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人や場所、大切なものとの出会い(旧バージョン)

出会いとは運命か?それとも宿命か?

 2023年3月で今の職場を退職することになった。私の仕事と人生が一つの区切りを迎えた今、今後の自分のセカンドライフを豊かなものにするために考えることは多い。これからの人生で自分は何を目指すのか、何を成し得るのか、その道しるべに繋がるような幾つかの出会いについて今日は書いてみようと思う。私はこれまで恩義ある人に何かを報告をしに行くとき、大切な人のお祝いの席に出向いたとき、あるいは知人に何か苦しいことがあって馳せ参じたときに、人生を左右するような人やモノと出会うことが多かった。ひとつの縁を大事にすると、それが新たな縁に繋がっていく、その想いはこれからも大切にしていきたい。ここ数年の私の大切な出会いは

  1. 私の仕事や人生のコアな部分を支えてくれることになった人との出会い。

  2. 写真世界との出会い

  3. オンラインサロンとの出会い

  4. フォトコンテストとの出会い

  5. 表現することの意味を問い直すきっかけになった本との出会い

それらについて考えをまとめてみたい。

大切な人との出会い

 ある年、恩義ある人がスポーツの大きな大会で優勝して全国大会への出場を決めた。毎年、大会の後の恒例行事だった飲み会が祝勝会に変わっていた。私は遠いところに出張していて優勝のニュースを聞き、その会には間に合いそうになかったが、何とか会場に馳せ参じた。しかし到着した時は、その会は終わりかけていた。関東から新幹線で大阪に戻る、きつい行程だったが、ぎりぎり間に合ってほっとしたのを覚えている。その会で偶然名刺交換をした若者が、鍼灸学校に在籍中の学生でスポーツトレーナーを志していて、色々話してみて、一度うちに来てみるかと誘ってみた。数日後に練習場所まで来てもらって、私の持病の腰の治療をお願いして様子を見た。まだ鍼灸師の卵で国家資格を取得前で、鍼は試せなかったが、やる気と礼儀正しさが何か心に刺さる部分があって、その後、うちのトレーナーとして大会や合宿に帯同してもらうことになった。彼自身もスポーツトレーナーになりたくて鍼灸の学校に進み、ボランティアでいくつかのスポーツチームのコンディショニングを手伝ったりしていたのだが、なかなかトレーナーで食べていくのは難しく、卒業後は、町の整骨院に就職する道を選ぶしかない状況だった。後から彼からも、あの日私と出会わなかったら、整骨院で働き、後に開業したとしても専門性の高いスポーツトレーナーの仕事はしていなかっただろうと話してくれた。

 あの日私が、その祝勝会に参加していなかったら、彼と出会うことは一生無かったと思う。偶然の産物ではあるのだが、「時間が無くて間に合わない、疲れていて面倒だ、また次回でも良い」などなど、行かない(行けない)理由はいくらでもあった。その彼との出会いのおかげで、後に私はスポーツの仕事でどれだけ救われることになったかわからない。あの日、彼に会えていなかったらと思うとぞっとする。あの時無理をしてでも祝勝会に参加して本当に良かったと思う。彼も私との出会いの中で、レベルの高いチームに関わるからには迷惑はかけられないと必死で勉強して治療家としての力量をあげ続けてくれた。多くの選手を診る機会を得て治療家も腕を上げるのだ。一つの出会いが、私だけではなく、彼の人生をも変えたと言える。やはり大切な人の大切な時間と場所に顔を出せば良いことが起こる。一つの縁を大事にすれば、また新たな縁が生まれる。私はそれを今でも肝に銘じている。

写真世界との出会い

 ある年に、一眼レフのカメラが欲しくなって安いイオスキッスの入門機を購入した。遠征や合宿で日本全国の自然豊かな地に赴くことが多くて、その素晴らしい風景を残しておきたいと考えたのが始まりだった。シャッタースピードもF値もIOSもなんのことやらわからずに、最初は自動モードで撮影していた。それでも撮影は楽しかった。日本中の美しい風景やスポーツシーンを撮り続けていると旅や遠征がさらに楽しくなった。

