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『良い子』の呪縛:「わたしの良い子」寺地はるな

たった一人で出産し、その後男の人と暮らすために家を出た妹の鈴菜。1歳になった息子の朔を置いて・・・ 姉の椿と姉妹の父と二人三脚での生活が始まった。妹は時折電話をかけてくるだけ。それから月日は流れ、朔が小学校にあがる年になった。

椿たちのまわりの人々は自分の納得する物語を求め、彼女に尋ねる。子供を生んだ責任を果たさない妹の代わりになぜ椿が犠牲になるのかと。でも椿は思うのだ。他人の思う正解に沿うように生きていかないといけなのかと。

周りの子は入学してきた時には既に、ひらがなを書けるようだ。朔はちっとも興味を持たないからほっといていたが、隣の席の女の子はすでに漢字も書けることに驚く。

周りの子が自分の子より優れているように見えてしまい、いちいち比べては不安になるばかり。このあたりのくだりは、同じように経験してきた。できないことに苛立ち、「なぜできないの?」と責めていた。あの時親の都合だけ押し付けて、子供の言い分に耳を傾けていたのかな?

そして同じように教育熱心な保護者の叱責する姿をみて、あそこまでは怒っていないからだいじょうぶ。と安心する。

「子供はいずれ、離れていくものよね。自分がいなくても生きていけるように育てるのが親の役目だわ」高雄の母が椿にかけた言葉。

忘れていたわけじゃない。この世に産まれてきたことに感謝し、健やかに育ってくればいいと願っている。

けれど、そこに親の願いがどんどん積み重なる。愛情があるだけでは子供は育たない。答えが出ない中で、ちゃんとした答えを求めようとしてしまうのだ。親の望みどおりの「良い子」になれなくてもいい。「良い子」の言葉に追い詰められたり、その枠からはみ出ない様に我慢する必要なんかどこにもない。なのに子供が困ったりしないようつい先回りして手を出してしまう。皆違って皆いいはずなのに、周囲の子と同じ位置に立っていて欲しいと願ってしまう。

きっと私も気づかないうちに、すこやかな無神経な言葉で誰かを傷つけている。誰の悪口も言わないように、愚痴も言わないようになんて難しい。

ただ、子供が苦しんでいたら守ってあげたい。守るべきもの優先順位を間違えないようにできたらそれでいいんだ。

朔の「サンタクロースているの?」の問いかけに対する椿の答えがいつまでも心に残る。彼女の朔への向き合い方がいいなと思った。

時間は戻らない。子育ての答え合わせがすぐには出来なくてもいつかきっと伝わる日が来ると願いながら、今日も生きていこう。

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