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生きづらいまま歳を取るとどうなる?②

これは、生きづらいまま50代半ば過ぎになったあるひとりの女の話。
成功者とはほど遠い人生ながら、
意外と生きてきて良かったと思えるようになるまで
生き延びてきた体験談の数々を振り返っていきます。
題して
『生きづらいまま歳を取るとどうなる?』
第一話は下記リンクになります。

生きづらいまま歳をとるとどうなる?②
ー幼稚園で生きづらさを感じたあるきっかけー


生きづらいと人生で最初に意識したのはいつだっただろう。
振り返ってみると、それは幼稚園の時だったと思う。
もちろん幼稚園生の当時に「生きづらいなぁ」なんて意識した訳ではない。
だけど幼稚園の時、私は間違いなく生きていくのは困難なことだと感じる出来事があった。

そのきっかけは「鉄棒」だった。

これを読んで下さっているあなたは、
幼い頃に鉄棒をなんの困難もなく出来ただろうか。

私はあんな細い棒に体を預けて回ったりするのが信じられなかった。
落ちたらどうするのだろう、と思った。
落ちて痛い思いをするのがとてつもなく怖かった。

今の時代なら、そこまで怯えて絶対に鉄棒を回ろうとしない園児への対応はどうするのだろうか。

まだ昭和40年代の後半だったあの頃は、怖いから出来ない、と言っても決して許されなかった。
声の低いおっかない女の人の先生に
「支えてるから回りなさい!」と言われて鉄棒を握らされた。
無理やり下腹部に鉄棒がくるように体を上げるものの、
そこから上体をぐるっと前のめりにすることがどうしても恐ろしくて出来なかった。
先生が何度「支えてるから!」と言っても、そもそもその言葉自体が信じられなかった。
支える、と言いながら、ぐるっと回る瞬間に手を離されるのではないか?
そう思うと、どうしても先生に体を委ねることが出来なかった。
そしてもし落ちたら、痛い思いするのは先生ではない。
私自身じゃないか、と思った。

ずいぶん猜疑心の強い子供だと
今振り返ると我ながら思う。

この鉄棒だけではなかった。
予防注射の時なんかも、
自分の前に打たれた子供が痛そうに顔を歪めるのを見て、
あ、痛いんだ・・・と察知して
打つ前から大泣きして抵抗して注射から逃れようとした。
看護師さん(まだ看護婦さんと呼んでいた時代だったが)から2人がかりで
「大丈夫だから・・・!」
と手を引っ張られても、口から出まかせを言っているだけだ、と感じていた。
本当に痛い思いをするのは私自身で、この人達ではない、と。

だけど予防注射はしなければならなかったし、鉄棒もどんなに嫌がっても回らないのは許されなかった。

私は、鉄棒の時間が終わって園内に戻る時間になっても、鉄棒が出来るまでそこにいるように、と言い渡されて、鉄棒にひとり取り残された。

ずっと鉄棒の前で立ち尽くすままの私を、幼稚園の先生が指差し、同じクラスの園児達が一斉に視線を送ってきたりもした。

それでも私は、鉄棒から落ちる恐怖が圧倒的に強く、決して前回りをすることはなかった。
そんな私は同じクラスの子から笑いものにされ、私が好きな子だ、とクラスではやし立てられた男の子からは、
「僕、鉄棒も出来ないような女の子は好きじゃないから」
とわざわざ直接言われたりした。

これだけでも辛い記憶ではあるが、
更に追い打ちがかけられた。

幼稚園の保護者面談で、私が一向に鉄棒をやろうとしないことが告げられ、鉄棒が出来るようになるよう家庭でも指導するように、と母は厳しく言われたらしい。

真面目な母は、それから何度も私を公園の鉄棒に連れていき、なんとか前回りをさせようとした。
ところが私は、支えるのが母親であっても、
「ちゃんと支えてるから」と言われても、
途中で手を離されるのではないか、という恐怖が拭えなかった。

どんなに叱責しても体を固くして、
絶対に回ろうとしない母親は剛を煮やし、怒りが爆発した。

公園からの帰り道、母は私に
「あんたみたいな子は、うちの子じゃない。孤児院に入れるから」
と言った。

今は孤児院、という名称は存在しないが、親のいない子が育つ施設として、なにかの物語で知っていた。
そして当時は、親から捨てられた子も入れられるところだと思い込んでいた。

ショックで泣く私をそのままに、母は公衆電話に近寄り、電話をかけ始めた。

孤児院に電話をかけるんだ・・・!

私は恐怖でなお大声を上げて泣いたが、母は
「うるさい!」
と一言怒鳴って、構わずダイヤルを回して電話をかけた。

もう駄目だ・・・と絶望したが、
母の会話の内容から、どうやら電話相手は仕事先の父のようだと理解してホッとした。

しかし、その後も家に着いて母と入ろうとすると、
母が「あんたはもう家の子じゃないから・・・」と目の前でドアを閉めた。

私が泣きわめくと、すぐに
「うるさい!大きな声で泣くんじゃない!」
とすぐに家に入れてもらえたが、
鉄棒が出来ない私は、この家の子供である資格も無くすくらいいけないことなんだ・・・と心の中に深く刻まれることとなった。

出来ないことを逃げずに頑張って出来るようにする。
それが成長に繋がる。
そう言う人は今もいるだろう。

だけど、身の危険を感じるほど怖いものを拒絶するのは、
幼い子供が幼稚園や家の居場所を失う恐れと引き換えにしなければいけないほど、悪いことだったのだろうか。

苦手なことを出来るようにするだけでなく、好きなことを一生懸命に取り組むのも、頑張ること、努力することになるのだ、と知るのは、もっともっと歳を重ねてからのことだった。
というか、つい最近のことだ。

生きるのは嫌なことをひたすら我慢してやること。
それが出来ない私はなんて駄目で生きづらい人間なんだろうと思っていた。










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