すごくおいしいサンドイッチと安くてまずいサンドイッチ

すごくおいしいサンドイッチを食べた。

ハムとチーズのサンドイッチ。ハムは自家製の、麻布のようなざらざらした肉の繊維がしっとりと薄切りにされているものが3センチはあろうかという厚さで重ねてあり、チーズはゴーダだろうか、ハード系のシンプルなチーズを薄く切り出してあるようだった。そこにたっぷりのルッコラ、これがどれも新鮮でしなびたりしていない。葉も肉厚。
そして、マヨネーズも自家製だという。パンも厚みがあって、小麦の甘みと牛乳パンのようなソフトさがあって。

700円くらいのサンドイッチだった。
もちろんとてもおいしかった。

美味しかった、というか、美味しすぎた。

贅沢すぎる、と思ってしまった。
不思議なことに。

贅沢をしようと思って食べるサンドイッチなのかもしれない。
でも、贅沢をする時にサンドイッチを食べようと思うのだろうか。
こんな贅沢な、丁寧に作ったハムと、大きなチーズから切り出したスライスチーズを、新鮮なルッコラで食べるサンドイッチを、私は望んでいたのだろうか。
本当は、500円くらいで、そこそこちゃんとした立派なサンドイッチが食べられればいいと思った。
こんな贅沢なハムが挟まっているとは思わなかった。
もちろん、水でふやかして成形したスーパーでパウチになって売られているハムが食べたかったわけじゃない。だから選んだんだけど、それにしても贅沢過ぎた。

もっとシンプルでいいんだ。

ちゃんと作ったハムやチーズやパンや、そういうもので作ったサンドイッチが700円するのはわかる。
そして700円というのは安くないというのも、わかる。
でも、こんなに、言い訳のように贅沢にたっぷりに作らないと、お客さんは許してくれないのだろうか。

値段に正解はない。

高すぎても売れないし、安すぎても売れない。
売れても損をする値段もある。それは高かろうが安かろうが、ある。

商売をするというのは、とても怖い事だ。
お客という恐ろしい相手と向き合わなくてはいけない。
彼らからお金を出させないといけない。
出さない客は泥棒になる。泥棒は捕まえなくてはいけない。
しかし、ある程度の泥棒を許しておいて、必要なところでガッツリお金を回収することができれば、それはお客になる。
そこを鋭く追い続けていくハンターのような商売の人もいれば、「下町のおばちゃん」みたいな感じでニコニコと人を集めてお金を少しずつ集めていく人もいる。
お客と売り手、そこにはものすごい緊張感がある。

ずっとお客でしかない人は、そのことをあんまり知らないのかもしれない。
私は飲食店の実家で、その家業が潰れていくところをずっと見ていたので、お客がどれほどズルくてひどい事をするのか、よくわかった。
それに強く出られないという店の在り方を取ってしまったのも敗因だった。
食べログみたいな口コミサイトが飲食店側に嫌われるのも当然だ。お客は敵だ。それがわかっていない人が多すぎる。
その敵をうまくいなして、財布からお金をかすめ取る。
ヘルメスは商売の神様であり、泥棒の神様でもある。

悪い事をしないで生きていく、というのは、本当に恵まれた人の話なんだと思う。

ただ、この国は本当に恵まれていて、悪い事をしなくても生きていける、悪い事をしないでも商売が成り立つ国だと思う。

国で定義するのはあまり好きじゃないし、他国に行ったこともほとんどないけど、スリや詐欺が横行する地域はとても多いという。それを考えると、きちんとまともに商売ができるというのは、社会が安定しているという事だ。

逆に安定しすぎて、なんでもかんでも規制があるっていう状況もどうかと思うけど。

安くてまずいサンドイッチを売るのも、高くておいしいサンドイッチを売るのも、その人の自由だ。

ある時から、「雑貨屋さんになりたい」「カフェを開きたい」という潮流が生まれて、商売が自己表現か何かのように受け取られるような向きが出てきた。
私もそういうものだと思っていた。
だって、将来の夢というのは、そういう自己表現みたいなものだと思っていたからだ。
でも、商売というのは、そういうもんじゃない。
もっと、科学実験というか、この環境でこの重さのものをこちらに運びます、みたいな感じのものだった。さらに、そこに感情という厄介なやり取りもついてくる。

感情は、逆にいうとうまく使えば元手を使わずお金を生み出すので、絶対に加味しないといけないモノなんだけど、悪いほうにも簡単に働いてしまう。

それはずっと「お客のお店への感情」だけが重視されてきたけど、本当は「お店のお客に対する感情」をもっともっと、もっともっともっと大事にすべきだったんじゃないだろうか。

それこそ残飯を詰め合わせて安い弁当を作って売る悪徳業者にとって、お客に対する感情は人を人とも思っていないわけだ。
必要以上に丁寧にものを作って、安売りして、金がない金がないと文句を言う店の人はお客におびえている。

お客さんの事、好きですか。
それとも、お客さん、怖いですか。

そんな事を、贅沢なサンドイッチを食べながら思った。

お店の尊厳をどうやって持っていたらいいのだろうか。
モノづくりの現場を守るためには、お店の尊厳を保つ必要があって、それが価値を作る。

それはwebでも同じことだと思うんだ。
ただwebは人の顔が見えにくいから、作り手が客を馬鹿にしがちだと思う。
同時に、客も作り手が見えないから、平気でひどい事をする。お金払わないとかね。
実際の店舗だと毎日棚の様子を見て、商品を微妙に並び替えたりするけど、webだとそれをしない事も多い。
それをしないでいいのがメリットだったりもするし。

お店の、お客に対する感情って、正解はない。お客に対して恐れを持っているからこそサービスが的確になって儲かるかもしれないし、横暴だからこそぼったくって利益が上がるかもしれない。利益が上がるというのが商売の是ならば、そこに付随する感情なんてどうでもいいことだ。

でも、疲れたり、それで死んだりするからさ。人は。

贅沢過ぎるサンドイッチの後ろで、誰か死んでいなければいいけど。
少しずつ、誰かの魂を、貯金を削り取っていなければいいけれど。
かといって、自分が削り取られるのも困るし。

安くてまずいサンドイッチで、誰も傷つけないという安心を察するのも、まああほらしい事だし。
安いサンドイッチを食う事で、私は誰も傷つけないかもしれないが、私はうっすら傷つく。マズい食事に数百円を支払てしまったという苦痛を得る。

なにがどう正しいのかは、いつもわからない。

だからこそ、毎日悩む。
美味しいサンドイッチを食べては悩み、まずいサンドイッチを食べては怒る。

(おわり)

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