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魔法の終わり
最近、共感覚が消えていく感覚がある。
ああ、先に断っておこう。この先は全部ぼくの感覚の話であって、チラシの裏と変わりないし、恐らく発信したって意味の無いことだけだ。読んでみて得られるのは時間を潰すだけの行為だろう。
それから、共感覚が分からない人はぜひWikipediaでもなんでもいいのでちょっとだけ調べてみて欲しい。きっとnoteを読んでいる人は面白いと思うと信じているから。
本当は共感覚についてわかりやすくて面白い記事をブックマークしていたのだけれど、気づいたらその記事は読めなくなっていた。こういうネット記事やら特集やらはアーカイブがなかなか手に入らないから実はデジタルタトゥーなんてのとは全く反対の側面を持っている、と思う時がある。
話が逸れた。
ぼくは文字や音に色が見えるタイプの共感覚持ちだった。
“だった”のだけれど。
今まで見えてたパステルカラーの極彩色が無くなっていく感覚、あぁきっとここはぼくにしかわからない言語を喋っているっていうのはわかる。
それが今はたまらなく苦しい。
ジブリ映画のように急に魔法が使えなくなるのではなくて、じわじわと見える色が減っていく。それを感じている。
例えば昔書いた自分の気にいりの文章だったり、昔聴いていた音楽の色だったりを、いまではもう見い出せない。確かにこんな色だったはずだ、と思うのはどれもそう見えたことを記憶しているだけに過ぎなくて、今は新しく、何の色も見えない音楽を聴いている。
例えば、飲んでいた薬の副作用で音が変わって聞こえていた事を数年越しに知ったとか、住んでいる環境やら精神状態やらがダメになってるとか。そういう小さな違和感の積み重なり、そういうものがぼくの感覚器を尽くダメにしていく。
東京の都心で、青空が本当のコンクリート色に見えていた高校生の頃よりずっと、色んな意味で、自由を得たはずなのに。ぼくが愛していたカラフルで美しい世界はどんどんとなくなっていく。薄れていく。つまらなくなっていく。
ちゃんとあったはずなのだから、世界はつまらなくなっていないはずなのに、世界を面白いと思えなくなっていく自分がどれほどつまらないかを痛感している。
そんな独り言だけ。この話にオチはないよ。
そんなこの記事はぼくにはもう白と黒の文字列にしか見えていない。ただそれがかなしいだけだ。
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