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【創作大賞2024 恋愛小説部門】甘く、酸っぱく、君らしく #3

 三日ぶりの学校、教室は、もう知らない場所のように感じた。確かに背中は押されたが、それで全てを乗り越えられるわけじゃない。今日は登校できただけでも上出来じゃないか。教室でひとりぼっちになる自分を想像して、気分が落ちていく。愛奈にも、合わせる顔がない。
「やっぱり今日は、保健室に行こっかな……」
教室に行くのを諦め、人の流れに逆らうように振り返る。すると、後ろから愛奈が歩いてきた。一瞬、緊張が走る。隠れたくもなったが、そんな場所もない。愛奈と目が合うと、驚いたように大きな声で私を呼び、駆けだしてくる。
「ゆめの!」
「わっ、愛奈……」
 廊下でぎゅっと愛奈に抱きしめられる。私はちょっと恥ずかしかったけれど、周りはただの女子二人のじゃれ合いだと、誰も目にも留めない。
「学校来ないし、返信ないし、心配した」
「ごめんね」
 愛奈は体を離すと「私もごめん」と謝った。
「なんで無視されちゃったのか、ずっと考えてて……もしかして、ゆめのに勘違いさせたのかなって、思って。あの日、廊下で話してるの聞いてたよね?」
「……うん」
「だよね!? あのね、違うの。ゆめのの体型がどうとか、興味ないって言ったのは、突き放したいわけじゃなくて。本当にどうでもいいじゃん、ゆめのがゆめのでいてくれるなら。……あ、ゆめのにしたら、どうでもよくないのか……? ごめん、なんて言えばいいか……」
 推しのことを語る時は饒舌な愛奈が、言葉を不器用に紡ぐ姿が珍しかった。そして、その言葉がものすごく嬉しかった。愛奈の本当の気持ちを、気持ちを聞かないで逃げたのは私なのに、何度も謝るものだから、私も愛奈をぎゅっと抱きしめた。
「ふふふ……もういいよー、怒ってないし! それより、私、愛奈に嫌われてなくてよかった!」
 私は、思わず笑っていた。私も愛奈も言葉が足りていなかった。毎日、話していたのに不思議だった。本当に大事なことや心配なことは、なかなか話題にならないのかもしれない。
「嫌いになるわけないじゃん。てか、私ばっかいつも話ちゃって……むしろ、私が愛想尽かされそうだし」
「それはない!」
「ゆめの~! 仲直りできてほんとよかった!」
愛奈と肩を抱きあって、教室まで向かう。怖かったけれど、逃げたいとは思わなかった。
 相変わらず、席にいても楽しくはなかったけれど、無駄に聞き耳を立てることもなくなった。この人たちもただのクラスメイトだと言い聞かせる。意識しすぎなくてもいい。隣の男子の舌打ちにはまだびくびくしてしまうけれど、その先には佐藤くんがいると思うと、違うどきどきを感じていた。
ふと、窓の下を見ると、コンセントがテープで封じられていた。それでも、彼女たちの髪は真っすぐに伸びている。家でセットしてきたのだろう。最初からそうすればいいのに、と心の中で呟いた。
 放課後、久しぶりに愛奈と駄弁りたいところだが、今日は断った。愛奈はちょっとニヤッと笑うと「オッケー」と私の背中を押す。
他の生徒が帰った教室で、黙々と帰り支度を進める佐藤くんに声をかけた。
「佐藤くん」
「……体調もういいのか」
 佐藤くんはこちらに目を向けずに会話を続けた。
「うん。金曜はありがとう。ケーキもゼリーも美味しかった」
「なら、よかった」
 あ、笑った。少し口角を上げた佐藤くんが珍しくて、見惚れてしまう。支度を終え、すぐにでも教室を出てしまいそうだったのに、佐藤くんはきょとんとしたまま、肩にバッグをかけたまま動かない。
「どうした?」
チョコレート色の瞳は、私よりもちょっとだけ上にあった。
「あの、昨日、なんでショートケーキ選んでくれたの?」
 本当に聞きたいこととは少し違ったけれど、佐藤くんに問いかけた。
