商売するのは自分の成長のためなんかじゃない

商売とは、自分の成長のためにあらず

商売=ビジネスをするようになってわかったのは、自分が成長したらビジネスが成長するというのは結構でたらめである、という事だ。

一見正しい事を言っているように見えるんだけど、自分が成長する事は商売を成功させるうえで有利ではあるけれど、しなくてもできる方法はたくさんあるのです。
それに、そもそも商売はお客さんのためにやらなきゃいけないというのに、自分の成長のためにビジネスするみたいなことを言っているのって本末転倒だと思うのですよ。

「自分の成長こそがビジネスの成長!」と言ってくるのは、単純にそういう教育市場の広告に過ぎないと思ってる。

いいかい、自分が成長することに焦点を当てるんじゃなくて、商売がうまくいく事に焦点を当てるんだよ!お前の事なんかどうでもいいんだクソガキが!
(CV:ラピュタのドーラ)

ドーラ先生はそんな事劇中でおっしゃってはいませんが。
ここらへんをさー、勘違いしている人多すぎやしない?って思うの。
マダムドーラに一回くらいは喝を入れて頂きたいくらいに思っているの。

商売は、本当に無私の世界に突入する。
自分の成長のためにビジネスをやるなんて、なに言ってんの?
それは自分のエゴのためにやってますって公言しているも同じでしょう。

いや、自分という持てる資産のすべてを突っ込んで、人のために物事を動かすのが商売という事です。リターンはあるけど、それは結局それが必要とされる間だけだし、それを世界が必要としなくなれば動かなくなる。
すべては、世界=社会=自分もいるけど自分以外の人がたくさんいる場所の存在のため。

見た目は自分が儲かるためにやってるんでしょー?って感じるかもしれないけど、自分が儲かるためにはほかの人を満足させたり喜ばせたりしないといけなくって、結局他人のために働くことになるんです。

儲かりたいと思えば思うほど、他人のために何かをしなくてはいけないんです。

でも、自分が成長することをそこに条件としていれてしまうのは、半分あってても半分は圧倒的に間違っているわけで。

たとえば、もっと外国語ができたらビジネスがうまくいくって思う事がある。それも当然だと思う。でも、それだって焦点をどこにあてるかでいろいろ変わってくる。

なにかを得ると、必ず何かを失う。もし外国語を学ぶことで失う感覚があるとしたら、「わからないけど欲しい」という気持ちだと思う。わかってしまうと欲しくなくなったりする。

つまり、外国語が離せない状態にもアドバンテージは存在する。
いまある外国語がわからない人間のアドバンテージをきっちり使わないとけない。商売は、どんな状態でもできる。

現状のアドバンテージを全部使う事。
その上で、自分の能力を伸ばしていく事。

商売をするうえで、自分の能力を伸ばしてカバーできることなんて本当にささやかなことでしかない。だから、MBAを取った、学んだなんて事がどれほど役に立つかというとそれほどじゃないと思っていないとダメだし、実際自分で何か成功したとしてもそれが次に役立つものは少ない。

商売は、自分の能力を伸ばすためにやるのではない!!!

世界の動きを正常にするために、少しの圧力を加えたり引いたりする、という事でしかない。

大体、自分の成長のためにビジネスに挑戦したいとか、なにふざけた事言ってんの?そんな自慰行為につき合わされてお金払わされるなんて、どういうこと?ふざけないで欲しいよね。

と、若き起業家という人たちのブログなんかのプロフィールやFacebookでイイネを押された投稿を見るたびに、むかむかしている。

自分の事なんか必要ない場所だからこそ自由なんじゃないか

個に結びつかない、結果だけの世界だからこそ、商売は救いがある。
と、わたしは常々思っている。

自己顕示欲も、金銭欲も十分あるけれど、それよりたぶんビジネスをするというエキサイティングな事があまりに面白いのだと思う。
そのために、一部自己顕示欲を抑えておくとか、金銭欲はおさえてここは長期的な目で見ようとか捨ててもいいとか、そういう判断ができるようになってきた。

その判断が正しいかどうかは不明です。
でも、それができるようになってきたのは、自分を少しだけ自由にしてくれた気がする。

でもね、無理に自分を抑えていくのも意味がないとも思っている。
「圧倒的成長!」「俺、すごい!大学生なのに起業もできちゃうなんてカッコいい!!」という快感に身をゆだねたいという欲求がすごい時だってあるし。
その欲求があるから、生き抜くことだってできる。

そこをね!
勘違いしないようにしないといけないと思うんだよ!

