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象のいる生活

日本に存在する市町村のうち、象を保有している地方自治体がどれくらいあるのかは知らないけれど、どれだけ多く見積もっても1割は超えないだろうな、という想像がつく。

僕は数奇なことに、玄関まで行き、靴を履き、鍵を忘れたことに気付いて靴を脱ぎ、そしてまた靴を履き、玄関を開けて20分ほど歩くと象がいる街に住んでいる。仮に財布を忘れたとしても入場料はかからないので何の気兼ねもなく象と対面することができる。

なんで突然象のことを書き始めたかと言うと、村上春樹の『象の消滅』を読んだからである。この小説でも僕の住む街と同じように、大きなテーマパークとしての動物園で飼育されているわけではなく、数奇な運命でそこに運ばれてきた一匹の象がその街のシンボルとして飼われている。

その象が突然姿を消す。足に嵌められていた分厚い鉄製の錠は最初からなににも嵌められていなかったかのように、鍵をかけられたままそこに転がっていた。動物園は高い柵で覆われていたし、周りは柔らかい──少なくとも象が歩けば足跡が残る──土地に囲まれている。

新聞をはじめとするマスメディアはこの事件を最初の内は大きく騒ぎ立てる。曰く、飼育員──象にはパートナーと呼ぶにふさわしい飼育員がおり、隣で寝泊まりしていた──が象を逃がしたのではないか、その根拠として飼育員も象と同じように失踪したのである。けれども飼育員は鍵を持ってはおらず、鍵は町と警察署とがそれぞれ厳重に保管していて、盗まれた形跡はなかった。

或いは、反社会的勢力の組織的な犯罪なのではないか、などなど。

主人公の男はそんな新聞の記事を見て不可思議に思う。何故彼らはそんなに非科学的なものの見方をするのだろうか。鍵は無いのだし、象には到底越えられない柵はそっくりそのまま残っているし、周りの大地には足跡一つなかった。そうなると象は消滅したほかない。

男はそう確信している。朝に一杯のブラックコーヒーを飲むのを習慣にしている人が、そのコーヒーに砂糖やミルクを入れることなんて頭の片隅にも浮かばないように。男はそう確信している。

実のところ男はもう一つだけ、新聞や警察の知らない情報を持っているのだが、それに関しては実際に読んで確かめるといいと思う。村上春樹らしくてとても美しい小説だ。

僕の街にいる象はあまりにこの街の日常に溶け込んでしまっていて、実際のところ彼女──この街の象はメスなのだ──の存在は"象"というパンチの効いた生物から想像されるほど非日常を呼び起こす存在ではなくなっている。

僕自身、猫を飼っているのだが、友人などに「そういえば猫ちゃん元気?」と聞かれた時にフラっと象のところまで行って写真をとって「元気だよ、最近太っちゃって……」という返事にその写真を添える程度には象をないがしろにしている。

象はないがしろにされている。村上春樹の小説に出てくる象もきっとそうなのではないか、と想像してしまう。もちろん大切にされているし、皆から愛されてもいる。けれど体重3kgほどの猫の2000倍もの体重を誇る象が猫の2000倍愛されているかというと疑問だ。

これは村上春樹の小説を読んだ人にしかわからない感覚だろうけど、僕はこの街の象がふといなくなってしまったとしても、その時は慌ただしいネットニュースなんかに踊らされずに、いつもの通りブラックのコーヒーを飲みながら、ゴッドブレスユーだとかグッドラックだとかそういう類の言葉を象の言語で口にしたいと思っている。

もしよかったらもう一つ読んで行ってください。