Re: 日記は書かなくなりました。あと、命の値段の話。
前回の内容はこちら
堀元君
日記。書かないですね。自分から言いだしておいて。
何度か試みましたけど、三日すらもたない。三日坊主にもなれない。まあ、向いてないのでしょう。
個人的な日記をロクでもないと言っていますが、それゆえに後から読み返して面白いものなのかもしれません。他人は得てしてそうした個人的な物語を求めますし。
さて。命の値段、なかなか重いテーマでした。
命は"Priceless"なものって発想は、確かに否定すると非難されそうなお題目ですけど、なぜこう感じるのかはかなり曖昧です。「値段がつけられないほど貴重な」のではなく、命の値段を明確に論じるのは野暮って感じに近い気がします。
人生を切り売りしてるサラリーマンだって、生涯年収のように時給から計算すれば人生に価格がついてるようなものですけど、別にサラリーマンの給与にケチをつける人はいないでしょう(多い、少ないって話はともかく)。
ペットも、一度買って名前を付けるなり育ててた個人が価格を付けて売りに出そうとしたら、非難されそうです。
結局、社会で漠然と共有されている境界線があり、業者のペットの売買やサラリーマンの給与はセーフ、個人のペット販売や奴隷はアウトという程度ではありませんか。その認識は気づかぬうちに、教育や大人の言動を通して我々にも無事刷り込まれているわけです。
で、奴隷に関して。
堀元君が指摘した通り、経済だけを論じる場合は、全てに価格が付けられ、売主(販売する物の所有者)が納得する金額が提示された場合に売買が成立するという原則は正しいでしょう。
しかし、実社会では経済以外の要素があまりに多い。そもそも売主は、奴隷やペットを所有しているのか。奴隷やペット自身の意思は?という疑問が当然出ます。ペットはともかく、奴隷は本人の意思とは無関係に第三者が勝手に売買をするわけですから、経済とは関係ない人権という観点を導入すると、規制されるべきという結論になります。
というわけで、私は「人に人権があるから奴隷貿易は規制されるべき」という結論で良いと思っています。堀元君がすぐに思いつき、短絡的だと感じるほど、我々は人権という概念を刷り込まれているのでしょう。
実際、紀元前から奴隷制は存在したわけです。時代や人によって扱い方に差はあっても皆奴隷を売買してきたのです。古くから奴隷廃止の議論はあったのだろうとも思いますが、1789年にフランス人権宣言が出され、1800年代にかけて奴隷廃止の方向へ世界は進んできた(リンカーンが登場する南北戦争は1861年開始)のですから、まさに奴隷の売買規制の理由は人権があるからなのではないでしょうか。
堀元君がラストに提示した例は、まさに子供の人権は子供に属し、大人が好き勝手に扱って良いわけではないという社会の共通理解から非難を受け、ひよこにはそのような権利認識が社会に浸透していないから問題とされないということではないでしょうか。
その点、今後動物の命・権利という認識が広まった場合には、今のひよこを売る行為が野暮な行為とされるでしょう。実際、ペットショップの劣悪な環境は最近しばしばニュースになります。
と、思いつくままに書きましたが、結局巷で良く言われるように、経済学は人間を扱う以上、合理的でない曖昧なファクターが多く絡んでいる、そして今回の議論においてそれは人権であるというところでしょうか。
人権の概念が、どのように社会に広まり、我々はどこで人権の価値観を刷り込まれたのかなんて考えても面白いかもしれないですね。日本は、人権を勝ち取ったのではない、輸入したのだ云々なんて議論も多いですし。
2018年4月22日 GWを心待ちにする結城