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一度言いたい、そもそもブログはビジネスじゃないよね?

私はビジネスについていろいろ書いていますが、ブロガーとかアフィリエイターとかはビジネスとしてカウントしていません。

ブロガーとかアフィリエイターはコンテンツ作成に関わることだとカテゴライズしています。私のいうビジネスは基本的にモノの売り買いについてです。

なんでこんなことを言い出したのかというと、ここら辺、プロブロガーとかブログで稼ぐとか、アフィリエイトとかっていう人がnoteユーザーで増えたので、そういう人たちが「ビジネス!」とか「起業!」とかに引き付けられているみたいなんだけど、プロブロガー志望者さんのやってる(目指している)稼ぎ方と、私が日々実践して実際稼いでいるビジネスは、たぶん全っ然違う世界だと思います。って事をちょっと自分の整理の意味も込めて、書いておきたいと思ったのです。

なので、これから超長い。

私はお金を稼ぎたいんじゃなくて、ビジネスがしたい

私はお金が欲しくて副業をやってるんじゃなくて、普通に新しい価値観の商品を作り出してそれをつたえるために、会社を創立したくてやってるのです会社が欲しいんじゃなくて、ビジネスをする上で会社が必要ってことですね。

だから、給料が足りないからその足しに副業をしたいという事じゃなく、ビジネスの資金が足りないからバイトに行こうくらいな感じです。
もちろん利益は重要ですよ。そもそも利益の出ないビジネスは犯罪に近いとおもっていますから。

そもそもね、副業だろうが、兼業だろうがプチ起業だろうが、なんでわざわざ小さくまとまろうとするんですかね?
どうして最初から大きい目標をあてにいかないんでしょうか?
言っとくけど、小さい目標狙ってもダメだからね。ボールを投げた時、放物線を描いて、結局思っていたより低いところに落ちるでしょう。そういう事が起きるんです。人は自分の事を買いかぶるのが基本です。

いいですか、最低でも国際戦からスタートしないとダメです。
それは外国語ができるとか、越境ECをしろって事じゃなくて、少なくとも自分の作っているものは国内で並ぶものはない、最低でも国際試合からスタートになるって思って作らないと、生き残れないから。少なくともニッチってそういう事だから!

そこらへん、わかってない人多いですよね。
最初から小さくまとまろうとするのは、手練れのやり方です。素人は最初から世界レベルで戦う覚悟でものをはじめなきゃあっという間に淘汰されます。
それは売上金額とかで計るものではないので、売上がしょぼくても世界レベルにいけるくらい独特なものであることが何より大切です。
世界レベルでありながら、国内で細々やってりゃいいんですから。

「主婦でもハッピー☆ミラクル起業塾」とか言ってる場合じゃないんですよ。
目を覚まして、ミラクルハッピー!このままじゃ中年期の黒歴史になっちゃう!

インターネットの上でモノはどういう変換をされるのか

で、ビジネスって、基本的にモノの売り買いでお金を稼ぐことになると思います。モノが無形のサービスという事もあります。でも、それもモノです。
モノがないと、取引ができないんですね。
金融商品とかは、「あるとしてー」という事で取引されていますけど、それもやっぱり「モノ」があるとして、という事でやり取りがある訳で。

それが、やはりビジネスの基本だと思います。

それがインターネットの世界がうまれた事で、ちょっとばかし話がずれてきた。

インターネットの登場で、「情報」が価値を持つようになったって言われていますけど、わたしは違うと思っている。
インターネットは、ありとあらゆる「モノ」をコンテンツ化させてしまったんだと思っているんですよ。個人的な解釈だけど。

たとえば300年続く老舗の味噌蔵があったとして、そこで作られる味噌っていうのは、モノでいったら単なる味噌です。
でも、味噌というのをインターネットにのせると、それがコンテンツ化してしまうのです。ひとつ前の時代でいえば、雑誌に載ったという感じ。
そして、お客さんは単なる味噌じゃなくて、300年続く老舗の味噌ってものを体験したくなる訳です。

