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虐待される私は罪人でなければならなかった

 虐待サバイバーのゆうかです。

 私は生まれてから20年以上親に虐待されていました。
 幼い私は、悪いことをしてないのに虐待されることを理解できずに、毎日混乱していました。それを理解するために私は理由を作りました。

 私が悪い子だから、私がだめな子だから
虐待されるんだという理由を作りました。
 そしてそれをずっと信じて込んできました。私は罪人なんだと…。
 
 私の人生は苦悩に満ち溢れていました。親元を離れ就職した会社でのパワハラとセクハラ…。
 そして、恋をし、信じられると思って結婚した相手は嘘つきな借金夫でした。

 私は、妊娠中のつわりがかなり重症で入院するほどでした。産むまで吐き気と嘔吐が止まらず、自殺を考えるほどの地獄の日々でした。
 その影響があったかなかったかはわかりませんが、産後の肥立ちは悪く、育児は壮絶なまでに辛いものでした。
 その間も、私は夫が借金を増やし続けるのに、非正規社員のうえに、朝早く出ていき夜遅くならないと帰ってこない、私は借金返済に追われ、気が狂いそうな共働きワンオペ育児の毎日でした。

 夫に借金の理由を問い詰めても黙秘され、色々な嘘やごまかしで塗り固められていました。
 私は夫に現金だけでなく、カードなど様々なものを盗まれていました。勝手にキャシングされたりローンを組まれたりもしていました。

 夫はモラハラ夫でもありました。私の感情や気持ちを否定し、私の好きなものや好きなことを否定し、気に入らないことがあると不機嫌な顔や捨て台詞、トラブルは話し合いになりませんでした。夜中に起こされてお説教されたことも何度もありました。
 スマホや日記もずっと覗き見られていました(後から知りましたが)。
 そして夜の行為は支配的でした。奉仕しろと言われました。仕事と家事と育児と借金返済とでヘトヘトだった私に容赦はしてくれませんでした。断ればお説教でした。

 誰にも相談できず、絶望した私は、幼い我が子ふたりを連れ、真夜中に車であちこち彷徨い、無理心中をすることを何度も考えました。

 それでも我が子をなんとか幸せに育てたいと強く思い、離婚はせず、私は正職員の座にしがみつき、ひたすら働きました。
 職場はひどい環境でした。パワハラされセクハラされ、それでも、夫に私名義の借金も作られてしまっていたので、私は仕事を辞めるわけにはいきませんでした。

 私は次第にわけがわからなくなりました
そして心を病みました。廃人のようになり、死ぬことも考えました。今となってはいつから病んでいたかわかりません。 
 
 ただ今思うことは、私が幼少期に自分を罪人だと思い込んでしまった為に、その証明をするため、この様々な悲劇を生み出してしまったのではないかとさえ思うのです。

 私は様々な苦しみを味わいながら、自分は苦しみを耐えるべきだと思い込んでいました。
 それが私が罪人である証明になるのです。私が罪人でなければ、虐待されたことの理由を幼い私に証明できなかったからなのだと思います。

 ただ今はもう誰も恨んでいません。人生を前に進めたいと思っています。
 多くの苦しみを経験したけれど、その苦しみが私を強くしたと思っています。そして優しさも得られたとさえ思っています。

 私が罪人でなければ辻褄が合わないと思うことも、やめようと思います

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