マガジンのカバー画像

音楽の杜がおススメする邦楽

170
人生の大半を音楽に注いできた「音楽の杜」がおススメする邦楽アルバム集
運営しているクリエイター

#音楽レビュー

細野晴臣「泰安洋行」(1976)

香港出張へ行ってきました~。1年3か月前に訪れた際はコロナ明け直後。まだ中国人も殆ど入港していなかったのですが、今回は通常モードの香港。ただ中国の景気が決して良いとは言えず、その影響で香港の消費は落ち込んでいるようです。平日ということもあり、それほど人で溢れていたわけでもなく…。いくつか写真をアップしておきます…観光でいったわけではないですが(苦笑)。 ということで、ここはやはり細野晴臣のトロピカル三部作の内の一作、香港らしく「泰安洋行」を採り上げます。香港の行きのフライト

村田和人「Boy' Life」(1987)

また村田さんの季節がやって来ようとしております。 いつもこの季節になると聴きたくなるアーチストが村田和人。彼が亡くなられてもう8年以上経つんですね。 昔はサンルーフを全開にして、村田さんの音楽をフルボリュームにして、意味もなく車を走らせていたものです。 そんなときに必ずかけていたのが、本作です。 本作は村田和人の5枚目のアルバムで、ムーン・レーベル時代の最後の作品。A面をロサンゼルスで、B面を東京でレコーディングしたもの。 ①「Boy's Life」は強烈です。村田和人十

TUBE「N・A・T・S・U」(1990)

もうこのアルバムが発表されて30年以上という歳月が経っているんですね。その、時の経過に驚きを覚えます。このアルバムこそ、私の大学生活に彩を添えてくれた重要なアルバムなのですから。 このアルバムが発表される直前の冬、私はボディーボードを堪能しに、オーストラリアへ1ヶ月放浪の旅へ出ました。そして夏を向かえ、毎日のように九十九里へ繰り出したものです。その時には必ずこのアルバムを持って行ったし、必ず海から家路へ向かうドライブソングのトップは、このアルバムの1曲目「 THE SURF

松田聖子 「SEIKO JAZZ」 (2017)

ラジオから流れてきた「Don't Know Why」が心地よく、誰かなと思ったらなんと松田聖子⁉ ちょっとビックリでした。それで当時すぐに本作を購入した次第。 松田聖子の全盛期、当時のJ-POPシーンを代表するライター陣、ミュージシャン、アレンジャー達は彼女の作品に英知を振り絞り、それら期待に見事に応えきっていた松田聖子のヴォーカル力、才能が溢れ出ていた初期アルバム群。これらは未だに日本を代表する名盤だと思ってます。そしてもちろん未だによく聴いてます。 そんな彼女がついに

大滝詠一「A LONG VACATION」(1981)

今更ここで紹介するのが恥ずかしいくらいの超名盤、そして超定番のアルバムですね。 これからいい季節になっていく、そんなタイミングで聴きたくなる1枚です。実際、本作、及び本作と対となる「EACH TIME」はここ数週間、通勤時にいつも聴いてます。 「売れないレコードをいっぱい作って来たけど、それは本望じゃない。松本が売れて、細野も売れて、山下まで売れたら、俺も売れなくっちゃいけないと思う」と、松本隆に吐露して作った屈指の名盤。確かにロンバケ発表前までの大滝詠一は、マニアックな

カラオケで熱唱していたニューミュージック3曲を熱く語る!

スキな3曲を熱く語る…、いろいろテーマは思い浮かびますが、時節柄、やっぱりカラオケでしょうか。自分の人生を「NO MUSIC NO LIFE 的に」変えた3曲っていうのもいいなあと思ったのですが、やっぱり鬱憤が溜まった今、熱く語って、こっそり熱唱したい。 ■ ゴダイゴ「銀河鉄道999」(1979) 言わずと知れた映画「銀河鉄道999」のテーマ。アニメの主題歌なのに、ゴダイゴらしいロックチューン。もともとの歌詞は英詞で、タケカワユキヒデさんがそれに載せたメロディはバラードで

はっぴいえんど 「はっぴいえんど」 (1970)

永らくこの日本のロック史の幕開けとなる重要なアルバムを無視し続けてきましたが、10数年前にご縁があり、アルバムを購入。それから自分の定番アルバムになっております。 多くの方々がご存じのはっぴいえんど。もちろんメンバーは細野晴臣、松本隆、大瀧詠一、鈴木茂の後の日本のロック・歌謡界を支え続けていった4人です。 1969年6月、わずか3ヶ月で小坂忠率いるエイプリル・フールを細野と松本が脱退することを決意。同年10月に大滝と鈴木が合流し、バレンタイン・ブルーを結成。それがのちのはっぴ