インターネットにのると、味噌がコンテンツに変換されてしまう。
モノが、体験として書き換えられてしまう。

味噌だけじゃなくてモノはすべてインターネットに乗っけられると、コンテンツ化してしまう。情報にしかならない。
それも視覚情報と、まあいって音。最近はそこを補うために動画と言いはじめている。

これ、正直ね、困りました。
いや、最初わたしがビジネスを起こしてネット通販を始めた時、扱っていたのが「食品」だったんですよ。
インターネットに味、食感、香り、触感がのらないんです。いやー困った。一番伝えたい情報が、一番伝わらない!最も他の商品と差別化されている部分が全然伝わらない!
よそのクソみたいな味の、見た目のいいだけの写真に負けている。
しかし、低コストで多くの人に届ける可能性という意味ではインターネット以上のものが見つからない。

なので、ネットでものを売るというのはどういう事か、考えました。我々は何を買っているのだろう、と。

ひとつの結論として、コンテンツを買っているんだというところにたどり着きました。インターネット上で売られているあらゆるものは課金コンテンツだ、というのが私の結論です。
冷凍タラバガニも、シャネルの型落ち財布も、デリヘル嬢も、インターネット経由で購入したものはすべて課金コンテンツです。

そう考えると、あら不思議。
どうやったら売れるのか、するするとわかったのです。
そう、モノがコンテンツ化するなら、それを課金したら体験できる情報を「どうしても体験したい」と感じるものに書き換えてしまえばいい。

強いて言うなら、わたしはそういう文章を書くのが格段にうまかった。
神様ありがとう。

そして、よく売れました。
売れすぎて、カートに商品の数を入れるのに手が震え、80秒で結構な数が完売、そのすぐ後に「カートに入れたのに決済する前に消えた!どうしてくれるんだ!」とクレームの嵐にさらされるので、片っ端から「大変申し訳ございませんが、3分ほどで売り切れでしまい」と100秒ほど上乗せして少し真実味を加えた情報をつけてお詫びのご返信をするという体験をさせて頂きました。

インターネットで売られているものは、すべて課金コンテンツ。
この視点でものを見ると、あっという間に売れないものも売れるようになります。

つまり、モノをコンテンツ化するのはとっても簡単なのです。

今、課金コンテンツというと、それこそテキストとか画像とかをさしますね。
特にnoteはそういうものに課金してもらおうというプラットフォームです。
課金コンテンツは難しいと言われています、多くの場所で。
でも、インターネットではものすごい額の取引がされています。それらは課金コンテンツと同じ入り口をしています。

課金コンテンツは何億円と取引されているのに、なぜ純正課金コンテンツが動かないのか。

ひとつは、コンテンツの「モノ化」が全然洗練されていない、というのがあげられるんじゃないかと思っています。

今まではモノのコンテンツ化によってインターネット上でモノが課金コンテンツとして取引できるようになった経緯がありました。
つまり、やはり人間は「モノ」が欲しいのです。それが情報でしかないと散々言われても、モノが欲しいのです。
つまり、モノにさえなってしまえばどんどん売れる可能性は出てくる。

小説を書いたら、それが豆本になる製本データを売る。極端な例だけど、そういう事だと思います。もっと言うなら、小説を書いて、そこに出てくる赤いピアスを売る。そんな事です。グッズに転ばせるとしても、それもコンテンツの延長線上にあります。ゲームとかだってグッズ販売でいろいろ稼いでいるじゃないですか。あれもコンテンツが売らせている訳で、コンテンツそのものに課金はしなくてもグッズは金に糸目をつけない人は多いです。

多分ね、いわゆるインターネット上にのせられるコンテンツは、お値段が付きにくい。もう国が介入して一律課金しないとコンテンツに触れないみたいな事になったら状況は変わるけれど、それは考えにくいし、そんな国はちょっと困る。

