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生きづらいまま歳を取るとどうなる?

生きづらいという言葉は私そのものだと思った。

でも、生きづらいという言い方を知ったのはここ数年の気がする。
もっと前だったら、不器用な生き方、といったところだろうか。
昭和の頃に流行った「自分、不器用ですから」という有名な台詞を
よく覚えている私は、現在50代半ば過ぎだ。

「え!?そんな歳になってもまだ生きづらいとか言ってるの!?」
そんな風に引いてしまう人もいるだろう。

はい。その通りです。
「生きづらい」という表現の仕方もわからないずっとずっと昔から
生きづらかった。
昨年父を亡くして、ようやく親の教えに縛られずに
どう生きればよいのか向き合っているありさまである。

そんな私がなぜ自分語りなんて始めようとしているのか。
多分かつての私自身への答えだと思う。
例えば30代の頃。
「職歴もなくて、バツイチ子なし、財産もなく、うつ病再発で不安定な私のような女が、このまま生きていたらどうなるのだろうか?」
こんな私が40代になって50歳も超えて生き延びていくのなんて、想像も出来なかった。
生きるのはしんどいばかりで、40歳になる前にはさっさと人生終えたいと思っていた。

だけど色々ありながらも、現在まで生き延びている。
今も心療内科への通院は10年以上続き、きちんと自分の心の声と向き合う為に今年カウンセリング主体の病院を自分で探して転院した。
50代半ば過ぎになっても未だ自分を知る作業が続いている。
そんな状態でも、実は40歳で死んでしまわなくてよかったなぁと思っている。

そんな「成功者」とはほど遠いひとりの人生を書いておくことで、
こういう人でもなんとか生きていられるものなんだなぁと思ってもらえたら
幸いだと思う。

次回より、私の子供の頃から生きづらかった記憶など書いていくつもりなので、もし目に留まったら読んでいただけたらとても嬉しい。
生きてこられた甲斐があった、と思えます。




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