商売の神様に愛されている

ギリシャ神話では、商売の神様は貿易や流通とそれに付随する様々な事柄(旅の安全、交通、異なる言語)と、泥棒の神様を兼任している。水星のマーキュリー、ヘルメスがその神だ。

商売とは、「差違」である。差違によって生まれる価値であり、そこをコミュニケーションすることが商売である。

世界は均一ではないからこそ、均一になろうとする力が働く。その力の動きを見極めることが、商売の流れを見極めることであり、そこにどうアプローチするかがその商売のやり方である。

それは、狭い社会の中でも差違があり、均一化の力は働く。
すべてが均一になると、さらにはっきり違いが浮き出してくる。ので、結局世界は均一になることはないし、均一化の力がなくなることもない。強まったり弱まったりはするけれど。

そして、天秤をうまく使うこと。
それは、自分と相手の合意点を探すということだ。
なるべくたくさん奪い取ろうとか、絶対に奪われないようにしようというものではなく、双方の合意点を探すのだ。

流れとバランス、てこの原理と表面張力、摩擦係数に心理的温度。
様々な事柄が重なって、そのなかで自分の持てる資産で表現し、圧力をかけたり引いたりして、差違から価値を取り出す。

商売とは、経済とか経営とかマネジメントとかいう各論の前に、そういった全人的な世界の構造の根源みたいなものにつながっている。

わたしは商売の神様に愛されていると思う。

残念なことに、わたしは経営とか経営や金融とかの場所を知らない。大学にもいかなかった。学歴でいうなら底層だと思う。
でも、おかげで「露骨に見えるものしか見ない」ことができたのかもしれない。ショーンK的なもの(凄そうな理論とか経歴とか)に惑わされることが、できなくなるほど追い詰められた。それがなければ、今も小理屈をこねて遊んでいた。

本当に追い詰められた時、人間は持てる資産でしか戦えない。資産というのは、お金ではない。知識や技術、考え方、友人、経歴、ありとあらゆるものだ。
その時持てるもので、勝負することになる。
だから、音楽的な才能があればそれが開花し、ネゴシエーションの才能があればそれが開花する。
わたしは、商売の才能が爆発的に現れた。

ある意味、商才というのは発揮される場所が非常に少ない。商才があっても商売の現場に立つこともないとか、権限がないことはよくある。
そして自分に商才があるかどうかを問われることは、学業の中では基本的にない。

うかつに商売を始めた人は、死ぬほど自分の商才を見せつけられる日々を送ることになるけど。

小さなレストランや、文筆業などにも言えるけれど、商品(=料理や作品などのこと)がうまければ商売もうまくいくと勘違いしている向きは多い。

それな、違うからね。

もちろん商品のクオリティは必要だが、商売とはイコールでつながらない。クソみたいな商品がバリバリ売れてる。

商売は、商品のクオリティとは無関係に存在する。
それもマーケティングとかマネジメントとかの各論さえうまくやればいいというものでもない。
世界の構造の成り立ちのような場所からそれは始まっている。

そういうことを感じ取る時に、わたしは商売の神様に愛されているのだと思う。
商売というものに常に救われ、痛みを癒される感覚を覚えるたびに、商売の神様に愛されているのだと思う。

ただ、商売の神様に愛されていても、それと売上とかは直結しない。商売の苦しみも困難も、なんなら両親が商売に失敗して借金こさえて大学に行けなかったことでさえ、商売の神様の恵みだった。単純に儲かるとか、そういう話ではない。

それでも圧倒的に、わたしは商売の神様に愛されていると思う。もっと愛されたいと思う。

この神様は、なにか奇跡を起こす訳ではない。
ただこの世界の構造の深いところ、あるいはとても高いところをほんの僅か感じさせてくれる。

それだけで、わたしは商売をやりたいと思う。
この世界にいたいと思う。
科学者が謎を解明したい、音楽家が最高の音楽を生み出したいと思うように、わたしは商売をしていたい。

できる限り、商売の神様の思し召す世界になるように、ほんの少し道を整える。そのくらいしかできることはない。
それができるだけで、わたしは幸せです。



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つよく生きていきたい。