「嫌いだった?」
「全然! むしろ、ショートケーキが一番好きで」
「知ってた」
「え、そうなの?」
 確かに、お店で、佐藤くんの前で、ショートケーキを食べたことはあったけれど。好みまで把握されているとは知らず、気恥ずかしい。『スイーツ サトウ』の品揃えは決して少なくない。私は何種類か食べているはずなのに。
「いつも、美味しそうに食べるなーと思ってたし」
 いつも、という言葉に顔が熱くなってくる。そんなにちゃんと見られていたのだろうか。お店で話したこともなかったから、私のことなんて興味もないと思っていた。私の心臓がうるさくなっていくのを知らない佐藤くんは、話を続けた。
「あと、名前にぴったりだなって」
「……名前? なんの?」
「いちごに『ゆめのか』って品種があるんだよ。三田の名前そっくりじゃん」
 『ゆめのか』、初めて聞くいちごの名前だった。ケーキ屋の息子は果物にも詳しいのか、と感心しながら「ほんとだね」と返した。
「うちのショートケーキにも使ってるんだ。親戚が作っててさ。程よく酸っぱいから生クリームとの相性も良くて。あとは、チョコレートとかに、も…………ごめん、脱線した」
「あはは、謝らなくてもいいのに。好きなんだね、ケーキ」
「まあ、ずっと一緒だし」
 まるで『きょうだい』のように、ケーキと育ってきた表現が可愛くて、私はほっこりした。佐藤くんが生まれた時から、佐藤家は甘い匂いで満ちていたのだろうか。初めて食べたケーキは何だった? 好きなケーキは? 話したいことが溢れる。今までこんなことなかったのに。
「あのさ、一緒に帰らない?」
「でも、百瀬は? 下駄箱で待ってないか?」
「へ!? あー……今日は用事あるって」
「そうか。じゃあ、どうせ同じ方向だし」
 佐藤くんは、ふいと視線を逸らし廊下の方へ足を向ける。嫌だった? 強引すぎた? 不安になりながら後ろをついていく。佐藤くんは、きょろきょろと他の教室を見ていた。
「どうしたの?」
「いや、ごめん、なんか緊張して」
 そう漏らした佐藤くんの耳は真っ赤だった。さながら、いちごのように。つられて赤くなった私は、後ろから佐藤くんに話しかけた。無言はだめだと、本能が言っているようだったから。
「あ、あのね、お父さんもケーキ喜んでくれたよ」
「ほんとか? よかった……三田のお父さん、店来たことないからちょっと悩んだんだけど」
ケーキの話になると、佐藤くんは饒舌だった。本当は緊張などしていないように思えて、ちょっと悔しかったけれど。下校中、ケーキづくしの甘い会話は止まらなかった。



「えっ! 二人で帰ったの!?」
「まあ、方向同じだしさ」
「めっちゃ急展開じゃん!」
 休日の朝から、愛奈と遊び倒しに駅前に来ていた。プリクラを撮ったり、愛奈の推しをクレーンゲームで狙ってはしゃいだり、お昼はファミレスで動画を見せてもらったりした。ドリンクバーから帰ってきた愛奈に、「そういえば、月曜のことなんだけど」と前置きし、佐藤くんにお礼を言えたこと、一緒に帰ったことを伝えた。
「何で言わなかったのー!」
「なんか、学校だと本人もいるし……誰かに聞かれるのもなって……」
「え、付き合ってるの……?」
「ちょ、なんでそうなるの!」
 こそっと、内緒話みたいに語りかける愛奈。その表情は真剣そのものだった。傍からみたら、私と佐藤くんはそう見たのだろうか。恋愛経験がない私は、これを恋と呼んでいいのかもわからなかった。
「好きは好きなんでしょ?」
「わかんないよ……嬉しかったけどさ」
「じゃあ、他の男子に同じことされたらどう?」
「……あんまり想像つかなくない?」
 お見舞いにケーキを持ってくる同級生。佐藤くん意外に、周りにいるとは思えなかった。愛奈もそれには同調する。
「確かに……なんかすごね、佐藤」
「他の子より大人っぽいよね。だから、なんか緊張するのかも……」
