私の最も古い記憶
虐待サバイバーのゆうかです。
私の最も古い記憶は、1歳半の頃です。
姉とふたりで、並んで庭にしゃがんでいる写真が残っています。
写真があるから、記憶が残っているような気もします。
その写真の私は、笑顔ではありますが、少しさみし気な顔をしています。緊張感も漂わせたその表情は、とても、1歳半の子供の無邪気な表情ではありません。
その写真を撮影した時の記憶があるのです。撮影する少し前に、父に激しく怒られたのです。なぜ怒られたのか、そこまでは覚えていません。なじられ、責められ、泣いていたのを覚えています。
少ししてから、父は怒るのをやめ、それを帳消しするかのように、庭に出て写真撮影をしようと言い出したのです。
私はとてもそんな気持ちにはなれませんでしたが、父に逆らうわけにはいかないので、従いました。
指定された場所にしゃがみ「笑え」と言われました。隣に写る年子の姉は、正確には1歳半離れていましたので、3歳になっていました。
私より状況を理解できたのでしょう、必死の満面の笑みで写真におさまっていました。
私は、笑おうとしても笑えませんでした。少し困ったような笑顔で写真に写っているのはそのせいです。
1歳半の子供といえばまだ赤ちゃんです。赤ちゃんがひどく怒られ、なじられたあとに、急に嘘でも笑顔が作れるでしょうか。
笑顔が作れないことを、さらになじられました。
私は1歳3ヶ月で歩き始めたと聞いています。つまりまだあるき始めてから間もないということになります。
私は、我が子の育児をしましたから、1歳半の赤ちゃんがどのくらいの発達段階かはわかります。まだ会話もままならなかったはずです、コミュニケーションはとれても、完全な会話はできていなかったはずです。
あまりにもひどい仕打ちだと思います。3歳の姉に対してもじゅうぶんひどいと思いますが、1歳半の赤ちゃんに対する仕打ちとは思えません。
そんなふうに育てられた子供が、普通に育つわけはもちろんありません。
私はその写真を、スマホの待ち受けにしています。そして、スマホを開くたびにその子に思いを馳せ、頭をなでてあげるのです。当時して欲しかったはずですので。
どんな気持ちで父の言いなりになっていたのか、そして、どんなに辛くても辛いと言えず、自分が辛いと気づくこともできなかったかもしれないその子の気持ちを考えると胸が痛みます。
そして、今、私がその子を癒やそうと努力しています。
ぎこちなく笑う1歳半の私を。
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