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母には敵わないと思った話

たしか小学6年生か中学生か、多感な頃の記憶。時期は曖昧だけど、出来事としてはよく覚えてる思い出。

当時は今と比べて社会規範もないクソガキだったし、親が好きだったという理由でなんとなく続けていたサッカーが嫌いになってきた時期でもあった。

そんな陰鬱さが差し込み始めたクソガキは、押し入れの奥に隠してあった生活預金を少額ながら度々拝借していた。返す当ても断りもない。

なんでお金が欲しかったのか、何に使っていたのか、一番曖昧な部分ではあるけど「努力!根性!」みたいなスポーツの暑苦しさから逃げるべく、漫画にお金を落としていた気がする。

お金がないのに物が増える。
不思議な子どもである。

最初は小銭をくすねる程度だったけど、頭のない悪事はエスカレートしていくもので、小銭から紙幣に形を変えていく。

当時の自分からすれば、お金が持つ価値は金額が全てであったし、労働をして金銭を得る経験がなかったこともあって、どのくらいの労力を掛けて得られた”お金”であるのか何も分かっていなかったと思う。

こうして今労働をしている身としてつくづく思う。

お金稼ぐの大変では???

自分が逆の立場だったら殺意に震えていたはず。

ここで本題にある「母に適わないと思った話」が出てきて、それ以降お金を盗むことを一切しなくなった。

今ここまで読んでる方は、どれだけボコボコにされたんだろ…、どんな家族会議が開かれたんだろ…、とか考えを巡らせてる事かと思う。
だけどそんなことは全くなくて、本当にただの二言。

クソガキは万引き犯の習性のように、家に誰もいなくなる頃合いを見計らってそっと押入れを開ける。そして雑然とした何やらをかき分け、偉人の面々が整列するジップロックに手を掛ける。ジップロックには見慣れない付箋と線が細く整った字で二言。

「大事なお金です。考えて使ってください。」

全てを見透かされいる気がしたし、何よりも自分のそれまでの行いがとても恥ずかしくなった。

その瞬間は「ヤバい怒られる」「どうしよう」とか保身のことしか考えられず、ビクビクしながら数日を過ごす。だけど何日経っても叱責の言葉は飛んでこなかったし、家庭は相変わらず実に平和なものだった。

その頃から懺悔の念やら、恥ずかしさが生まれ始めたんだと思う。そして改心したクソガキは高校受験に向けて、嫌いになったサッカーを辞めて、塾に通い勉強に励む

"が"

半分くらい勉強から目を背けながら、家の倉庫で埃をかぶっていたギターを見つけて練習を始める。音楽の始まりは一応ここから。
そしてここにきても塾の費用がどれくらいか良く分かっていないのである。

相手に伝えたい言葉を投げかけるのは大事だけど、全部を伝えるとどこか捻じ曲がって受け取られてしまったり、うまくいかないことがある。

伝える努力と伝えすぎない匙加減。
もう少し大人になれるように、ちょっと気にかけていきたいな。


時が流れて
成人した後にクソガキ時代の話を両親としていたら、2個下の弟が酒を片手に話に混ざる。

「あー、俺もめっちゃ盗んでたわ」

弟もやっていた。なんなら自分よりやっていたっぽい。

悪びれもない弟は現在無職。
先日実家に戻るとカブトムシのブリーダーを始めていた。なぜか親父もノリノリで手伝っている。

母は今も強く耐えている。
相変わらず敵わない。
そんな家族の話。

おしまい


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