展示に向けてのいくつかの覚書

個展を開催する予定だけれど、その理由は、皮肉を言いたいという事に尽きるのではないかと思う。

よくブログでもなんでも「私って毒舌だから」という人は結構いるけど、言葉で書き散らす毒舌にはちょっと飽き飽きしてしまった。

ダイヤモンドや本真珠に触れる事で、それらがどれほど人の心をジクジクと刺激するのかを、自分自身を通しても、他人の反応を通しても、多く感じる事になった。

お金や収入という面だけで見るのなら、多種多様なあり方が認められていて、ニートが高収入の人を馬鹿にするスタイルも確立されている。
お金そのものでは、刺さるものが少なくなってきている。
それはそれでいい社会の構造なのだと思うけれど、それがお金ではなくジュエリーになってしまうと途端に人々の感覚は原始的な反応を見せ始める。

「こんなものにこんな金額を払うなんてあり得ない」
「こんな高価なものをこんな低俗なものに使うなんてありえない」
「日常使いにはもったいない」
「マナーとしてなっていない」
「嫌味っぽい」
「さりげなく贅沢でステキ」

肯定的な反応も、否定的な反応も、すべて遠巻きに見ながら注意深く自分の立場を守りつつ発信されている。

「自分へのご褒美」というのも厄介だ。
それはかなり多くの人にとって、マスコミから提示された考え方になる。
欲しいから買うのでいいはずが、様々な理由を探して自分がそれを買うだけの正当な理由を追い求めてすべてそれで埋め尽くされた時にやっとそれを買う。

その長い過程に、どれほど意味があるのだろうか?
もしかしたら、全然ないんじゃない?

という事を、言ってやりたい。


展示するのは、日常触れるものに真珠や宝石をほどこしたもので、ジュエリーとしての価格は適正価格であるけれど日用品としての価格は桁がいくつか違うというもの。
けしてその値段で購入されることはないもの。
ただし……宝飾の業界から見ると「コスパがいい」とされてしまうもの。

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つよく生きていきたい。