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心に浮かんだままに

こんばんは、ゆのまると申します。

今日は、ちょっと感動、というか目からウロコなことがあったんです。


今朝起きると、苦手な人からメッセージが届いていました。

いったんやりとりが始まると頭を抱えてしまうような、でも社会的な立場上交流を絶つことはできない、みたいな人っているじゃないですか。そんな相手です。

普段なら、どんなクッション言葉でこの悪気がない好意をお断りしようかと考えるところなんです。でも、今朝は寝起きだったこともあってか、最初に浮かんできたのは「イヤだな、面倒だな」という気持ちでした。

私、それに気付いてびっくりしちゃって。なんだ、イヤだと思ってたんじゃん、みたいな。


これはもうすっかり身についた処世術みたいなものですけど、「自分がどう感じるか」よりも、「相手からどんな反応を求められているか」の方を優先してしまうところがあるんです。そのために感じのいいセリフと口調を用意しておいてね。感じたままに伝えたら怒られるような家庭だったことも関係してますね、おおいに。

でも、当然感情は伴ってないわけだから、気心の知れた友人なんかには「人の心がない」と面と向かって言われたことも多々……。私自身それで困ったことはありませんが、ビジネスライクな関係ならまだしも、心を開きたい友人相手にも感情が欠落したままというのは、ちょっとどうなんだろうと懸念していました。

けれど、そこに今朝の「イヤだな」の一件です。

それは負のベクトルではあったけれども、素直にぽこんと感情が浮かんできたことが、私はとても嬉しかったんですよね。そして同時に、綺麗事や世間体で着飾る前のこの「私の気持ち」は大切にしてあげないといけないなと思ったわけです。


昨日、「不惑の境地に至りたい」というようなお話をしました。

その時点では、「不惑」というのは自分の中に揺るぎない価値観があって、だからこそ周囲に惑わされないんだと、そんなふうに捉えていたんです。どんな風雨にも負けない巨木、のようなイメージでしょうか。

ですが、記事にいただいた温かいコメントを読んで、そして今朝のことがあって、私の中で少し考えが変わりました。いったんそのままを受け入れる、そんな要素も必要なのではないかと思ったのです。

たしかに自分を守る理論を強固にして、鎧のようにしていくこともできます。しかし、吹きすさぶ嵐に真っ向から向かい続けていたら、根っこごと木が倒れてしまう日が来るかもしれません。

しなやかに枝葉を揺らして風を受け流す。自分の中に生じた変化は、まずは「そっかぁ」と受け入れる。防御力をあげて固くしていくよりも、そんな柔軟さがほしいと感じました。


私は、他の人が成長に伴って当たり前にこなすであろうステップを、いくつか抜かしてきたようです。

今日は、誰かに気に入られるためではない、自分のためだけの感情の発露を実感しました。

こうして階段を一つずつ上ったその先に、むやみやたらに心乱れない私がいればいいな……と、今はそう思います。


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