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Nujabesを聞きながら

誰よりも新しい音楽に感度ビンビンのアンテナを張っている僕ですが、最近lofi hiphopというジャンルが心に染み込んできてnujabesという日本人で知ってる人なんて一人もいないであろうマニアックなアーティストを一昨日から聞き始めた芦野です。

「あ~nujabesって10年前に亡くなってたんだ~ 惜しいなあ もう少し俺のフットワークが軽い時期に出会っていたら来日したとき一目散に聴きに行ったのにな」

「nujabes日本人だよ」

というコンボが昨日みぞおちに決まりました。どうも恥ずかしい人間です。

最近noteを更新できていなかったので、適当に何かを書こうと思っていたんだけど、インプットが多すぎてまたまた渋滞してるんですよね。だから思い出す順に脈絡もなく連なっていくと思います。

知らない天井

気付いたら知らない天井を見つめていた、ということを人生でどれほど体験できるか、というのはあなたの人生の豊かさのある種の指標になると思うんですが、僕の場合お酒が飲めないのでなかなかそういう機会に恵まれません。

何の気なしにphaさんのこの本を読んでいたら、「とりあえず適当にビジネスホテルに泊まれ」と書いてあって、なんだか居ても立っても居られないような気持ちになり、気づいたら名古屋のホテルをとっていました。

今となってはなぜビジネスホテルに泊まるべきなのか思い出せないんですが、日常からの距離をとることでなんか色々リセットできるよね、みたいなことが書いてあったと思います。観光地を巡るとか、グルメを堪能するとか、そういうの考えないでとりあえず泊まろうよ的なことが書いてありました。

書いてあった言葉通りに、場当たり的にホテルを予約し、着替えすら持たずにホテルに着きました。

途中でコンビニで買ったカップラーメンを食し、身が入らない読書を数十分したあと嫌になり、見知らぬ天井を眺めていました。するとモクモクと意識の煙の中から40代くらいのおじさんが出てきて。

「人生って虚無だよね」

って言って消えていきました。たぶんあれは十年後の僕なんだろう。その後唯一持ち込んだ生産的なツールである無線キーボードをスマホと接続しなんかしらの文章を3行ほど入力して辞めました。

教訓。
旅先だからといって何かクリエイティブな気分になれると思ったら大間違いで、僕たちはずっと押井守の映画みたいに永遠に泳ぎつくことの出来ない25mプールにばしゃばしゃと水の紋様を生み出しているだけだということ。

それでもバックグラウンドでnujabesが流れていればぜんぶ、美しい夏の終わりについての映画みたいになるらしい。

友達辞めた

そういえばチェックインする前に時間があったらか学生時代によく行った映画館に立ち寄ってたまたまその時やっていた映画を見たのであった。

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写真は名古屋にあるシネマスコーレ

そんでやってたのがこれです。今村彩子監督の「友達辞めた」

聾の監督とアスペルガーの友達を撮ったドキュメンタリー。なんかほんと自分のこと客観的に見てるみたいで辛かった。面白かったけどね。こういう言い方するとあれだけど、アスペルガーって割と自分のこと棚にあげがちで、弱者ポジションに自分を落ち着けがちで、それがどうにも姑息に見えてしまうし、極端に言うなら「弱者コスプレ」に見えがちなんだよな。

誤解があったらすまないんだが、僕もアスペで自分が何をやってもうまくいかず、誰もその辛さを分かってくれないと思っていた。んでこの映画を見たときに「そりゃぁわかってもらえないわ」という気持ちになった。もちろん障害が同じだからといって全員が全員同じ性格なわけはないんだけど。

かつて僕は、このままではダメだと思い、自分をかわいそうだと思うのはやめて、自分ひとりの力で自分自身を肯定できるようにとにかく前向きな言葉を吐き続けることにした。するとネットから「あいつは偽物だ」という言葉が飛んでくる。きっと「障害者はかわいそうでなければならない」ってのがあるんだろうな。

話が逸れるけど、ちょっと前に「ビューティフルマインド」って映画を見た。あれは有名な映画だからみんな知ってるかもしれないけど、統合失調症になった数学者が苦難を乗り越えてノーベル賞を受賞する話だ。その映画を見ながら「綺麗な映画だな」と思った。ちゃんと可哀想で、ちゃんと間違いを犯すときには理由があった。そして自分と自分の大切な人のために精いっぱい努力していた。多分世間一般の障害に対して理解がある人達にとっての障害者ってコレだよな、って。

今回名古屋でみた映画は「えー、それはさすがに障害のせいじゃないでしょ」とか「なんでもかんでも障害のせいなの……?」みたいなわりとリアルで綺麗でない側面に触れられていて僕は好きだった。実際のところ(発達)障害と健常ってグラデーションになってて、これが症状とか、これが弱さ、みたいに決まるものではない。

結局のところ一人と一人の人間の関係に必要なのは、お互いがお互いのために変化し続けていく用意があるよ、というだけの話。理解なんてない。「寄り添う気持ちがあればいいのさ」って桑田佳祐も歌ってたし。

あと、別にかわいそうじゃなくていいんだよ、と思う。強くたっていいんだ。もしまだ自分が強くなるにはちょっと関節の負担とか怖いなって思うなら全然急がなくてもいい。でもちゃんとあなたは強くていいし、自分ひとりの力で幸せになっていいんだ。

人生お楽しみクラブ

nujabesを聞くのに一番ベストなタイミングは夕闇の川沿いを散歩している時だと思う。後ろから追い越していく車のヘッドライトが暗かった道を照らして、ガードレールの影が一本一本バレリーナみたいに順番に倒れていく。

ヘッドホンで遮蔽された内耳のところにひっそりと届く鈴虫の声はまるで三途の川から聞こえてくるみたいだし、聞こえない川のせせらぎも街灯の白い光が川面にぱしゃぱしゃと洗われているのを見ていると、その一日の終わりをつつましく慰める音楽はいつのまにか隣にいるみたいだ。

これは人生お楽しみクラブだ。
最近はお酒も飲めないくせに毎週バーに通ってチャンドラーの小説に出てきた酒を毒でも飲むみたいにちびちび飲んでいる。それと、これもまた週に一回くらい彼女とポケモンバトルをする。前まではギャラドスを出しさえすれば、初めに炎タイプのポケモンを選んだ彼女に止める術はなかったんだけど、最近はデンキナマズみたいなポケモンがギャラドスを一発でKOしちゃうんだ。

とまあ、色々あって、人生お楽しみクラブを発足したのはいいものの、部長っていうのがなんだか楽しそうじゃないから人生お楽しみクラブは無くなってしまった。僕が部長をやめて名誉あそびにんになったからだ。残念。

星空を見ていると

星空を見ていると世界はずっと続いてきて、これからもずっと続いていくんだろうなって思う。


もしよかったらもう一つ読んで行ってください。