オンラインサロンとの出会い

 何年か時間が過ぎた。ある年に、私がネットで見て憧れていた写真家の先生が私の大学のメディア演習の講義を受け持つことになったという記事を見つけてびっくりした。それでも恐れ多くて、勇気を出してその先生に会いに行くまでには、私には二年くらいの時間が必要だった。メールを出して大学の授業の教室を訪ね直接お会いしてから、その先生が主催しているオンラインサロンに入会して写真の勉強することにした。勉強と言ってもカメラの技術を教えてくれるのではなく、カメラや写真にどう向き合うのか、それを考えさせてくれるサロンだった。カメラや撮影に関する情報に触れることが多くなったことも、もちろん収穫ではあるが、何より多くの写真家の方々とそのサロンで交流出来ることが一番の収穫だった。一人で悩みながらシャッターを押していた自分の写真の世界が広がっていった。昨年はサロン主催の大規模な写真展に私も出展することになったのだが、自分の作品の良し悪し以上に、参加されている多くの写真家の作品に触れ、それぞれの写真の背景に存在する物語について直接お話が聞けたことが何より勉強になった。今後、自分が写真を通して何を表現したいのか、それを考えるきっかけになった。やはり出会いは世界を広げていく。

 写真展をきっかけに、それまで放置していたインスタグラムにも、撮影した写真を少しづつ載せるようになったのだが、自分のアドレスを知り合いにも、ほとんど告知もしていないので、イイネが伸びるわけでも、フォロワーが増えるわけでもなかった。

 しかし私は、何十年間もスポーツの世界に身を置き、勝った負けたや、記録や順位で優劣が決まることに神経を磨り減らしてきたので、趣味の写真の世界では、成果とか、人からの評価(フォローワー数、イイネの数)とは対極的な価値観を大切にしたかった。人の評価よりも、自分の表現したい世界観を大事にしたかった。まあそんな言いぐさも、「イイネ」が増えないことへの、負け惜しみが半分なのかもしれないが。

退職の決断とメタセコイア並木との出会い

 冒頭にも述べたが、2023年度の終わりに今の職場を退職する決断をした。ここ何年間も悩んできたことなのだがチームの行く末、未来を考えたときに、次世代の指導者の育成、指導体制の継承は、選手を育成する以上に大切な課題だった。まだ指導者としての仕事は総監督として継続するのだが、とりあえず自分の退職を恩義有る大先輩に報告に行くことにした。私が指導者として一番苦しい時期にアドバイスを沢山いただき、私の後ろ楯となり、多くの醜い争い事から私を守ってくれた方だった。その大先輩の仕事を引退されてからのセカンドライフについての考え方に憧れがあり、私の第二の人生の有りようについても貴重なアドバイスをいただけた。
 
 お昼御飯をいただきながら様々な話をしていると、知らぬまに数時間が過ぎていた。その先輩のお住まいは滋賀県にあり、せっかく滋賀まで来たのだから、大阪に戻る前に撮影をしてから帰ろうと考えた。昔から一度は撮影したかったメタセコイア並木に向かうことにした。しかし名神高速に乗り、車を走らせているうちに今後の人生についての想いがぐるぐる頭を巡り、木之本インターで降りるはずが通りすぎてしまった。次の降り口が福井までなく、慌てて下道で琵琶湖に戻ったが、どんどん日が暮れ始めた。
 
 雨も降りだして夕闇が迫る頃に、やっとメタセコイア並木に到着したのだが、撮影のタイミングとしては完全に終わっていた。並木の地形を理解して撮影スポットを頭でイメージして、撮影はまた次の機会に、とも考えたが多忙な生活を考えると、次がいつになるかわからない。ましてや紅葉のタイミングはもう終わりかけていた。スマホで今からでも泊まれる宿を探してみると、近くにペンションのような宿が一軒だけあった。翌日の雨のメタセコイア並木をどう撮るか自信は全くなかったが、予定外の宿泊となった。

ある写真との邂逅

 食事も出ないペンションで、遠いコンビニまで車を走らせ、購入したカップラーメンを部屋ですするようにいただき、その日は眠りについた。翌朝は朝の5時から起き出して並木を見に行った。車中で激しい雨を避けながら日が明けてくるのを待った。雨足も弱くなり、逆に雨のおかげで撮影する人も誰もおらず地面に残った水溜まりが並木のリフレクションを映し出していた。

雨上がりのメタセコイア並木のリフレクション

 薄暮のなかで並木沿いに灯る街灯がオレンジ色のメタセコイアと見事にマッチしていた。撮影した数点の写真をインスタグラムにアップしたが、相も変わらず「イイネ」は確か3つしか付かなかったと思う。インスタに上げた写真のうちの一つが次の写真だった。