「いや、そのドキドキは恋だって」
 はいはい、と愛奈を落ち着かせる。そうなのかな、と納得しかけている自分はまだ隠しておいた。
「愛奈は、好きな人いないの?」
「三次元にってこと?」
 私が頷くと、愛奈はものすごい勢いで「いない」と答えた。
「……即答すぎて、逆にあやしい」
「ほんとだって! もしかして、やり返してるな……?」
「ふふふ」
 その後、話は色々な方向へ飛んで、予想以上に長居してしまった。お店を出て、次はどうしようかとあてもなくフラフラと歩いた。時間は15時を過ぎた頃。帰るには早かった。
 一つ、私には行きたいところがあった。けれど、それを愛奈に提案するのが難しい。来た道を戻ったり、壁に寄りかかってたわいもない会話を続けた。この時間も嫌いじゃないが、せっかくならどこかに行きたいと、お互いに思っていた。
「んー、カラオケでも入る? ゆめの、どっか行きたいとこある?」
「じゃあさ、『スイーツ サトウ』行かない?」

 バスは、自分の家の方向へと進む。最寄りのバス停までの約二十分、愛奈は私が学校を休んでいた時の学校での出来事を話してくれた。
「そういえば、ゆめの、クラスの女子と佐藤がケンカしたのって聞いた?」
「え!? なにそれ知らない」
 佐藤くんがケンカ? しかも女子と? あまりにも結び付かなくて想像もできない。愛奈の作り話なんじゃないかとすら思えた。
「なんか、学校でアイロン使ってた女子がいたらしくて。それを見た佐藤が先生にチクって、女子が注意されて、コンセント塞がれて……」
 確かに、あの日、佐藤くんと階段ですれ違った。運悪く、疑われたのは私だったけれど、やっぱり佐藤くんもあの光景を見たのだろう。
「そのケンカってどんなの?」
「それがさ、佐藤が怒ってるポイントがおもしろいの」
 愛奈は、本題に入る前から笑いを隠せていない。ケンカなのにおもしろい? 私はますます混乱する。点と点が全く繋がらないもどかしさを感じながら、バス停を通過していく。
「愛奈、教えてよ~」
「ごめんごめん! あの子たちが注意されたのは、学校にヘアアイロン持ち込んで、勝手にコンセント借りて使ったことなのね。だけど、本当は違うことを怒ってたらしくて」
 さらにはてなが広がる。佐藤くんは、校則違反を咎めたかったわけじゃない? バス停は、目的地の一つ前に停車し、降車を確認してすぐに出発した。
「勝手に人の席に座るな、って」
「はあ……?」
 ピンポーン、とボタンが押される。「次、停車します」と車掌のアナウンスが流れた。
「コンセントの辺り、仲いい子の席ばっかりだから大丈夫、って女子は言ったんだけど、一つはゆめのの席でしょ?」
「……うん」
「なんか、そこに怒ってたらしいよ。アイロンは持ってきてなかったけど、ゆめのの席に座って友達と話してる子に対してさ、『もしかしたら、来るかもしれない。退いて』って佐藤が声かけてたの。女子は『今いないんだからいいでしょ』って言うから、ちょっとした口論になってて」
 私は愛奈から聞いた話を、頭の中で映像に起こした。一つ、気になる事がある。
「それって、いつ……? 放課後?」
「え、普通に休み時間。二時間目の前、とか?」
「じゃあ、教室には……」
 バスは大きくカーブを曲がった。少し直進すると「停車します」とスピードを落としていく。
「普通にみんないたよ。だから、佐藤はゆめののこと好きなんだって、今めっちゃウワサになってる!」
 空気が抜ける音とともにバスは停車し、扉が開いた。私は、プシューっと沸騰しそうに全身が熱かった。
「え、ちょ、それこそ、早く教えてほしかったんだけど……!」
 あの日、私が教室から出て、佐藤くんとすれ違った。佐藤くんからしたら、私が教室から追い出されたように見えたのかもしれない。だから、わざわざ先生に報告を? 校則違反より、私のことを考えての行動だった?
