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音楽の杜がおススメする邦楽

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人生の大半を音楽に注いできた「音楽の杜」がおススメする邦楽アルバム集
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2022年2月の記事一覧

今剛「Studio Cat」(1980)

80年代前半の日本のセッション・ギタリストで一番忙しかったのは松原正樹さんと今剛さんだったのではないでしょうか? 私自身は松原正樹さんのプレイが大好きなのですが、寺尾聡の楽曲を聴くにつれ、今さんの魅力にハマり、彼のソロアルバムにも関心が向かい、チェックしてみたところ、これが実に素晴らしいんですよね。また面白い発見もあったので、早速記事に取り纏めました。 寺尾聡の名盤「Reflections」が発表されたのが1981年。バックを務めたパラシュートのメンバーが注目を集めましたが

EPO「う・わ・さ・に・な・り・た・い」(1982)

都立松原高校伝説・・・1982年、EPOのサードアルバム「う・わ・さ・に・な・り・た・い」が発表された年、都立松原高校の体育館がリニューアルされました。その杮落しのステージに登場したのが高校のOBの清水信之と彼の1つ後輩にあたるEPO。翌年にはこの二人の最高傑作(作詞作曲:EPO、編曲:清水信之)、J-POPのエバーグリーンな名作「う、ふ、ふ、ふ、」が発表されましたね。 ちなみに松原高校の体育館ステージを見ていた高校1年生に渡辺美里がおりました。更に余談ですが、同じ松原高校に

松田聖子「Pineapple」5th (1982)

1982年、私は当時中学生。松田聖子が一世を風靡していました。女子の同級生は誰もが松田聖子を聴いてましたが、洋楽を熱心に聴いていた私は、そういった歌謡曲を聴くことに抵抗がありました。 ましてや松田聖子のレコードを聴くなんて考えられないことでしたが、当時私の妹がたまたま「Canary」というアルバムを買って、よく聴いていたので、ちょっと参考がてら聴いてみると、これがイイ。でも仲間には松田聖子のLPがいいんだよ~、とは言えませんでした(笑)。妙なプライドがあったのかもしれません。

MISIA「Mother Father Brother Sister」(1998)

2009年に取引先の関係で一度だけMISIAのコンサートに行きました。場所は日本武道館。MISIAの「THE TOUR OF MISIA DISCOTHEQUE ASIA」というライヴでしたが、圧巻でしたね。 当時、MISIAというと我々世代はTVドラマ「やまとなでしこ」の主題歌「Everything」が強烈に印象に残っているアーチストでしたが、ダンスミュージックを全面に押し出したMISIAのライヴに、彼女も確実に進化しているのだなあと感心したものでした。 もちろんバラード