見出し画像

「欲と知足ー船上で揺れる心」   


今回は、青空文庫から。
森鴎外の「高瀬船」の紹介をしてみたい。

あらすじ


 高瀬川を上下する高瀬舟は大坂まで受刑者を運ぶ船である。乗船した喜助は、弟殺しの罪で島流しの刑を宣告されていた。彼を護送するのは、同心の羽田庄兵衛だ。喜助は弟を殺したのにも関わらず楽しそうに見える。一体どんな心持でいるのだろうかと庄兵衛は気になり声をかけた。

みどころ


高瀬舟は、1916年森鴎外が54歳のときに中央公論で発表した短編小説だ。教科書に掲載されてその存在を知ったという方も少なくないだろう。主に「安楽死」をテーマに取り扱われることが多い。しかし、この作品の中では「足るを知る」も重要なテーマとして扱われている。


「足るを知る」には、老子の言葉で「身分相応の満足を知る、満足を知るものは豊かである」の意味がある。
 
本文中では、喜助が牢屋を出る時にお上からもらった二百文を貯蓄に回し、働こうと考える場面が「足るを知る」の例として描かれている。喜助は幼い頃に両親を亡くし、苦労に苦労を重ねて生きており、罪人となった自らの境遇の中でも、今ある命を活かす道を探っていたのだ。喜助のように今あることへの感謝心があれば、欲張る気持ちも踏みとどまれ、現状に満足できるのではないか。


 一方庄兵衛は、同心の職に就いているが、月々の給料をもらう暮らしに満足を覚えたことはほとんどない。心の奥底には職業や健康に対する不安や不満が浮き沈みしているのであった。庄兵衛は喜助の姿にある種の神々しさを感じるが、逆に言えば、それは「到底真似ができないから」ともいえる。


 多くの人は足りないことを見て生きている。だからこそ、「今よりも豊かな生活を送りたい」と願う。例えば、知的欲求があるから勉強をして、上級の資格を得る。さらに新しいものを生み出そうとする意欲が科学技術を発展させている。そのような欲があるから社会が成り立っているともいえるだろう。もちろん、自分の欲と他者の欲がぶつかり合い、争いが起こるなど人間を破滅に向かわせることもあるのだ。


 この小説最大のテーマである「安楽死」の問題も、一種の「欲」をめぐる葛藤とはいえまいか。今あること(苦しくても命がある)に満足できない人間の究極的なエゴが安楽死(安心して楽になって死にたい)なのか。苦しみから解放するために、たとえ悪意と殺意はなくても、死の期限を人間が決めていいものなのだろうか。最後を迎えるまで欲をなくすのは難しい。


 筆者は認知症介護現場にいたときに、患者本人の意思確認ができない中、「苦しまず楽に逝ってもらいたい」という家族の気持ちから、最終的に「延命措置はしない」と決断する現場に遭遇したことがある。倫理的な問題は本当に難しく、容易に答えを出せないことを痛切に感じる。


 だから庄兵衛が考えあぐねた末に、裁き手のオオトリエテに従うほかない思いに至ったのも理解できる。判断できないことを自分よりも大きな存在に委ねるのが庄兵衛にとっての「足るを知る」なのかもしれない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?