Naked

良い文章とはまだ誰も分け入っていない新雪をスキーで滑るような文章だ。余計な言葉で足場を固めたり、予想される反応への予防線なんてなく、ただその中心に向かって、それが初めてであるかのようなシュプールを描くことだ。

最近朝起きて散歩をしているとずっとそんなことを考えてしまう。僕は春の花の咲いた桜よりも冬の桜の木が好きだが、冬の桜の木の無法図に伸びた木の枝を見ていると、ああいう風になりたいと思う。剥き出しだ。Nakedだ。

バロウズの『裸のランチ』の原題はNeked Lunchだ。確か文庫本にタイトルの由来が書かれていたと思うのだけど、人間だれしも美味いステーキをフォークで刺して口に運ぶその瞬間だけはいつだって"Naked”だ。というようなことが書かれていた気がする。もう忘れたけど。

Nakedでいたい。肉体的にも社会的にも余計な贅肉が付きすぎてしまって、立ったままだと自分のちんぽこが見えなくなってしまいそうだ。それは悲劇だ。悪い文章というのは自分のちんぽこが見えなくなった人たちによって生み出される。

公正さ、正義、適切な表現であること。そんなものは全部嘘だよ。みんな知っての通り。射精に次ぐ射精。僕は一本のキリになって、いま、死を選ぼうとしている誰かに突き刺さってあげたい。さらさらと血を流してあげたい。

明日の最高気温は25度で多くの人が少しはにかんだ表情を浮かべながら、春物のコートをハンガーに掛け直すだろう。そこかしこに咲く花々は美しくて、うららかな陽気がこの世の全てが万事順調にいっているような気にさせてくれる。さらさらと、陽は注いでいるだろう。さらさらと、血は流れているだろう。

もしよかったらもう一つ読んで行ってください。