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チョコレートの親戚を食べたかった子供が大人になるまでに乗り越えなければならない幾つかのこと

※このお話は大人から子供まで幅広く読んでもらいたいので、とあるワードを「チョコレートの親戚」及び「チョコの親戚」と表記します。ご了承ください。


先日男優のしみけんさんと人気ブロガーはあちゅうさんご夫妻が第一子を授かったという大変おめでたいニュースが飛び込んできて、僕の中で話題になっていました。僕は上の動画を見て以来しみけんさんがとても好きで応援していたので嬉しい限りの出来事でした。とはいえしみけんさんの出演作をチェックしている、とかそういうわけではなく、僕が「おや」と思ったのは上の動画で非常に高い「批評性」を垣間見せるしみけんさんの複雑な表情が今でも頭の片隅に残っているからです。

しみけんさんは動画の説明によると15歳の頃に男優になることを心に決めたそうです。でもそれは男子高校生の「男優羨ましい!」という思春期らしいノリではなく、4歳のころから心に秘めていた「チョコレートの親戚」を食べたいという気持ちがあったからだと語ります。でも子供ながらにあまり人には言えない気持ちだと悟り誰にも言わなかったしみけんさんですが、高校に入って「『チョコの親戚』尿家族ロビンソン」という映画をみて、「今まで隠していたことがこの世界では肯定されている」と衝撃を受けます。そしてそのまま上記の通り男優さんになっていくのですがしみけんさんに立ちふさがる壁はまだまだたくさんありました。

まず最初に応募した男優職は残念ながら異性愛者であるしみけんさんとしてはなかなかに辛い経験をされたそうです。そこはマツコ・デラックスさんが当時編集を勤めていた『Badi』という雑誌で、男性の同性愛を扱っていた雑誌だったのです。ですから待てど暮らせど来る仕事は男性との絡みが中心でしみけんさんが本来やりたかった、女性から生成された「チョコレートの親戚」を摂取する仕事はありませんでした。その後マツコ・デラックスさんの導きもあり異性愛を扱っている事務所で仕事を受けることになるのですが、その事務所から電話がかかってきた時の第一声が「君、チョコの親戚食べれる?」だったとのこと。これはまさに運命ですよね。小さいころから隠してきた自らの願いが、こうでしかありえない形で仕事に繋がったのです。

さてとても感動的なエピソードなのですが、このお話をされている最中のしみけんさんの眼球の動きに注目すると不自然なほどに妻であるはあちゅうさんのいない、左斜め45度あたりを見つめています。夫婦で出演されているわけですから、そこはたまにアイコンタクトをとったり、笑いあったりするのが自然と思われるのですが、一切はあちゅうさんの方を見ようとしないところに「批評性」を感じました。まるではあちゅうさんには「チョコレートの親戚」を食べるしみけんさんの生まれ持った願望を許容されていないかのような感じがしました。

その後トークが進み、司会の高橋さんが「今も第一志望的には『チョコの親戚』を食べたいんですか?」との質問に、かなり迷ったような声をあげて、「不思議なもので、なくなりつつあるんです」と戸惑いながら語る一瞬だけはあちゅうさんの顔色をチラっと伺うのです(動画内6:31)。ここはいわば、谷崎純一郎の『春琴抄』で顔にやけどを負った春琴のために佐助が何も言われずとも自らの両目を針で刺し貫いたあの名場面に勝るとも劣らない緊張感を感じます。僕は直感的に「あ、しみけんさん、嘘ついてる」と思いました。この場面と「生まれ変わったら『チョコの親戚』入れになりたい」と笑顔で話すしみけんさんの朗らかさとの対比がとてもアンビバレントな美しさを醸して、秋の夕暮れを前にしたときのようなやるせない感情がこみ上げてきます。

その後はあちゅうさんからもトークがあるのですが、7:15秒からその口から驚くべき台詞が聞こえてくるのです。曰く「私と付き合ったときから真人間に私が更生させた」とのことなのですが、この場面でのしみけんさんの表情をより注意深く見てみましょう。まずその前段階では妻であるはあちゅうさんに「チョコレートの親戚」の話と言う少し触れずらいテーマに触れさせてしまって若干の申し訳なさを感じているのか、額に皺をよせ、唇を少しだけとんがらせてはあちゅうさんの方を一度だけチラっとみます。その後7:15から上記の台詞がはあちゅうさんから話されるのですが、その話を聞いているしみけんさんは、まるで『罪と罰』のラスコーリニコフがソーニャに自らの罪を断罪される時のような面持ちで、ゆっくりと顔から表情と呼ばれるものが零れ落ち、次第に視線は何かを捉えようとする試みを諦め、最後に少しだけ下唇が痙攣しているように見受けられます。

これは飽くまで推測にすぎませんが、僕はこの表情をみて「大人になるってこういうことなんだろうな」となんだかとても複雑な気持ちになりました。これはお相手がはあちゅうさんであろうとなかろうと、結婚して、子供を育てるうえでどうしても通り抜けなければならないものなのでしょう。しみけんさんはその過程で「自分から零れ落ちていくもの」をしっかりと見定めながら、「それでも大人になるのだ」と何かすこしバツの悪そうな表情をしながらもしっかりと前を見ています。

それはとても素晴らしいことなんだと思います。
けれど心の中のホールデン君が「でも『チョコレートの親戚』食べたいけどな」とライ麦畑をどこまでも走っていってしまって、もうどうにも見つけ出せる気がしない。そんな風景がいつまでも頭の片隅に張り付いて取れないのです。


もしよかったらもう一つ読んで行ってください。