早朝のメタセコイア並木と街灯

 それから数ヶ月がたち、年が明けた頃、インスタグラムにログインするとDMが届いていた。開いてみると東京カメラ部からのメールだった。東京カメラ部は言わずと知れた日本最大級の審査制写真投稿サイト。DMの内容は私がインスタにアップした上記の写真を、今度開催するフォトコンテストのキャンペーンサイトで作例として使わせて欲しいと言うものだった。コンテストのテーマは「あなたを支える日々の灯り」というもので、大手電力会社J-POWERと東京カメラ部の共催のコンテストだった。

東京カメラ部 on Instagram: "J-POWER×東京カメラ部「あなたを支える日々の灯り」フォトコンテスト開催! . 詳細は @tokyocameraclub_cp24 のプロフィールにあるURLから (応募締切:2024年2月26日(月)23:59まで) ※募集期間外の投稿は対象外となりますので、ご注意ください。 . J-POWER(電源開発株式会社)と東京カメラ部のタイアップ企画として、J-POWER×東京カメラ部「あなたを支える日々の灯り」フォトコンテストを開催します。 高台から見える夜景や温かみのある街灯、風情あるライトアップなど、あなたの日常を支える灯りの写真を募集します。 . 応募は簡単!J-POWER公式Instagramアカウント( @jpower_official )と「東京カメラ部」キャンペーン用Instagramアカウント( @tokyocameraclub_cp24 )をフォローし、募集期間内(2024年1月25日~2月26日)に、指定のハッシュタグ「 #JPOWER_あなたを支える日々の灯り 」をつけて投稿するだけで応募完了です。 . 受賞者には素敵な賞品をプレゼント!撮影機材は問いませんので、皆さまの素敵な写真をぜひご応募ください。 . フォトコンテストの詳細は @tokyocameraclub_cp24 のプロフィールにあるURLから . ※作品投稿時、または投稿から24時間以内、かつ応募期間中に指定のハッシュタグをつけてください。 InstagramのAPI変更によって、投稿後24時間を過ぎた過去の投稿に指定のハッシュタグをつけていただいても、Instagram API経由で作品のダウンロードができないため審査対象とできなくなりました。作品を弊社システムがInstagram API経由でダウンロードできたもののみが審査対象となります。(ダウンロードできたかどうかのお問い合わせはご容赦ください) ※本アカウント、本企画は東京カメラ部がFacebook、Instagramのサービスを利用して運営しているもので、Meta社・Instagramとは一切関係ありません。 . #JPOWER #電源開発 #JPOWER_あなたを支える日々の灯り . ※作品:@natsuiro337 さん" 3,695 likes, 2 comments - tokyocameraclub on January 25, 2024 www.instagram.com


 それは私にとってはとても名誉なことだったが、イイネが3つしか付かない写真が東京カメラ部の担当者の目に止まり選んでもらえたことのほうが驚きだった。イイネやリポストが沢山付いて作品が拡散されることだけが写真の価値ではないということを改めて思い知り、少しほっとしたのを今でも覚えている。写真を選んでもらえたという事実より、イイネの数やフォロワー数に依存しない評価が存在することに気付けたことのほうが喜びだった。SNSでの評価を気にしてバズる写真を追い求め、写真のコモディティ化の波に飲み込まれないためにも、数字を追いかけ過ぎないことを自戒するきっかけとなる出来事だった。
 
 この日、恩義ある人に退職の報告をしに行ったことが、メタセコイヤ並木と出会い、自らが撮影する作品と邂逅することに繋がったのは偶然だったのだろうか。出会いはいつも小さなチャンスから産まれてくる。

一つの出会いが更なる出会いを生む

 しかし私の写真がフォトコンテストのキャンペーンサイトに載ったところで、当たり前なのだが私の写真家としての活動は何も変わらなかった。採用していただいた写真の下に撮影者のIDを載せていただいてもフォロワー数が増えることも全くなかった。

