Vtuberは現実に存在するのか/バーチャルとリアルの概念について

Vtuberとは

大雑把にいうとSNSやYoutube等の配信で活動している2Dや3Dの仮想(バーチャル)のキャラクターの総称である。
2018年末頃からその存在が知られるようになり、2021年現在ではYoutubeチャンネル登録者数が100万人を超えるVtuberが多数いる世界規模で人気のコンテンツへと発展した。

VtuberそのものはPCやスマートフォンのアプリで気軽に始めることができる。
Twitterで検索すれば無数にアカウントが出てくるだろう。
誰もが触れることができ、始めることができるコンテンツだ。

だがその上で注意するべきゆゆしき問題がある。
それは「Vtuberは仮想の存在なのか現実の存在なのか」だ。
Vtuberについて検索する際にサジェストで「前世」であったり「中の人」等のワードが当たり前に出てくるのだ。
場合によっては個人情報が特定されかねないデリケートな問題である。
この記事ではそういったメタな話にもがっつり触れていくので留意いただきたい。

Vtuberは架空のキャラクターである。
だが活動するためにPCやスマホで顔や体の動きをキャプチャーする都合上、現実の人間の存在はどうあがいても切り離せない問題だ。
世の中にはVtuberの「中の人」を特定してネット上で誹謗中傷して精神的に傷つけている人間が少なからずいる。
そうして精神的に傷つき追い込まれ悩んだ結果、Vtuber活動を辞めてしまう人が数多くいることもまた悲しい事実だ。
だがVtuberは仮想の存在であるが故に具体的な理由を明かすことすらできず引退や卒業という形で活動を辞める場合がほとんどである。
中には音信不通のまま長期活動休止状態で実質引退しているVtuberも多くいる。
コンテンツが肥大化するにつれそういった問題は無視し続けることが難しい。
問題を先送りにしても傷つく人が増えていくばかりだ。


Vtuberは仮想の存在だから誹謗中傷をしてもいいのか
どうせ表に出さないのだから好き勝手に傷つけていいのか



否、いいわけがない。
仮想の存在であるVtuberにも自己があり、思い悩み傷つく心がある。
それがまた現実の「中の人」問題にも紐づいてくる。
Vtuberとして活動していく以上、現実の人間の部分は出したくない。
しかしだからといって現実世界で生きていく人間である以上切り離したくても切り離せない問題なのだ。

ならばいっそ、切り離さなければよいのではないか。

もちろんこれはVtuber側だけの問題ではない。
コンテンツを見る側であったり誹謗中傷している側の人間にも意識してほしい問題だ。
バーチャルの存在であるVtuberと現実の存在である人間とのジレンマ。
それを解決するには双方を分け隔てている境界線を取り除く必要がある。
ではそんなことが可能なのか。

ここで少しばかり横道に逸れるがあなたは「アバター」という概念をご存じだろうか。
一昔前のオンラインゲームで自分が操作するキャラクターをそう呼んでおり、Vtuberが流行る前はバーチャルといえばこちらのアバターのイメージが主流だったと記憶している。
もちろん今でもこの概念は存在し続けている。
オンラインゲームを現役でやっているプレイヤーはもちろん、昔ゲームをプレイしていた人ならば想起する人も多いだろう。
細田守監督の「サマーウォーズ」はまさしくこのオンラインゲーム上のアバター世界を忠実に映像化したアニメーション作品である。
現実世界のプレイヤーがPCや携帯ゲーム機でゲーム内世界の仮想空間で遊び、交流し、楽しむ。

Vtuber文化と同じ概念ではなかろうか。

むしろアバター概念が媒体を変えてVtuberとなって発展していった文化といえるだろう。
この文化的変化をミームとしてしっかり観測して比べてみると、時代が進むにつれて技術の発展と共にそれを扱う人間側のアップデートもまた必要であると考えられる。


ちょっと難しい話になってきたのでもっと簡潔に言い表していこう。

Vtuberは現実ではできないバーチャルならではの盛り上がりがある。
Vtuber界隈には悪魔だったりエルフだったり吸血鬼だったりドラゴンだったり多種多様な設定のVtuberが溢れている。
現役女子高校生であるはずのVtuberが10年以上前のアニメをリアルタイムで見ていた等の話も珍しくない。
美少女の外見だが中身はおじさんである「バ美肉おじさん」もまた多く存在する。
ここまでくるともうなんでもありじゃないかと思うだろうが、それでもVtuberの概念を重要視している人がいることも事実だ。
自由なようで不自由な現実に縛られてる概念である。

Vtuberの台頭によってバーチャルの概念は変わりつつある。
これまではオンラインゲーム内のアバターに過ぎなかった仮想世界が、実在の現実世界とリンクする存在へと変化していっている。
SNSの普及もその一役を担っているだろう。
バーチャルと現実は違うものであるという固定観念は今はもう古いものであり改める必要があるのかもしれない。
バーチャルの概念も時代が進歩するにつれアップデートしていく必要があるだろう。

故に、私はこの考えを提唱したい。

「Vtuberは現実世界に存在する人間である」

これはあくまで私個人の持論であるが、バーチャルと現実は地続きである存在だ。
配信する人間がいなければVtuberはインターネット上で活動することはできないし、コンテンツを楽しむ側の人間もインターネットを通してバーチャルの存在を見聞きすることができる。
つまり我々は同じ現実世界の中で生きて存在しているのだ。

あくまでVtuberそのものは仮想上のキャラクターとして存在する。

だが所謂「中の人」は現実世界に生きる人間である。


この概念は両立できるのではないだろうか。

もちろん、既にそのことを重々承知の上でVtuber文化を楽しんでいる人は大勢いる。
だがそのことを理解せずにいる人たちがいることも確かだ。
仮想と現実の区別がつかない人、という言われ方はずいぶん前からされていたが、むしろ今ではその考えも変わってくるのではないだろうか。
仮想は仮想。
現実は現実。
そうやって区別してきたからこそ、Vtuberという新たな存在を認識することに齟齬が生じているのではないか。
前述したようにバーチャルのキャラクターと現実の人間が同一の存在であると考えることができるのならば、これまでの概念がガラッと変わる。
配信の画面上ではVtuberとして活動して、現実ではマイクの前で喋る人間がいる。
俯瞰すれば簡単な構図ではあるが、これまでの固定観念によって認識が歪み同一の存在として見ることができない人がいる。
あなたが画面で見ているキャラクターの向こう側には生きた人間がいる。
インターネットの初歩的なマナーの一つである。
そのことを改めて認識することでVtuberもまた現実世界で生きている人間の一人なのであると意識してもらえれば、彼等Vtuberの方々も生きやすい世界になっていけるのではないか。
私はそう願うばかりである。


思うがままに筆を走らせたのでまとまった文面になっていなかったら申し訳ない。
けれどどうしてもこの記事だけは早く投稿したかった。
一人でも多くの人の悩みを救うために。








私もVtuberになりたいなぁ

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