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遊廓を介した出会い

各地の遊廓を取材を始めてまだ10年程度、遊廓の専門の出版社と書店を経営し始めて7年程度ですが、不思議な出会いや、忘れがたい出会いもあります。前回記事にした高校生女性との出会いもそうした一つでした。

今回もそうした出会いの一つを紹介したいのですが、先立って遊廓取材における「出会い」や「人との関わり」について、少し考えてみたいと思います。

私が遊廓に興味を持ち始めた2010年前後の当時、遊廓を始めとする娼街を対象とした街歩き趣味には「現地では人に話しかけず、風のように立ち去るべし」という、暗黙のルールのような美学のような、どちらともつかない共通理解がありました。それが支配的とまで言わないまでも、ネットで検索すると、この時期の巨大掲示板に立てられた趣味者が集うスレッドに同様の発言を見出すことができますし、私自身も趣味の先達から同様のアドバイスを受けたこともあります。

余談ですが、この趣味のバイブル的存在である某書のはしがきに、先の言葉が記されています。本書をきっかけに拡がった認識と推察します。私は著者にお目もじする機会に恵まれた折、その真意を聞くと「不慮のクレームを避けるため」といった趣旨でした。実も蓋もありませんが、〝商業出版のお作法〟といったところでしょうか。私は著者を責める気持ちは毛頭ありません。当時の時代背景を考えれば、前例のない本書を出すにあたって、慎重を期すことは当然の判断でした。ただ、読者が思考停止に陥っている現状も、同時に強く意識しました。

話を戻すと、それぞれがルールなり矜持なりを持つことに何ら異論はありませんが、当事者不在で作為的にアングラなるものとして扱い、「ひそひそ話」、「ほくそ笑み」するかのように弄ぶ姿勢には強い嫌悪感を覚えますし、なにより話しかける勇気がない臆病さを美学にすり替える姿は独りよがりに映ります。

こうした抵抗感から、私は訪ねた娼街跡では積極的に現地の人と話すことに努めてきました。部外者の私が最低限の誠実さを示すためにできることの一つとも考えました。

誤解を生むかもしれませんが、お怒りを恐れないよう努めています。事前に最大限の努力を払うことや、万一お叱りを頂いたとしたら猛省しなければならないことは言うまでもないですが、怒りが生じるという状況が遊廓を取り巻く一つの事象であり、それを真摯に受け止めることの方が、遊廓の歴史を過去のものとせず、現代と地続きで考える上では、よほど大切だと考えています。

ただ結果から言えば、これまで500内外の娼街跡を取材してきましたが、怒られた経験はほぼありません。むしろかつての娼家経営者やその家族から家に上げてもらい、さまざまなことを教えて貰いました。これからご紹介する記事もそうした経験の一つです。

遊廓に興味を持ちたての頃、「建築に興味がある」「文化を勉強している」という言葉を使って関係者すなわち元娼家経営者やその家族とコンタクトしていました。確かに興味の一部ではあれど、それが主な理由ではありません。権威的に響く言葉を用いて他人の胸襟を開こうとする自分の欺瞞が嫌で、そうした物言いはすぐに止めました。また実際問題、この手の言葉で胸襟を開いてくれる人は少なかったのです。代わりに私は「遊廓が好きなので」と言うようになりました。とても稚拙な言葉遣いで活字にするとなおさらですが、学問的訓練を積んでいない私が権威の皮を被らず、等身大のままでいるために、敢えて用いることにしました。結果、この言葉を聞いて相好を崩してくださる方が多いことにも気がつきました。また彼らの言葉には、ほぼ共通して、娼家の経営すなわち祖父母や親の仕事を誇る響きを含んでいることにも気づきました。

どこの馬の骨とも知らぬ私を宅内に上げ、饒舌に話して下さることは、何を意味しているのか──

これは娼家経営者やその子孫が、これまで長い間、社会から白眼視に晒されてきたことの裏返しなのではないか。長らく蔑視に耐え、口を噤んできた中にあって、名誉が失墜した先代の過去について「好きだ」と言う人物が現れたことが、望外の好意を示して下さる理由ではないか。経験を通して私はこう考えています。これについては稿を改めて考えてみたいと思います。

さて、前置きが長くなりましたが、2015年、私は秋田市にお住まいの工芸ギャラリー経営兼郷土史家の小松和彦さん(同姓同名の民俗学者とは別人)と、秋田県内の遊里をのべ2週間ほどかけて調査しました。

取材中のある日、翌日はとある元娼家を取材予定だったのですが、一日空いたためこれを利用して一日市町(現秋田県八郎潟町の一部)を撮影していました。そのとき翌日訪ねる予定だった娼家、まさにそこに生まれた息女(昭和11年生まれ。取材当時80才)と偶然出会ったのでした。

一日市町と取材予定地は隣接した自治体とはいえ、人口を母数に取るなら、十数万分の一の確率であり、タイミングを考慮すれば天文学的な偶然が重なった出会いでした。読み物風に表すなら「引き寄せられた」とするところでしょうが、私の拙い筆ではかえって修辞に思い出を埋没させてしまいそうで、「偶然出会った」との事実だけに留めたいと思います。

取材成果をまとめた『秋田県の遊廓跡を歩く』巻末に、その時の出会いを収録していますが、本書は売り切れ在庫なしのため、本稿に再録します。

※ヘッダー画像・2013年、金沢市の娼街、通称「石坂」で飲んだとき(撮影・渡辺豪、無断転載禁止)

※以下は有料ラインですが、以上がすべてなので、その下には何も書いていません。記事を有料化するためのものです。

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