 そのフォトコンテストのエントリーの締め切り日が近づいてきた。エントリーサイトに私の写真を使ってもらったのも何かの縁なので、灯りの写真でコンテストに参加してみようかと思ったが、大事な大会が近づいていて多忙を理由に灯りの写真を準備することも出来ていなかった。申し込み期限の最終日、日付が変わるまであと数時間というところで、昔撮った灯りが写っている写真を思い出した。勤めた大学の校内を夜遅く歩いていて気が付いた、とても暖かい空間をカメラで切り取った写真だった。PCの写真フォルダを探してもなかなか見つからなかった一枚の写真。やっと見つけ出して、新しいライトルームでノイズ処理をして、コンテスト指定のハッシュタグを付けてその写真をインスタグラムにアップしたのは締め切り最終日の真夜中、日付が変わる数分前だった。しかもその写真は最近撮影されたものではなく、まだまだ安いカメラを使い、撮影技術も今よりは遥かに劣っていた8年も前に撮影されたものだった。

フォトコンテストに投稿した写真

 そんなこんなで満員電車に駆け込み乗車、みたいな状況で締め切りぎりぎりにコンテストに申し込んだことも数日たてば忘れてしまっていた。しかしまたしても突然、インスタ上で東京カメラ部からDMが届いていた。入賞のお知らせという文字にビックリしたのだか、中身を良く読んでみると、「最優秀賞」を受賞しましたと書いてあった。「あなたを支える日々の灯り」というハッシュタグでインスタを検索すると、目を見張るような美しい写真が山のように見つかるのだが、またしてもイイネが数個しか付いていない私の写真が選ばれていた。有名な撮影場所で撮られ、沢山のイイネが付いたキラキラとした豪華絢爛な灯りの写真も沢山応募されていたが、日常の生活の中で私の足元を優しく照らす灯りの写真が「あなたを支える日々の灯り」というテーマに沿っていたのか、と思ったりもした。しかし他の応募者の写真はどれもすばらしく、当然ながら複数の入選者のお写真は、さらに流石だと感心するものばかりだった。それでも私も、平凡ではあるが職場の一番お気に入りの空間を切り取った写真を応募して良かったと素直に思えた。

出会いから始まる縁

 16年間勤めた職場を退職することを報告しに行った時に写した写真がきっかけで、8年前にその職場のとある風景を切り取った写真でフォトコンテストで最優秀賞をいただく、これ以上の縁はないと思っている。それも、これも、大先輩に会いに滋賀まで出掛けた日から、出会いと縁とストーリーは始まっていた。

写真の師が上梓された一冊の本との出会い

コンテスト入賞を伝えるメールが届いていた頃、オンラインサロン主催者の写真の師と呼べる先生が一冊の本を上梓されるという告知が届いた。発売予定日が、私のチームの春合宿の開始日だったので、山奥にある合宿先の宿舎を本の届け先に指定して予約注文した。合宿二日目に手に取ったこの本を休憩時間に貪るように読んだ。

 この本の紹介をする前に書かなければならないことがある。私は最近指導する選手やチームに「あなたは何故そのスポーツを続けるのか?あなた個人のスポーツの哲学を持ちなさい」と話すことが多い。壁にぶち当たったり、記録が伸び悩んだとき、スポーツに価値を見いだせなくなった時に立ち戻る基軸、原点。なぜあなたは走り続けるのか?勝ち負けや記録、順位といった有形な「目標」の前に、なぜそのスポーツをするのかと言う「目的」を考えなさい。それは同時に指導者である私自身への問いかけでもある。
 
 私にとっては写真を撮ることも、スポーツの指導をすることも、自己表現という意味では同じである。芸術やスポーツを通して何を表現するか、社会に何を投げかけられるのか?「目標」と「目的」は似て非なるものである。

 勝ち負けや、トロフィー、SNSでのイイネの数を獲得するといった、ややもすると資本主義的な「有形な目標」の手前に、例えば未来の子供たちにスポーツの価値や感動を与えるといった「無形の目的・価値観」がある。うちのチームのレースがテレビで放映された時、視聴した人から、「テレビで観戦していて、絶対にあきらめない選手の姿勢から勇気をもらえた、明日から自分も頑張ろうと思えた」と連絡をもらったことが何度かある。「自分」が受け取れる勝利という「有形な価値観」の前に、「他者」に勇気や感動を与えることが出来るという、より精神的な「無形の価値観」を最近は意識することが多い。そうした哲学的な思考をするときに、この写真に関する書には表現することの難しさや苦しみを乗り越えるヒントが沢山書かれていて、芸術とスポーツという垣根を超えた表現者としての哲学を見つめ直すきっかけとなった。