「ゆめの! 早く行くよ」
 嬉しい、嬉しいけど……ウワサになったことだけは、恥ずかしかった。今からどんな顔して会えばいいのだろう。愛奈は、とても楽しそうに『スイーツ サトウ』へと歩いていく。もしかして、私が提案などしなくても、この話をしてからここに来るつもりだったんじゃないだろうか。私の心臓が静まらないうちに、『スイーツ サトウ』に到着した。
「ま、待って愛奈」
「大丈夫、大丈夫!」
 愛奈は明らかに私と佐藤くんの反応を楽しみにしている。しかし、ここに誘ったのは何も知らない私なのだった。引き返すのも、もったいない。
「いらっしゃいませ」
 ショーケースの後ろから、ひょっこり顔を出したのは、佐藤くんのお母さんだった。くせ毛のうねりがおしゃれなボブヘアをしている。佐藤くんも、髪を伸ばしたらくせが出るのかな、なんて一人で考えて、はっと現実に戻る。
「あら、ゆめのちゃんお久しぶり」
「お、お久しぶりです。あの、先日はありがとうございました」
「いいえ~。むしろ、ご迷惑じゃなかった?」
「そんなことないです! 今日はちゃんと払わせてください……!」
 佐藤くんのお母さんは、「好きなの、選んでね」と優しくほほ笑んでくれた。
「愛奈は……生誕でホールケーキ頼んだぶり?」
「そう! めっちゃ迷うなあ」
 色んなケーキに目移りしている愛奈を見ていると、私がお母さんとここを訪れていた頃を思い出す。今でこそ、ほぼスタメンのケーキがあるものの、初めの内はどれを選んでも正解なのだから、決めるのに時間がかかったものだ。
「ん、決まった」
 愛奈の言葉を聞いた私は、佐藤くんのお母さんにアイコンタクトをし、注文した。
「じゃあ、私、ショートケーキ一つ。愛奈は?」
「んと、チーズタルトお願いします」
「はーい。店内で食べますか?」
「はい」
 ケーキを出してもらう間、佐藤くんもタルト好きって言ってたな、と私が零すと、愛奈はにやにやとこちらを見た。
「本当、随分仲良くなったね」
「……そうだね」
 お会計をして席に着く。紅茶の匂いがふんわりと香った。
「お待たせしました」
「あ、佐藤じゃん」
「……チーズタルトです」
 佐藤くんは、気恥ずかしそうに、少しぶっきらぼうに愛奈の前にケーキを置いた。続いて、ショートケーキを私の前に添えると、「ごゆっくりどうぞ」と言って、店の奥に去っていく。
「……びっくりした」
「仲良くなったのに、距離ができてる感じ……もどかしいね」
 愛奈は、うんうんと何かを嚙みしめるようにうなずいていた。
「は、早くたべよ」
運ばれてきたケーキにはハロウィンをモチーフにしたペーパーナプキンが添えられていた。早くクリスマスに、なんて思っていたけれど、今は時間が早く過ぎるのがもったいないと思える。
 いつもと変わらない味に舌鼓を打つ。愛奈は、そんな私を見つめて頬を緩めた。
「ゆめのが美味しそうに食べてる姿見てると、こっちも幸せになるわ」
「そう……?」
「うん。多分、佐藤も同じだと思う」
 余計な一言に、私はまた体温が上がるのを感じる。
ショーケースには、色々な種類のケーキが並ぶ。果物も沢山の種類が使われている。形、触感、色、味、それぞれ違うからこそ魅力的に見える。いつか私も、誰かの目に魅力的な人間に映りますように。そんなことを考える私の視界には、微笑みを浮かべる佐藤くんがいた。

続く

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