後悔がないといえば嘘になります

正社員として働かなかった。
結婚をしなかった。
子どもも産みそうにないし、同い年の二人目保育園確保の悩みも、極めて他人事。
友達も多くない、社交もさほど力を入れない。
少ない友達を大切にできてるかと言われたら、申し訳ない気持ちもある。
実家とは疎遠というか、骨肉の争いののちほぼ絶縁。
恋愛関係さえも保持しない。

たぶん、人間関係という部分に、わたしはいくらかの故障を持っているのかもしれない。

どれも、恥ずかしいことだと思っている。
と思うことさえ恥ずかしいくらいなのかもしれない。
いたらない、という言葉は、まさに実感として思う。

人が嫌いかというと、そんなことは全然ない。
むしろ人の心の動きなどをじっと見ている。
しかしそれと関係性を持つことは、イコールじゃない。

それでも、まあまあこの世界に生きる場所があり、経済活動にもわずかながら参加させていただける。

いや、もっと言うと、わたしにとってビジネスをするという事は、合法的なテロ行為なのだと思う。

いたらないわたしが、どうにかできる人生のすべてを賭けた主張であり、それが受け入れられるわけでもないけれどもしないわけにもいかない、その上、やったらやったで意外に効果がある。

そういう形でしかできない事に、いくばくかの悔いというか、申し訳なさというか至らなさというか、そういうものは、あります。

が、あったところで。

ここまできて結果を出さない方がひどいことだというか、せめてそれで結果を出し儲かって税金を納めるなり、その商品で誰かがちょっと便利になるなりしないと、もうあとがない。

進むしかないし、戻るなんて道はない。

いつだって未来なんか不確定なんだ。
それに、正しいと言われる道を歩めるとも限らない。
価値観は時代によって変わる。現在も変わり続けている。そんな中で生きている。だから、できれば正しい道を歩きたいけれど、それができないことだってある。

フリーランスの世界は華々しいものではなく、単なる敗戦処理が延々と続く渺茫(びょうぼう)たるつかみどころがない世界だ。

でも、わたしはフリーランスになりたい訳でもない。ちゃんと会社作るよ!会社って言えるものに見えないかもしれないけど、フリーランスなんかじゃない。事業を起こすんだ。下請けもしない。当たり前だ。オリジナル商品一本でやっていきます(それしかできないので)。

テロは何かしらの信念のもとに行われる。そういうものだ。

そこに悔いがないというのは、嘘になる。
それでも、せめて。

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つよく生きていきたい。