目標と目的の違い、コモディティ化の波に飲み込まれないために

 SNSの普及により情報が一瞬で世界中に拡散される。絶景スポットで撮られた写真がイイネを集めて拡散されると、多くの写真家がその場所を探し出して同じ構図の写真が次々とSNSに登場する。その現象をこの本の筆者である先生は写真のコモディティ化と呼んだ。
https://note.com/takahirobessho/n/n4c000872c057


 それは良い商品が発売されたとたんに模倣商品が次々と産み出されてその商品の価値が下がることを意味する。またAIの登場により表現世界にも、プロンプトに文字を打ち込むだけで苦労なく受け手が満足する作品を産み出せる時代が来た。画像生成AIがイメージ通りの写真やイラストを簡単に産み出せるこの時代に、我々は写真で何を表現出来るのか?この本は著者の先生の写真家としての葛藤の歴史を交えながら、これからの時代の写真表現の可能性を模索する内容であった。著者が撮る写真の裏側に潜む物語を我々は知りえないのだが、その隠れたストーリーこそがAIには真似をすることが出来ない価値観であり、表現者の拠り所でもある。この本の最終章を読んだとき、涙がこぼれ写真世界の未来を信じることが出来た。

 一方スポーツの世界でも、SNSでは効果的なトレーニング論が溢れかえり、誰もが数万円もする高価なシューズを履けば記録が一気に伸びる時代となった。地道な選手育成よりも道具や有力選手獲得が最優先課題となりつつある。箱根駅伝しかり、スポーツが所属団体の広告塔の役割を担っている例は枚挙にいとまがない。試合結果もネット上で瞬時に拡散され評価や中傷の対象となり、結果という数字だけに振り回され、常にライバル選手や、他チームとの比較を強いられる時代に、選手たちも有形な目標・価値観だけでは前には進めなくなった。スポーツ選手は常に「結果」という荒波に放り込まれ、消費されて行く。勝利至上主義は昔からあった弊害ではあるが、スポーツがより商業主義化されて、SNSがある今の時代はそれが加速されている。

 写真への評価を、フォローワーの数や鑑賞者に受けることだけを物差しに考え出すと表現者は疲弊してくる。スポーツ選手もしかり。勝敗を越えた自らのストーリー、物語を表現することに価値を見いださなければならない。物語とは自分の人生そのものであり、試合当日までのプロセスであり、自分しか知り得ぬ葛藤の日々である。写真を撮影することも、AIには作り得ぬ、自分だけのドラマ、ストーリーが存在する。その裏側にあるストーリーが鑑賞者、観戦者には直接伝わらないからこそ、その写真、そのスポーツシーンは、他の人には真似ることが出来ない自らの生き方となる。表現者が世界に示しうるのは、試合結果や写真というよりは、自らの生き方と価値観そのものなのだ。先日のパリオリンピックのマラソン最終選考会に私たちが感動したのは、記録や順位といった結果ではなく、選手と選手を支え続けたスタッフや家族との絆、そこに込められた想いが、テレビ画面の裏側に想像出来るからである。先頭から遅れ始めてオリンピックの出場権が絶望的になった終盤でさえ、最後の最後まであきらめないでゴールを目指す選手たちの姿に、私たちが見ることが出来なかったレースまでのプロセスを想像し感動する。同じように、この写真を撮った人にはどんなドラマがあったのだろう、そんなことを想像することも写真の楽しみである。
 
 この本を読み続けるうちに、写真を撮ること、スポーツを生業にすること、生きること、にまつわる哲学を模索している自分に気づく。資本主義的な有形な目標・目的を超越した、表現することの価値観を求める気力が湧いてくる。写真コンテストで入賞したことで、更なるSNSでの評価を追い求める価値観に向かうのではなく、自分らしく出会いを大切にして、自分にとって大切な瞬間をこれからも切り取っていきたいと思う。写真コンテストでの体験と写真の師が書かれたこの本を読み込んだことが、私のこれからの人生の方向性を考え直すきっかけとなった。これもまた出会いである。
 この春に出会った全ての縁に感謝し、その縁に種を蒔き育てていきたい。最後になるが4月の初めに、また新たな撮影シーンとの出会いがあり、きっと一生忘れ得ぬ写真が撮れた。

その話はまた今度。
(それはこの写真ではないのだが、出会いと別れの4月にふさわしいと思い最近写した桜吹雪の写真を最後に載せてみました。)

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