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「おめかし」の思い出

「おしゃれ」と「おめかし」にあえて違いを見つけるとしたら、「おしゃれ」って、やっぱり他人の評価が入っている気がするんですよ。「あの人、おしゃれやな」といわれて初めておしゃれになるというか。でも「おめかし」には、主体性がある。自分にしかわからないおめかしもありますよね。革靴をすごくピカピカにして履いてるおっちゃんとか、人から見たらたいした服じゃなくてもここぞというハレの日に着る一張羅を持っているとか。自分がいいと思うものを自分だけで肯定できるのが、「おめかし」だと思います。

これは、『おめかしの引力』川上未映子 著 の中で川上さんの考える「おめかし」について語られている言葉。


「おめかし」という言葉にぐっときて読んだ本。最近は特にずーっと家で適当なTシャツ、ズボンだからかな。この言葉がきらきらして見えた。

「おめかし」という言葉から私が思い出したのは高校の制服。私の高校はブレザーで、学校指定の紺色のジャケット、ジャケットと同じ素材のベストとスカートがあった。ただ、学内の雰囲気としてベストはなんだかダサい印象があって、ベストよりもユニクロとかイーストボーイとかの袖なしセーターを着る人の方が多かった。セーターが紺、黒、グレーなら普通、ブラウン、緑、ピンク、白だとなんだかおしゃれに見えるという印象。

それがいつだったか、私の中で空前の学校指定のベストブームが来た。少数派だけれど、ベストを着る子も学校の中にはちらほらいて、なんとなく着てみたらけっこういける。ブラウンとか白とか変わった色のセーターは私だとおしゃれを頑張っている感を醸し出しまう気がして勇気がいるからわたしには手を出せなかったのだけれど、ベストは着れるし、なんだかいつもより背筋が伸びる気がしたのだ。学校に行くのは毎日のことだけれど、ベストの日はいつもよりぴしっとする。「自分がいいと思うものを自分だけで肯定できるのがおめかし」だとするならば、ベストを着ることはわたしにとってのおめかしだったのだと思う。

川上さんは、伊勢丹に行って、欲しいものを買いたくなる衝動と闘って、えいや!と買ったり、よくよく考えて諦めたり。1回着て満足する服もあれば、長らく着ているもの、失敗したと思うものもあったり、、。

うわぁ、わかる。なんなら、もう今の自分には似合わないだろうなぁと思っても、なんだか捨てられない服とかたくさんある。失敗しながらも私も自分の「おめかし」を楽しもう。

#日記 #読書

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