MonkeesとMike Nesmith
早朝に悲報が届きました。私が敬愛してやまないモンキーズのマイクが亡くなられました。ディビー、ピーター、そしてマイク。素敵な思い出が詰まったモンキーズも、今やミッキーしかおりません。
マイクのご冥福をお祈り致すと共に、過去にマイクの楽曲を綴った記事をここに再掲しておきます。
私の音楽の原点はモンキーズなんですが、彼等はビートルズの対抗馬として、アメリカで意図的に作られたバンドでした。そのオーディションにはスティーヴン・スティルスやポール・ウィリアムス、ジョン・セバスチャン等も参加していたと言われています。
結局俳優のディヴィー・ジョーンズ、ミッキー・ドレンツ、ミュージシャンのマイク・ネスミス、ピーター・トークの4人が選ばれることになるんですが、やはりマイクの音楽的才能が突出してました。
彼等は強大な音楽プロダクションの下、管理され、TVショーやら与えられた音楽やらをこなさなければなりませんでした。でも音楽面について、拘り続けた男がマイクなんですね。
彼等の1966年発表のデビューアルバムは優れたスタジオミュージシャンが演奏し、クオリティの高い外部ライターの楽曲が与えられました。しかしそこにしっかりとマイクの楽曲が2曲(内1曲はゴフィン=キングとの共作)収録されてました。
もちろん天下のスクリーン・ジェムス・コロンビアがOKを出した位ですから、その楽曲はクオリティも高い。後にマイクはカントリーロックに深く関わっていくのですが、その下地はすでにこの曲で窺い知れます。
その曲が「Papa Gene's Blues」。如何にも古臭いんですが、すごくいい曲なんで、アップしておきます。アップした映像はモンキーズショーの一部です。
彼等の3枚目のシングルでマイクはクーデターを起こします。モンキーズを仕切っていたドン・カーシュナーが、当初シングルB面に予定していたマイクの作品を勝手に自分の音楽出版会社所属の楽曲「She Hangs out」に差し替えて発表してしまいます。そこでマイクは自分の作品をB面に据えたシングルを自主制作、コレが本物だと怒りの記者会見を開きます。
この騒動、結局業界のドンでもあったドン・カーシュナーが更迭され、以降モンキーズは音楽的な意見をある程度言える立場を確保したのです。
そのマイクの曰くつきの作品が「The Girl I Knew Somewhere」。オリジナルはミッキーのヴォーカルですが、ここでは未発表バージョンのマイクのヴォーカルをアップしておきます。印象深いハープシコードの演奏はピーターです。
マイクは偉大なアイデアマンでした。5枚目のアルバムに収録されている「Tapioca Tundra」ではヴォーカルにイコライザーをかけて、自分の声を微妙に加工しております。そうした手法は今では珍しくありませんが、当時としては奇抜なアイデアでした。楽曲は軽快な、若干カントリーっぽいロックです。
これもシングルのB面として発表されました。
そしてマイクは1969年、モンキーズの活動における集大成として「Listen To The Band」を発表します。これは名曲「Someday Man」と両A面扱いでシングルとして発表され、カントリーとブラスロックを融合したような素晴らしいアレンジとなってます。いったん曲が終わったと思ったら、またフェードインしてきたり、エンディングでは大歓声を入れたり、かなり凝った内容です。
モンキーズは最初にピーターが、そしてマイクも莫大な違約金を払って脱退します。モンキーズにおけるマイクの最後のシングル作「Good Clean Fun」は素晴らしいブルーグラスですが、実はタイトルは歌詞とは全く関係ありません。Good Clean Fun(健康的で楽しい)、デビュー当時、ドン・カーシュナーあたりが楽曲は健康的で楽しいものでないといけないと言っていたのでしょう。マイクはそれを完全に皮肉ってます。
モンキーズ脱退後、マイクはファースト・ナショナル・バンド(FNB)を結成。FNBは本格的なカントリーロックバンドで、メンバーのレッド・ローズはスティールギターの名手として、多くのレコーディングに参加している人物でした。
FNBの最大のヒット曲「Silver Moon」もアップしておきます。
モンキーズを知った当時小学生の私は、その流れでFNBを中学1年で知り、一発でお気に入りバンドとなりました。FNBで一番好きな楽曲だったのが「The Crippled Lion」って曲。今、聴いてもイイ曲だと思うのですが、こんな曲を聴いていた中学生・・・、なんともマニアックですね(笑)。
Michael Nesmith、R.I.P.
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