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表千家茶道の思い出|禅語「喫茶去」という原点

はじめまして

お初にお目にかかります、花井優香と申します。
日本文化紹介お姉さんを名乗っております。

今回は初投稿として、私の表千家茶道の思い出を少しばかり綴ります。
せっかくなので、思い入れのある禅語にもふれながら。



お茶を始めるきっかけ

お茶を始めるというと、かなり敷居が高いと思われがちです。
しかし、私がお茶に触れることになったきっかけはただ1つでした。

(……お茶とお菓子、味わってみようかな)


ほんとです。
かつて家でもお茶の文化にふれたことのなかった私。
抹茶と緑茶の違いが全然ついてなかったのも覚えています。

それでも私は、母親の「あんた向いてるんちゃう?」という一言を受け。
「んー、よくわからんけど和菓子食べれるんやっけ?」
そんなふんわりした気持ちで始めてみました。
ほんとです。


ただ、よくよく考えてみると。
あとあと「喫茶去」につながる思考だったように思います。

喫茶去(きっさこ)は有名な禅語で、掛け物以外でも使われたりします。
確か、私がお稽古を始めた頃にすぐ見かけた禅語だったかと。

一般的に喫茶去は、やさしく次のように説明されます。
「まずはどうぞお茶を召しあがれ」

しかし実際の禅語としては意味が異なるものでして。
『趙州録』の故事もふまえると次の意味になります。

「茶を飲んでこい」または「茶を飲みにゆけ」という意であって、あちらの茶堂(茶寮〉ヘ行って茶を飲んでから出直してこい、という叱責なのである。
喫茶去|臨済宗大本山 円覚寺・2021/04/08閲覧)


「茶を飲んでまず修行してこい」
優香流に一言でまとめたらこんな感じです。
何も言わず茶を飲め、そして何かに打ち込め。
そんな厳しいストイックなメッセージ。

ひょっとしたら、若き日のあの頃の優香は。
お茶お菓子というやさしい段階をきっかけに。
禅宗の精神性に、知らずのうちにふれていたのかもしれません。



表千家茶道の稽古を続けて

それから幾年か経ち。
引っ越しでお稽古場を変わりながら、お茶のお稽古は続いていました。


私がお茶で選んだのは表千家茶道。
最も有名な裏千家茶道とよく比較されがちではあります。

表千家でよく言われるのは、「流れるように、自然に、臨機応変に」
点前や道具でかっこつけるのではなく、お茶を点てることに集中すること。
目の前のお客様に、おいしいお茶をお出しすることを一番に考えること。

他の流派に比べれば、見た目は多少地味な感じがするかもしれません。
ただし、その背後の精神性はとても厳しいものがあります。
「今の自分は、本当にお茶でおもてなしができているだろうか」
自問自答を突き詰める姿勢に、私は惹かれたのかもしれません。


さらに日々のお茶のお稽古の中で。
様々な掛け物を拝見したり、禅語辞典に目を通すことが増えました。
ふと目にとまったのは、やはり「喫茶去」。

(茶堂ヘ行って茶を飲んでから出直してこい、という叱責……)

ただ優しく迎え入れるだけではない、「喫茶去」。
先述の通り、禅宗の修行につながるストイックな精神性。
厳しい意味を理解してから、より一層茶道の稽古に励むようになりました。

ただお稽古場に通って、客作法・点前・水屋仕事を学ぶだけではなく。
お茶に関係する禅語や周辺知識についても自主的に調べ学んでいく。

自身のお茶の原点である「喫茶去」。
その精神性を忘れずに、日々の活動に生かして精進してまいります。
もちろん、note執筆もですね。



おまけ

これからは表千家茶道・近現代日本文学・俳句を中心に。
少しずつ記事を投稿していこうと考えております。

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最後までご覧いただき、ありがとうございました。

20200817 くまおさんヘッダー

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