オー・シャンゼリゼのあれこれ(1971)

奇妙礼太郎の「オー・シャンゼリゼ」が大好きです。この曲、2013年にスズキのショコラって車のCMに使われたので、ご記憶ある方も多いかもしれませんね。 このコロナ禍、こんな曲が心を癒してくれます。今は解散しちゃいましたが、奇妙礼太郎トラベルスイング楽団の圧倒的なライヴ…、こんなライヴ、楽しいだろうなあ(歌い直しているのは「苗場」って歌いたかったからですね)。早くこんなライヴがまた行える日が来ますように。 でも恐らく50代以上の方にとっては「オー・シャンゼリゼ」といえば、ダニ

はっぴいえんど「風街ろまん」(1971)

どうしてもたびたび聴き返してしまうのが本作。3枚しかオリジナルアルバムを発表していないはっぴいえんどですが、やはりセカンドの本作が、一番の名作でしょうか。 大滝詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂の4人で結成されたはっぴいえんど。この歴史的名盤の本作、楽曲提供は大滝詠一氏が7曲、細野晴臣氏が4曲、鈴木茂氏が1曲(松本隆氏は作詞で10曲)と、圧倒的に大滝氏がリーダー色を発揮してますが、やっぱり細野氏の提供した4曲が個人的には興味をそそられます。 このアルバム、①「抱きしめたい」、

大滝詠一「大瀧詠一」(1972)

3月21日、大滝詠一の日にナイアガラ関連のいくつかの作品がネット配信開始となりました。個人的にはBGMとして最適な「NIAGARA SONG BOOK」「NIAGARA SONG BOOK 2」にも期待しておりましたが、やはり大滝詠一先生のファーストアルバムに期待しておりました。実はこの作品は長らく未聴だった作品なんです。実際サブスクで聴いてみて、はっぴいえんどの延長線上にあるようなサウンドに大満足。恐らく多くの方々はよく知っている作品かと思いますが、一応この超名盤をご紹介し

はっぴいえんど 「Happy End」 (1973)

バンド解散後に発表された米国録音のラストアルバム日本ロック史上、多くの源流がここから始まったと言っても過言ではないグループ、はっぴいえんど。ご紹介されるアルバムの多くがファーストとセカンドなので、洋楽ファンの私としては敢えて本作をまずご紹介したいと思います。あ、あまりにも有名なバンドですので、メンバー紹介などする必要もないかなと。 当時の彼らは既に解散状態。1972年10月に大瀧さんがアメリカ旅行へ行くこととなり、話の流れから、ラストレコーディングしようって話になったらしい

細野晴臣 「Hosono House」 (1973)

個人的には日本のロックの原点ははっぴいえんどにある…と思ってます。そのはっぴいえんどの解散が1972年末。そしてはっぴいえんどの中心人物、細野晴臣は、マネージャーに急かされるようにソロアルバムの制作に着手して制作されたのが本作。レコーディングは1973年2月~3月。場所は狭山市…、細野氏の自宅でホームレコーディングのスタイルが取られました。当時、ザ・バンドやジェームス・テイラー(JT)なんかがこうした手法を用いて、素朴で素敵な音楽を発表していたのですが、細野氏はこうしたスタイ

はちみつぱい「センチメンタル通り」(1973)

はっぴいえんどと双璧を成す筈だった名アルバム上のカバー写真、意味分からないですよね(苦笑)。先日、どうしてもその日しか都合が付かず、緊急事態宣言下でしたが、渋谷の老舗ロックバー「B.Y.G」で食事をしました。このロックバー、1969年からこの場所で営んでおり、多くのロックスターが地下のライブハウスで演奏しております。この写真はサイン色紙代わりになってしまっている「B.Y.G」の壁なんです。そこにひときわ目立つ「はちみつぱい」の文字(他にも星野源や細野さん、泉谷さん、錚々たる方

オフコース「秋ゆく街で ⁄ オフコース・ライヴ・イン・コンサート」(1974)

早いもので2021年も終わろうとしております。 今年はいつになくミュージシャンの訃報を聞いたような気がします。フィル・スペクター、チック・コリア、ジム・スタインマン、アル・シュミット、チャーリー・ワッツ、デヴィッド・ラズレー、私が敬愛していたマイク・ネスミス…。日本でも和泉宏隆、数原晋…、そして忘れてならない村上”ポンタ”秀一…。特にポンタさんはパワー溢れるドラムプレイが強烈に印象に残っていたので、ご病気で亡くなられたという事実がすぐには理解出来ませんでした。 ということで