個人的に思うのは、noteはどこかの印刷会社と提携してオンデマンド製本したらいいのにねって事です。
小説や漫画をオンデマンド印刷バージョンで課金したら、その漫画や写真集や小説が届くというなら、もっと課金されると思う。
製本まではいいやって人が安い方をぽちっとするかもしれないし、製本されたから欲しいという人もいるだろうし。

まあ、この辺りはまだいろいろ考え中なので、コンテンツのモノ化(しかも現代における)というのはちょっと難しい課題だなあと感じています。
モノのコンテンツ化はすっごい簡単だったけど、それはモノを作るよりコンテンツを作る方が楽だったからだし、そうするとモノを作るのはコンテンツを作るより難しいという事になる。

で、ブロガーとかはビジネスなのか、って話ですけど。

いや、ブロガー、ライター、そして作家あたりもかぶってくる部分なのかなとおもうんですが。

私見なのだけど、ここは歴史的な背景がすごく問題をめんどくさくしているんじゃないかなって思っています。

かつて文筆業は紛れもなくひとつの商売として成り立っていたと思います。
作家、新聞記者、評論家、などなど。
これが、大きな問題の元凶となっていると思うのです。

パソコンの登場で何が変わったかというと、本や雑誌という紙で作られた情報デバイスの優位性が崩れてしまったという事じゃないかと。何百年、いやそれよりももっとずっと長く、本は情報デバイスとして揺るぎない地位を築いていたのに、それがたったの十数年で揺るがされ、30年ほどでずたずたになってしまった。

デジタルデバイスの登場で、本はその優位性を失い、本という紙でできたモノだったはずのものが情報という状態に瓦解してしまった。モノにはお金を払っても、情報は「モノから読み取る」ものであって、情報を取り出す方法は個人の力量にゆだねられており、それはパーソナルな物事であって、市場(マーケット)化されるようなものではなかった。それが数百年、それ以上の長きにわたって続いていたというのに。

つまり「情報」はいつも必要とされ金になるけれど、「情報を引き出す方法」はパーソナルなもので、そこに課金ができるものじゃなかった。

食べ物は売れるけど、咀嚼して飲み込むことに課金はできない。みたいな話。

歴史的な文脈から言って、情報を引き出す方法に課金されることは、いまいち受け入れられない事です。

それなのに、紙の情報デバイスによる課金ができなくなって給料をもらえなくなった文筆家たちは、そうはいっても今までと同様の金額を要求するのです。
それどころか、あとからやってきた若者たちもブロガーだの素人ライターだのも、金額を要求したいと思っています。歴史的に文筆家という職業が存在すると信じ切っています。すでに絶滅危惧種、レッドデータブックに太字で載せるべき情報ですが、それは受け入れられていません。

「将来お医者さんになりたい」と思って育った子供が、大人になった頃に「今は医療行為は人工知能とロボットが行うからお医者さんという職業はないんだよ、ロボット整備の仕事ならあるけど」と言われても納得できないような感じだろうか。

とはいえ、人間のコンテンツ作成能力はけして衰えていません。
ブロガーも素人ライターもある程度面白いものが書ける人間が幾人かはいます。

でもそこには、みんながお金を出して買ってくれた紙のデバイスはありません。税金が徴収されないので、分配もできません。
だけど、歴史的な経緯から文筆家はお金を要求できると考えています。新しく文筆家になりたがる人間も、つぎつぎ生まれてきます。

じゃあ紙じゃないけど課金(集金)できる機能を付けたプラットフォームがあればいいんじゃね?とnoteが作られました。
それまでは、多くのブロガーは自分の文章ではなくて、その周りに張り巡らせた広告をクリックしてもらう事でいくばくかのお金をもらっていたのですが、それは別に自分が書きたいことの評価ではありません。二アリーイコールと見えなくもないですが。

