『鬼滅の刃 遊郭編』を巡る論争についての雑感

『売春防止法』が公布された昭和31年当時、様々な形態をとった娼家の数は、労働省の調べに依れば、全国に約3万9000軒存在したとみられる。これは当時の人口10万人あたり約43軒に相当し、現代におけるコンビニの密度44軒に近しい。遊廓と俗称された娼街は、「社会の暗部」「密かな悪所」とのイメージが膾炙しているが、(都市部や山間部などの偏りはあるものの)密度の上では、先に挙げたイメージ「例外的かつ隠された存在」などではなく、わずか60年前の日本人にとって身近なものでさえあった。

映画化された漫画『鬼滅の刃』が、長く国民的作品として愛されてきたジブリ映画を抜いて、歴代興行収入1位を記録したことをきっかけとしてか、同作品がたびたび社会現象扱いされることも珍しくは無くなった。そうした作品が巻き起こした今回の論争は、同作品を鑑賞したことのない私にも、SNSなどを通じて伝わってきた。論争とは、子どもが読者対象となる作品において、売買春の場であった遊廓を扱うことの是非、と理解している。

舞台となっている吉原遊廓は、浅草寺からおよそ1キロ北方にあるエリアに開かれた、江戸期における創設(人形町からの移転)の経緯はよく知られている。戦後の公娼廃止や『売春防止法』といった一連の解体・再編成によってカタチは変わってもなお現行の娼街・ソープランド街として存続している。

余談だが、吉原にあるソープランド店が全店加盟する協会にインタビューなどもした。

私はこのエリアで遊廓専門の出版社と、遊廓専門の書店を経営している。8割以上が2〜30代の女性客で、女子中学生が両親を伴って来店してくれたこともあった。こうしたことから、遊廓は女性にとって関心が高く、若年女性の興味も引くテーマであると日常的に理解している。今回の論争には、読者世代から読者の母親世代まで、広く女性が関心を寄せたのではないかと予想している。

ときに「華やかなりし江戸文化発祥の地」「江戸文化人のサロン」「遊女は才色兼備で諸芸に優れた」との称揚を含んで紹介されることもある遊廓だが、私は遊廓における娼婦・遊女の境遇は性奴隷であったと理解している。幕末維新期に開国して以降は、高まる国際的な人権意識の潮流の中にあってもなお日本政府は「娼婦による自由意志」との建て付けで自国の公娼制度(遊廓)を温存することに腐心した。加えて前近代までの売買春に寛容だった社会から、近代以降は「公娼(遊女)は国家の体面を汚す醜業婦である」との国益論から、娼婦にスティグマを負わせる社会と変容していた。

また、たびたび俎上に乗せられる、売春行為そのものが持つ倫理的・道徳的な問題以前に、親が子を売り渡すことができるという親権の制度的建て付け、そして大衆はその行為をむしろ「貧しい親を身を挺して救う孝女」とみる価値観(これは現代にも尾を引いている)が、公娼制度が抱えた問題の核心の一つと私はみている。これは「当時の社会状況や価値観では仕方なかった。当時は当たり前だった」のではなく、国内外から非難を浴び、国際条約や国内法令にも違反する状況だった。

遊廓を材に取った浮世絵や歌舞伎、あるいは落語は枚挙に暇がなく、それらは今や「クールジャパン」として海外からも認知されている。現代も遊廓を描いたマンガ、文芸、映画が製作されて続けている。『鬼滅の刃』はまさしくそうした作品群に連なっている。もし遊廓が存在しなかったならば、日本のアート・カルチャー史は書き換えなければならず、遊廓が多面的な価値を持つことは疑いない。

ただし遊廓が一面として持ち得た「文化的価値」は、遊女と呼ばれた女性の窮状に対する免責理由には到底なり得ない。どれだけ価値があろうと、アート・カルチャーは人間に仕えるものであると私は考えている。

翻って、こうした歴史的にみて功罪併せ持つ遊廓という存在を、子ども向け作品に用いるのは「忌避すべき」という主張があるとすれば、現在の社会状況を考えるとき、根本的な解決にならないとも考えている。

現代は、インターネット上の性風俗情報や遊廓を扱うサイト、SNSアカウントを運用するセックス産業に対して、掌にあるスマホを通じて容易に繋がることができる。都市部に住む児童であれば、通学路の途上、性風俗街を垣間見ることもあり得るだろう。

