよかった
アイディアたち。

まったくあまのじゃくで、
還暦すぎて未だ思春期、
と思ったら喪主挨拶では
素直になりすぎて
娘がたくした原稿を
ぶち飛ばしてほろりしちゃう
ロックな息子の愛も
おじいちゃんならちゃんと
受け取ってるんだと思う。

どーしよーもないけど
どっかおじいちゃんに似てる
ばか父ちゃんのことも、
わたしはすきだ。

おじいちゃんが亡くなった翌朝
おじいちゃんにそうしたみたいに
父ちゃんの腕をもちあげて
もぐりこんで、
いい子いい子してもらった。

小さい声で、
とんでもない人を
ライバルにしてしまった。
とてもかなわないって
呟いてた。

おやじ!
現実見えてたか!笑笑笑
※あまのじゃくの娘はあまのじゃく


10年前、
玄関のドアチャイムを聞いて
義妹とわたしがそれぞれ玄関に出たら
誰もいなくて、
後から聞いたらちょうどその時間に
いとこが旅立っていた。

ということがあって以来、
霊力とかスピリチュアルなスキルが
なんにもないわたしでも
ただよっている愛みたいな
エネルギーを信じるようになった。

おじいちゃんは、
まったく常温で買ってきて
常温に置いていたビールを、
缶が汗をかくほど冷やして
母ちゃんを驚かせたり、

たーくさんのからすたちを
ちょうどおじいちゃんの部屋の屋根の
上あたりに集めてみたり、

納棺式に自動ドアから入ってきたり、

わさびのとけた醤油の映像を
送りつけてお刺身食べたいアピールを
してきたり、

いたずらざんまい。

おじいちゃんは、かわいい。

たまたま起きた現象や
ふとよぎった思いに
わたしたちが勝手に
おじいちゃんの像を
重ねているのだとしても
それはそれでおじいちゃんがしたこと、
みたいな感じがする。


お葬式が済んでも
自治体まわりへの連絡の手伝い、
家に会いにきてくれる方への
お返しやお茶菓子の支度、
四十九日法要のおやくそく、
いただいたお香典や名簿の整理、
お支払いまわり、
本位牌やおじいちゃん用の仏具の手配、
読売新聞一面の「移植」シリーズを
毎日読む←
とかでなんだかんだ忙しかった。

後からすることの中で、
とくに大切にしたいと思っていたのは
ナースさんたちへのご挨拶。

お礼の手紙に失礼がないかどうか
ドクターのともだちに念の為
見てもらったり

せっかちなので
並ぶのは苦手だけど
きゃわいいお菓子を並んで
買ってきたり。

おじいちゃんからの贈り物だからね、
洒落こまないと。

病院の入口から
ナースステーションまでのルートには、
焦りとか寂しさとかが
それなりに残っていて、
少しぎゅっとなった。

落ち着こうと思って
深呼吸をしてみたら、
病院のあの匂いを吸い込みすぎて
おへっ!てなった。あほか。

ちいさい深呼吸をし直して辿っていくと
これは本当になんとなくだけど、
おじいちゃんがわたしの右肩の方から
そこに残る想いを
感謝に塗り替えていってくれたような
感じがした。

ナースステーションに顔を出すと
「あああ島田さん!ご家族の皆様は
 大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。

泣いちゃいそうになってあわてて
ぼちぼちでんな、みたいな
変な返事になってしまって笑った。

ナースの皆さんが
家族を心配してくれるくらいに
おじいちゃんは愛されてきたんだと思ったら
恐縮しつつも誇らしくなった。
これは本当になんとなくなんだけど、
おじいちゃんがわたしの右肩の方から
ドヤっていた感じがした。


一週間とは、
ふしぎな長さだ。

ちょうど一週間まえの今ごろ、
おくりびとをお願いしますと
20キロのまぶたで伝えていた。

今は東京の自宅で
水の流れるYouTubeをつけながら
5キロくらいになったまぶたを
こじ開けて
いくつかグリーフケアの本を読んだり
こうしてnoteに書き留めたりしている。

まだいろんなことを
鮮明に思い出せるけど、
おじいちゃんへの最後の肩揉みは
もうかなり前のことにも感じて、
でもおじいちゃんがもういないなんて
実感しきれてもいなくって。

だからグリーフケアの本の中身も
実はあんまりちゃんとは
入ってきていない。

でもその中にあった
「ギフト」ということばは
ここまでにあったいろいろを
忘れないうちに書き留めておくための
親指を動かしてくれた。

おじいちゃんが
いなくなっちゃうのと引き換えるなら
ギフトなんかいらなかったけど
それにしたって
ギフト残しすぎでしょう。
忘れないうちにぜんぶ書いとく。

下手くそでもいい…とは思うものの
こんな最高の最期のこと、
南杏子先生や夏川草介先生に
書いてもらえたら…なんて
妄想する程度にわたしは医療小説オタだ。

すごくすごく寂しいのに
寂しくなくなる気もしてくる。

身軽になって
どこにでも寄り添える様になった
おじいちゃんは、あちこちに呼ばれて
とっても忙しいだろうね。
おじいちゃんらしい。
うちにもちょこちょこきてる感じがするし。

さっきね、ふっと
おじいちゃんのにおいがしたよ。
おじいちゃんくさい、愛しいにおい。
※不快な匂いではないです笑

おじいちゃんがくれたギフトは
おじいちゃんそのもので
その生きざまで、温かさで、愛で、
とにかくやさしい。

でもさ、どうしても
あいたいんだよ。

まぶたが軽くなるまで
まだあと一週間くらい、
かかりそうだ。

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