で、noteなどで課金されることを「ビジネス」と言いはじめる向きが出てきました。

うん、まあー間違ってはいないと思うんだけど。
むずかしいのは、コンテンツを作ることと、それのマネタイズとマネジメントを全部自分でやる必要があって、コンテンツを作って、作ったものをまた売るっていうダブルのプロセスが必要なのに、それを一回でこなせると思っている人がすっごいたくさんいるようで。

ブロガーがビジネスじゃないと思うのは、まずブロガーはコンテンツを作る人=クリエイター、作り手なんだと思います。
ビジネスは作り手にはできない、というのが持論。
クリエイター自身が売り手になってもいいんですが、クリエイターの商品を売り出す営業マンが必要。noteではその機能を事務局が一部担って、SNSに拡散したり、note内お勧めとしてピックアップしたりしているけれど、それはとても狭い、弱い拡散力しかない(それでもヒットする時はある)し、選ばれない作品のほうが圧倒的に多い。

ブロガーは作り手です。まずはコンテンツを作るのが大事です。それもどこかで読んだようなうすら寒いものじゃなくて、本当に面白いものを作るしかない。

コンテンツ作成はとにかく才能を磨くしかない。とても恐ろしい世界です。
才能を磨いたからと言っていいものが書ける、作れるというものでもない。
でも努力しないと、ドンドンダメになっていく。

でも、それが売れるとは限らないのです。

これは往年の文筆家たちも同じ道でした。
いい作品を書いても鳴かず飛ばず。
ブロガーになっても鳴かず飛ばずで嘆いている人は、かつての文筆家たちにも同じくらい鳴かず飛ばずな人がいたと思うと、気がまぎれるかもしれません。

その上、さらに市場は崩壊の一途で、下手な文筆家やブランドのない文筆家にお金が回ってくる可能性はさらになくなりました。

それなのに、金が欲しいという要求をしている人たちがあふれかえっている。
コンテンツの数を増やせばPVが増えるとか上位表示されるとかで、むしろ面白いものは減ってつまらないものばかりが量産され、しかも紙じゃないから減らない!!

その中で生き残っていくには、
1.面白いコンテンツ
2.面白がってくれる読者
3.面白い人だという評判

の3つが必要です。

つまり、ブログをビジネスとするなら、この3つを持ち合わせないといけないんじゃないかと思います。
面白い評判を立てる為なら炎上上等という向きもありますけど、ちゃんと面白いものを作っている人もいっぱいいます。
で、そういうのを熱心に読んでくれる読者も必要。でもこれは、作り手、発信者だけでどうにかできるものではありません。なので、かなりさいころを投げるようなもの。
そんな中で重要なのが評判です。評判、つまり期待値というか。コンテンツ(作品)の品質保証というか。
これがないと、コンテンツをそのまま中身も見ないで課金してくれる人は少ないでしょう。

つまり、ブロガーがするビジネスの内容って、コンテンツ制作以外は、品質保証をどこかで出してもらうって事に注力するって事になると思うんですよ。

だけど、現状ブロガーのあれこれって、正直よく知らないけど、コンテンツがどうのとかSEOがとかPVがとかがほとんどみたいに見えるわけです。
これはちょっと、弱い。品質保証の面で弱い!どんだけPVがあったかなんて、ネット業界の人しか興味ないですよ。一般人、そんなのあんまり気にしない。

品質保証は、他者から与えられなくてはいけません。
一番簡単で、効果もあるのは、本を出版することかなと思います。売上というより名刺としての出版ですね(炎上商法しているとAmazonレビューがひどいことになる)。でも本を出すのが目的!みたいな人もいるくらい、ハードルは高め。だからこその品質保証ですが。
あとは誰かからのレコメンド。でも、最近は身内でレコメンドを回すという「女子会で褒め合う女たち」みたいな状態になっているので、ちょっと簡単にそれを信用しにくい状況です。
ではどうするのか?というのが、ブロガーがしなくてはいけないビジネス施策ではないかと思います。ここは自分で考えて動かすべきところ。
有名な人に紹介してもらうとか、お客様の声的な感想をびっしり並べるとか。
他者からのよい評価を、さりげなく並べるって、実際すごくハードル高いのがジャパンの現状だけど、がんばりましょう。