現代のセックスワークとかつての遊廓を混同し得ないことは言うまでも無い。ただし認知能力に乏しい子供は、混同ないし安易な連想に陥りやすい。子どもが「セックスワークって何?」「遊廓って何?」と問う相手は常に大人であり、しかもそうした問いが発せられる状況は、過去のどの時代よりも高まっていることを、強く意識したい。

たとえ『鬼滅の刃』作品内で遊廓が高尚に描かれようが、興味本位に描かれようが、あるいはそもそも遊廓が描かれなくとも、私たち大人は、子どもの問いから逃げることはできない。論争の本質は、『鬼滅の刃』という一作品性を超えている。

本質は「子どもにとっての遊廓」ではなく、「大人にとっての遊廓」の捉え方であり、今回の論争は、大人が歴史を取り扱うときの能力を、分かりやすく炙り出している。

結論的に言えば、大人は遊廓について説明する言葉を失っている。当然、人それぞれに遊廓についてのスタンスは異なる。否定的に見る向きもあれば、肯定的に見る向きもあり、総論各論それぞれがグラデーションである。しかし散見される論争の少なくないものは、両極からの意見対立であり、そもそも多面性を有する歴史について、極論からばかり論じてしまっている現状が、私たちが貧しい知識しか持てていないことへの証左となっていないだろうか?

遊廓が「子どもに与えるには早い」のならば、遊廓について知る・学ぶ機会を、大人になる過程で(成人後も)、どれだけ持っているだろうか? 確かにAmazonで検索すれば、遊廓に関連した書籍が大量に提案され、機会に事欠かないように見える。(フィクションは質的な如何にかかわらずフィクションだが、ノンフィクションを標榜しながら、読者の歓心を買うため美化や知的怠慢を巧妙に不可視化している書籍こそが問題であると私は考えている。)だが、実際に売買春が行われていた場である娼家といった、一次資料に接する機会は失われている。

量的に恵まれていても、質的には置き去りにされている。

一次資料は一部の研究者ばかりが重用するものではなく、私たち一般人こそが触れるべきもので、一次資料と接することで過去と真摯に向き合う心が醸成される。

冒頭、遊廓は数値の上ではコンビニに近いほど身近な一面もであったと述べたが、しかし近年、遊廓の存在を示すもの、例えば娼家やそこで使われてきた資料(大福帳など)は急速に失われており、私たちの知識や記憶から抜け落ちつつある。私はこれまで10年ほどかけて全国の娼街を500箇所内外取材してきて、それを肌感覚で感じている。

資料や記憶などの保存が緊要の課題でありながら、現在、公的にオーソライズされた遊廓関連の博物館ないし資料館は存在しない。遊廓について何らかの公的な博物館、それも専門家による多くの議論を重ねて、コンセンサスを得た施設などがあれば、今回の論争もまた違った方向へ進んでいたかもしれないと想像している。

子どもからの問いに対して、答えに窮したとしても、「では、遊廓の博物館(資料館)に行こう」と応えられたはずである。当然、子どもの認知能力では全てを理解はできない(大人ですら理解できるとは限らない)。しかし、子どもが理解への手掛かりを得る価値は計り知れない。大人が子どもに与えるべきは、完全なレクチャーよりも、断片的であっても子ども自らの力で手繰り寄せていける「手掛かり」であると私は考える。

許しがたいほどの女性の窮状があればこそ、私たちはそうした歴史の一部を保存し、例えば先に挙げた博物館などを介して歴史的価値を普遍化するべきだった。が、私たちは遊廓の歴史を忌避し、不可視化してきたことによって、「遊廓なるもの」の捉えどころを失ってしまった。その結果が招いた一つの帰結が今回である。

博物館・資料館といった施設によって価値の普遍化がなされようとも、遊廓が人間の性(さが)にも根ざしている以上、今後も常に異論百出するだろう。しかし私たちは普遍化によって標準的知識、換言すれば共通語を持つことはできる。「言葉を失っている」とは、議論する道具を持ち合わせていないということである。

歩み寄るための道具がなければどうなるか? それは分断しかない。「解釈」「価値観」という、便利でかつ他者が踏み込み難くする言葉の下に分断され、次世代の子どもたちに継ぐべき言葉を私たちは失っている。

以上が、今回の論争から得た私なりの雑感である。

◇参考文献
売春対策審議会『売春対策審議会資料』(1957年)
小野沢あかね「戦前日本の公娼制度と性奴隷認識」『性奴隷とは何か シンポジウム全記録』所収(2015年、御茶の水書房)

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