自分の快感を持ちながらも、そことはきっちり切り離してビジネスを動かしていくんだよ。自分のためにやっちゃいけないんだ、なにひとつモノにならないから。
快感がないと人は動くことができないから、快感はちゃんと持っていないといけないけど、それと商売は別だから!

自分が成長しなくても、商売はうまくいく方法がある。
それを忘れちゃダメ。
商売がうまくいくっていうのは、結局自分のためじゃなくて、誰かのため、誰かがいる社会という器のためになった時にはじめて動き始める。
大層なことじゃなくて、「か、かわいい!」という感情を生み出す事でも十分だし、カッコ悪くても「ゴミ処理は絶対必要」って大金を持っていく事だってできる。
それを「自分の成長のため」とかいう、一見努力家で腰が低い感じにカモフラージュして自己顕示欲を出すなんていうのはやめた方がいいんだ。

自己成長を否定するものではないです。
成長はしないとダメ。同じところでつまづくから。
でも、成長を目的としてはダメ。手段の目的化が起きている。それはうまくいっている時はいいけど、うまくいかなくなった時に全然役に立たないから。

健全な自己顕示欲と商売と

結局のところ、自己顕示欲の行きつく先がどこなのかをある程度見極めていないと、っていう事だと思う。

商売を始める人は、自己顕示欲が強い人が多い。
自分が感じたことを伝えたいし、それを称賛してほしい。具体的にお金という形で動いてほしいし、お金があれば自己顕示欲をさらに埋める事ができるからもっとお金も欲しい。
それが強い力になっている。だから無理もできる。
それは悪い事じゃない。

でも、そう思っているっていう事を自覚しておくのは大切だ。

商売がしたいのは、なぜか。
商売そのものが面白くて面白くて死にそうな場合、もう商売ができればそれでいいみたいなところがある。
わたしは比較的その感覚があって、もちろん自己顕示欲も強いとは思うけど、商売の楽しさは言葉にならない。どんな条件でも参加できる最高のゲームだ。それを知っただけで、わたしは生きていけるって思った。

自分のゲームと、社会のゲームを一緒にしてはいけないのだ。
社会のゲームに乗っかりながら、自分のゲームができるっていうのが、醍醐味なのだから。

それには、自分のゴールを自分で決めなくてはいけない。というか、それが許されるのが最高な部分なので、決めなくてはいけないなんて事じゃなくて、決められる!という前向きな表現のほうが感情には即している。

健全な自己顕示欲を持つこと。それはとても大切なことだと思う。
自己顕示欲を満たしながら、家族や友人や多くの人とうまくやっていく事もできるし、自己顕示欲のためになしたことが世界を少し良い方へ傾けるかもしれない。
だから、否定するものではない。

同時に、商売は自己顕示欲では実のところうまく回らないものだという事も、どうしても知ることになる。
だからといって、自己顕示欲を押し隠す必要もない。隠したらうまくいくというものでもないのだから。

商売はお客様のもの

昔から言われていることだけど、商売というのはお客さんのための仕組みなのだ。売り手が儲かるための仕組みに見えるけど、本当は全然そうじゃない。買う人のための仕組みが、商売なんだ。
売る人は、その手数料を受け取っているに過ぎない。

だから、値付けも商品の形も、すべてはその価値をお客さんの手に渡すために用意されている。
目先の売れ行きのために安い値段をつけて、持続的にものが売れない状態に陥るというのも結局は「正しい値段」をつけられなかったことで迷惑をこうむるのはお客さんになる。

ここら辺は、ものすごく難しいなっていつも思う。それに自分の未熟さも常々感じるところでもある。そういう意味では、成長しなくてはと思う。
でも、その成長は別に自分が成長したいんじゃなくて、お客さんのためにそれができないと商売が継続できない可能性が高まるという意味であって、別に成長しないでうまく回せるならそれに越したことはない。

商売をきちんと回していくためには、商売をするんだ!
自分の成長のためとか、いい会社をつくるためとかじゃないんだよ!

手段の目的化という恐ろしい罠があちこちにあるけれど、商売だってそうだ。
私たちは、商売をするんだ。
売上も、商品設計も、社員への保証も、すべては商売のためだ。

商売は、死ぬほど楽しい。
だから、間違いなく商売をし続けなくてはいけない。


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