でもね、やっぱりブログを書くことって、別にビジネスじゃないと思うんですよね。そこからビジネスに展開していく方法はあると思うけど、ブログはブログです。weblogです。

というか今もブログで稼ぐっていう話が普通にされていることが恐ろしいんだけど、それ10年くらい前の話じゃないの?というのが、わたしの感覚だったので、正直びっくりしていますよ、ブログで稼ぐnoteでコンテンツを売るって息巻いている人が私がクリックした範囲でこれほどいるなんて。
それも有識者や特殊技能の持主じゃない、文章もへたくそな一般人が「書くことないけど課金マガジン作った。何を書こうかな」なんて言ってて、めまいがします。まさか、売れると思っちゃいないよね……ご祝儀課金もらえたらそれで満足してしまうのかな……。
別に何を作るのもいいけど、それでどうして売れないんですかっていうのはそもそもおかしいって自覚は持っていてほしいけど。ビジネスをするっていうなら特に。

作品と呼べるくらいクオリティが上がって、なおかつ熱心な読者がいて、その上品質保証の評判もあれば、コンテンツは普通に売れると思います。

でもかつては、それは才能ある作家優秀な編集者紙面を作るデザイナーなどが集まって、さらにずいぶんたっぷり経費をかけて、その上たくさん広告を入れて、やっと売れていたんですよ?
それを、素人が一人で全部やるってことです。それも売る器である紙の本という媒体もない中でやってかなきゃいけない。
それらができるツールがそろったいい時代だとはいえ、たぶん、頭の中にある過去の文筆家のような存在になるには、相当厳しい状況です。

それを「誰でもできる」と煽ってお金を巻き上げていくスタイルは、ちょっとばかりひどくないかなって思うんですけど、もしかしたら誰にでもできる事なのかもしれない。それは、やってみないとわからない。
挑戦はいつも尊いものです。
自分が天才だったと気づくかもしれない。

まとめ

いろいろと散漫に書きましたが、

・インターネット上で実際のモノはコンテンツ化する
・インターネット上での売買はすべて課金コンテンツと言える
・課金コンテンツであってもモノである方がよく売れる
・コンテンツが売れないという周辺には歴史的な背景からくる認知のずれが起こっている
・ブログの記事そのものに課金されるにはコンテンツの質と良質の読者と肯定的な評判が不可欠

投げ銭みたいな課金は、石を投げたら当たったみたいなもんです。
なんかすごく響いた!みたいに投げ銭をもらう事もありますが、それは大変ありがたい事でもあるのだけど、それを「これならコンテンツ課金だけで食べていける!」と思うのは早合点だと思います。
昨年までの私のnote平均年収は6000円です。

目先の課金よりも、もっといい作品を作るとか、そっちで頑張る方がリターンが早い場所のような気がするんですよね、個人的には。
すでに何人も漫画作品が単行本になったりしているから。先にそれで品質保証をもらって、そのあと課金でかせぐ方が良いと思います。
ただ長期的な計画になるので、リターンがないのに延々と高品質な作品を作り続けるという恐ろしい状況になるんだけど、それを越えた先に、なにかがあるかもしれない。

ないかもしれない。

ただ、わたしはとにかく自分のビジネスを完成させたいと思っているし、そのために日々思ったことや感じたことをスパッと書き留めておきたい、というのがこのnoteを書き続けている理由です。
それが人のためになるというのは、なったらいいけど、二次的なものじゃないかなと思っています。

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つよく生きていきたい。